上杉謙信が愛した刀、『太刀 無銘一文字 山鳥毛(さんちょうもう)』。刃文が、鳥の羽毛に見えるから、燃える山のように見えるからこの名がついたと言われています。鎌倉時代、備前国(岡山県)で作られた備前刀です。日本に現存する約270万振(ふり)の日本刀のうち、半分は備前刀。国宝の刀剣111振のうち、備前刀は47振あります。岡山県瀬戸内市長船(おさふね)地区は、平安時代末期から江戸時代初めにかけて、日本全体の1/4の刀工を輩出しました。現在、国宝や重要文化財に指定されている刀剣の約4割は備前刀です。備前国は日本一の刀剣の里です。

The sword ‘Tachi Unmarked Ichimonji Sanchōmō’ was a favourite of Kenshin Uesugi. It is said to have been so named because the blade pattern looks like a bird’s feathers, or like a burning mountain. This Bizen sword was made in Bizen Province (Okayama Prefecture) during the Kamakura period (1185-1333). The Osafune area of Setouchi City, Okayama Prefecture, produced 1/4 of all Japanese swordsmiths from the end of the Heian period to the beginning of the Edo period. Today, about 40% of the swords designated as national treasures or important cultural assets are Bizen swords. Bizen Province is the best home of swords in Japan.

長船派、福岡一文字派、吉岡一文字派は、いずれも備前国(現在の岡山県南東部)で活躍した刀工の一派。山鳥毛は、福岡一文字派の最盛期、鎌倉時代中期に作られた日本刀の一つです。長船派は鎌倉時代中期から室町時代末期にかけて繁栄した刀工の一派で、備前の中でも最大の繁栄を見せました。それには吉井川の存在がとても重要です。中国山地の花崗岩が風化し砂鉄が川で運ばれ、上流ではたたら製鉄が盛んであったため、高瀬船の水運を通じて鋼(はがね)を容易に入手することができました。また、鉄の鍛錬に必要な豊富な水と、燃料の炭となる松やクヌギの運搬、奈良や京都への流通経路など。吉井川がとても重要な役割を果たしていました。しかし、多くの恵みを与えてくれた川であるのと同時に、1590年の吉井川の水害により備前長船派は壊滅してしましました。常に自然災害と恩恵は隣り合わせだということを改めて感じます。

The Osafune, Fukuoka Ichimonji and Yoshioka Ichimonji schools were all swordsmith schools active in Bizen Province (present-day south-eastern Okayama Prefecture). The Osafune-group was a school of swordsmiths that flourished from the mid Kamakura period to the end of the Muromachi period (1333-1573) and was the largest and most prosperous of the Bizen schools.The Yoshii-gawa River is very important for this. Iron sand was transported from the Chugoku Mountains, where iron ore lay, and iron manufacturing flourished upstream, so steel was readily available through water transport. The river also provided abundant water for iron smelting, transport of pine and sawtooth oak for fuel charcoal, and distribution routes to Nara and Kyoto. The Yoshii River played a very important role.

岡山県瀬戸内市は、2020年にクラウドファンディングなど全国からの寄付を集めて5億円で購入しました。これまで刀本体とそれを収める外装の「拵(こしらえ)」は、備前長船刀剣博物館で、別々に公開されてきましたが、2024年初めて同時に展示されます。瀬戸内市誕生20周年を記念し、展示期間中の9日間のみ刀身と拵(こしらえ)が同時に展示されます。「拵」(こしらえ)とは、日本刀の外装のことで、鞘(さや)、柄(つか)、鍔(つば)など、日本刀を構成する「刀装具(とうそうぐ)」の総称です。事前予約制

Setouchi City in Okayama Prefecture purchased the sword in 2020 for 500 million yen, with donations from all over Japan, including crowdfunding. Until now, the body of the sword and the ‘koshirae’, the outer covering that houses the sword, have been shown separately at the Bizen Osafune Sword Museum, but in 2024 they will be exhibited together for the first time. To celebrate the 20th anniversary of the city of Setouchi, the sword body and the koshirae will be on display simultaneously for nine days only during the exhibition period. Koshirae is the generic name for the sword armour, including the sheath, handle and tsuba.

国宝「太刀 無銘 一文字(山鳥毛)」特別展示
山鳥毛 展示期間
日程:2024年年8月24日(土)~9月23日(月・祝)
拵(こしらえ) 特別展示期間
日程:2024年9月14日(土)~9月23日(月・祝)
*合口造鞘黒蝋色塗柄革巻拵(国宝「太刀 無銘 一文字(山鳥毛)」附)​を刀身とともに展示します。
休館:毎週月曜日(休日の場合は翌日に振り替え)
時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館:一般1,500円、高大生900円、中学生以下無料
場所:備前長船刀剣博物館
住所:岡山県瀬戸内市長船町長船966 [Google Maps]

Special exhibition of the National Treasure ‘Tachi Sword, unmarked Ichimonji (Sanchomo)’.
Reservations required
Sanchomo exhibition period
Date: 24 August (Sat) – 23 September (Mon), 2024
Koshirae special exhibition period
Date: 14 (Sat) September – 23 (Mon) September 2024 (public holiday)
Closed : Mondays (if the Monday is a holiday, the exhibition will be moved to the following day).
Opening hours: 9:00-17:00 (admission by 16:30)
Admission: ¥1,500 for adults, ¥900 for high school and university students, free for junior high school students and under.
Bizen Osafune Sword Museum
Address: 966, Osafune, Osafune-cho, Setouchi City, Okayama Prefecture [Google Maps]

2024/08撮影


展覧会は1時間ごとの事前予約制。1人あたり2分の閲覧時間をもらえます。


一文字(いちもんじ)
国宝
太刀 無銘 一文字(山島毛)
刃長79.1cm / 反り3.3cm
鎌倉中期(13世紀)
備前国(岡山県)
備前長船刀剣博物館蔵

上杉家に伝来した太刀で、初代米沢藩主、上杉景勝の自筆 の目録である「上杉景勝腰物目録(うえすぎかげかつこしものもくろく)』に上秘蔵(じょうひぞう)として記されてい る一品です。本作は、刀身の姿は、身幅と呼ばれる刀身の幅が広く、重ねと呼ばれる刀身の厚さは、この時代では珍しく厚く、鋒(きっさき)が中鋒(ちゅうぎっさき)となり、総体的に豪壮(ごうそう)で重厚な姿となっています。

山鳥毛。備前長船刀剣博物館

本作の一番の見どころでもある刃文は、はばき元こそは焼きが低く小丁子(こちょうじ)や尖り刃(とがりば)が交じる小模様な刃となっていますが、鋒(きっさき)へ 行くにつれ、焼きは高くなり、刃身中程では高低差のある小丁子(こちょうじ)や大丁子(おおちょうじ)、重花丁子(じゅうかちょううじ)に所々飛焼(ところどころとびやき)が交じり、刃中(はちゅう)も足(あし)や葉(よう)がしきりに入るなど豪華絢爛な刃文(はもん)となっています。


切先


刀剣の世界


砂鉄から玉鋼ができるまで


砂鉄は、主に磁鉄鉱(Fe3O4)が集まっている「真砂砂鉄」と、主にチタン鉄鉱 (FeTiO3)が集まっている「赤目砂鉄」があります。
赤目砂鉄(あこめさてつ)。赤目砂鉄は、砂鉄の一種で、粒が小さく赤みを帯び、不純物の酸化チタンを多く含むのが特徴です。真砂砂鉄と比べて二酸化チタンの含有量が多く、広範囲に産出することから、銑押し法の原料として各地で多用されました。


真砂砂鉄(まささてつ)。真砂砂鉄は、不純物が少なく、鍛造に適した砂鉄です。日本刀の原料である「玉鋼(たまはがね)」の製造に用いられてきました。約5000万年前の山陰側に貫入した磁鉄鉱系列の花崗岩が風化してできた真砂土の中に含まれています。島根県や鳥取県の山陰が産出地です。


赤目砂鉄(あこめさてつ)と真砂砂鉄(まささてつ)。砂鉄は岩石の中に含まれる鉄の鉱石が岩石から分離したものです。マグマが、岩石へと変化していく過程によって、性質が異なる砂鉄が生まれます。

・赤目砂鉄(あこめさてつ):玄武岩・安山岩ほか、山陽地方、不純物多い、溶けやすい(1390℃)、鋳物の材料になる、アルカリ性
・真砂砂鉄(まささてつ):花崗岩・花崗斑岩ほか、山陰地方、不純物少ない、溶けにくい(1420℃)、刀剣の材料玉鋼が含まれる、酸性


玉鋼(たまはがね)。日本刀の原料として知られる高純度の炭素鋼で、たたら製鉄の「鉧押し(けらおし)法」という製鉄法で作られます。極めて高純度な鋼で、日本古来の「たたら製鉄」の技術でしか製造できません。玉鋼を作る職人のことを「村下(むらげ)」といい、刀工は村下が作った玉鋼で刀を作ります。日本刀特有の「地肌(じはだ)」や「沸(にえ)」、「匂(におい)」といった美観を作り出す要素となります。


鞴(ふいご)。たたらは、古代から発展した製鉄方法です。粘土製の炉の中で木炭を燃やし、その中に砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉に投入して、純度の高い鉄を取り出します。炉に空気を送り込む「ふいご」をつかって炉の温度を上げました。この鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたので、「たたら製鉄」と呼ばれました。近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担いました。世界史的に見てふいごを使った低温還元の製鉄法自体はありふれた物ですが、日本は木炭生産のための森林資源が豊富で、かつ温暖多湿な気候で雨季が存在するためその回復も速く、他にも中国地方で採れる良質な砂鉄が存在する一方で、鉄鉱石の産出量が低かった等の要因により、日本において製鉄はやや特異な発展を遂げてきました。(たたら製鉄 – Wikipedia)


刀剣ブームの火付け役となった人気のゲーム『刀剣乱舞』。敵を討伐していく刀剣育成シミュレーションゲーム。山鳥毛(さんちょうもう) 声:井上和彦さん、絵:須田彩加さん。


公開鍛錬場、鍛刀場。公開古式鍛錬。毎月第2日曜日 午前11時~・午後2時~。刀剣を作る工程の中の「折り返し鍛錬」を、昔ながらの方法で作業公開します。 ​ 高温に熱した鋼を大鎚で叩き、不純物を取り除きながら折り返していきます。

Ancient Japanese sword forging, public event. Second Sunday of every month, 11:00 am – 2:00 pm. The ‘folding and forging’ part of the sword-making process is open to the public in the traditional way. Steel heated to a high temperature is beaten with a large hammer and folded back while impurities are removed.


玉鋼(たまはがね)。日本刀の素材として欠かせない玉鋼は、たたら製鉄でしかつくることができません。たたら製鉄の「鉧押し(けらおし)」という手法によって製錬された鋼のうち、特に炭素含有量の少ない良質のものを、日本刀の製作に欠かせない最上質の「玉鋼」としています。


卸金(おろしがね)


靭負(ゆきえ)神社。備前国古社128社の1社。長船の刀鍛冶が目を守っていただくため信仰しました。


YAMAPの流域地図。吉井川水系。


吉井川(よしいがわ)。旭川、高梁川と並び岡山三大河川の一級河川。源流は、岡山県の県北、苫田郡(とまたぐん)鏡野町(かがみのちょう)上齋原(かみさらばら)の三国山(みくにがせん)。日本刀史上最大の流派、長船派(おさふねは)。中世日本に備前国邑久郡長船(現在の岡山県瀬戸内市)を拠点とした刀工の一派。1590年 水害により著名な刀工一派である備前長船派が壊滅しました。


【出典】地質図Navi – 産総研


吉井川河口の地質図。川の河口あたりの地質は、新生代の堆積岩。


吉井川の上流。岡山県苫田郡鏡野町上齋原の三国山。中生代の花崗岩。砂鉄は花崗岩(かこうがん)の風化したものです。中国山地を中心とする花崗岩地帯で大量に採取できます。たたら製鉄が中国山地を中心に発展したのは、この花崗岩由来の砂鉄が豊富に存在していたことが大きな理由と言えます。


たたら製鉄にとってもっとも重要な原料である砂鉄の多くは、花崗岩や斑れい岩、閃緑岩などの風化土の中から、鉄穴(かんな)流しとよばれる比重選鉱法によって採取されました。中国山地では日本刀を作るのに適した砂鉄が取れ、たたらが盛んでした。できた真金(まかね)は高瀬舟に乗せて吉井川を通じて運ばれました。たたらの燃料として赤松の炭が必要ですが、昔は赤松林が多く、燃料が豊富にありました。さらに『一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)』に描かれている「福岡の市」という大きな市があり、刀が売りやすく、街道が通っていて情報が伝わりやすい条件が整っていました。
参考:せとうち美術館紀行

国宝「一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)」鎌倉時代に福岡市(ふくおかいち)1299年(正安元年)成立
国宝『一遍上人絵伝』 1299年(正安元年)成立。鎌倉時代の福岡市(ふくおかいち)。岡山県瀬戸内市長船町福岡地区は吉井川の水運と山陽道の陸運が交差しており、鎌倉時代に市ができて賑わっていました。その様子が、「一遍上人絵伝」に描かれており、刀剣や米、魚介、織物、焼物などが取引されていたのがわかります。参考:瀬戸内市福岡の大市|岡山県瀬戸内市


砂鉄が含まれるか磁石で確認

なぜ岡山県でたたらが作られたのかということについて、もうひとつの説として寺社勢力が関係しているのではないかと考えられています。備前は、熊山信仰があり、熊山を中心とした寺社勢力があります。

万葉集や古今和歌集にて、鉄の産地であった「吉備 (きび) 」の枕詞は、「真金吹く(まがねふく)」。古くから岡山県(吉備の国)は鉄の産地であったことが伺えます。岡山県総社市の血吸川(ちすいがわ)上流には製鉄遺跡がたくさんあります。血の名前がついていて赤いのは砂鉄のことだと考えられます。しかし、備前国(今の岡山県瀬戸内市あたり)には、製鉄遺跡はほとんどありません。「真金吹く吉備の国」は、奈良時代の俗謡にも歌われています。真金は良質な鉄のことであり、中国山地が古代から明治に至るまで鉄の一大産地であったことを示しています。
参考:せとうち美術館紀行

真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ (古今和歌集 / 平安時代)

岡山県には全国的にも優位な産業が発達していました。それは沿岸地域での「製塩」、岡山県中北部での「たたら製鉄」、備前長船で知られる「刀剣」、さらに備前市伊部で盛んな備前焼(六古窯 / 備前焼(備前市)、越前焼(福井県越前町)、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)の「製陶」で、いずれも燃料などで多くの木材を必要としていました。参考:岡山県の砂防の歴史


岡山県史跡、倉安川、水門跡。1679年(延宝7年)、岡山藩主池田光政の家臣津田永忠により、沖新田開発、倉田新田の用水確保、舟運の連絡ルート確保のため倉安川が掘削され、吉井川からの取水口には石垣(開閉部は木造)の水門が設置されました。この水門は、吉井川の堤防に築かれた「一の水門」と倉安川側の「二の水門」の二重構造となっており、当時では最先端技術であった「閘門式」の構造となっています。

国指定文化財等データベース

太刀(たち)『無銘一文字(むめいいちもんじ) 山鳥毛(やまとりげ)』

鎬造り(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、鋒(きっさき)猪首(いくび)となり、腰反り高く、踏ん張りがある。鍛(たん)は板目、乱れ映り鮮明に立つ(みだれうつりせんめいにたつ)。刃文は重花丁子乱れ(じゅうかちょうじみだれ)の大丁子乱れ(おおちょうじみだれ)でほとんど鎬(しのぎ)におよび、足(あし)葉(よう)頻り(しきり)に入り変化極まりなく、腰元、物打(ものうち)下は特に沸強くつき金筋かかり、帽子は表は張って大きく乱込んで返り、掃きかけかかり、裏は乱れ込みとなる。表裏に棒樋(ぼうひ)を茎先まで掻き流す。茎は生ぶ、勝手下がりの鑢目(やすりめ)がつき、銘はない。

Yamatorige – Wikipedia

Yamatorige (山鳥毛, “feather of a copper pheasant”), equally known as Sanchōmō by its Sino-Japanese reading, is a tachi (Japanese greatsword) forged during the middle Kamakura period (13th century). The set of the blade and its koshirae (mountings) is a National Treasure of Japan. It was wielded by Uesugi Kagekatsu (1556–1623), a powerful warlord in the Sengoku period, and had been inherited by his clan.

History
Yamatorige was forged during the middle Kamakura period (13th century).

According to Kanzan Sato, a nihontō (Japanese sword) appraiser and researcher, it was named so in order to honor the beauty of the tachi by likening it to the feather of a copper pheasant or the landscape of sunset mountains. In addition, Suiken Fukunaga, another nihontō appraiser/researcher, cites a theory written in Sourinji Denki (『双林寺伝記』) that the name came from the landscape of a wildfire. Fukunaga himself, however, remarks the wildfire theory is utterly dubious.

The tachi is one of the 35 swords favored by the warlord Uesugi Kagekatsu (1556–1623), an adopted son and the successor of the “God of War” Uesugi Kenshin. Later it had been inherited as one of the greatest heirlooms of the Yonezawa-Uesugi clan, the head of the Uesugi clans.

On March 29, 1952, the tachi was designated a National Treasure of Japan. Its koshirae (mountings) are a part of the designation as accessories to the blade.

In 2020, Setouchi City purchased yamatorige from an individual, which was then housed in the Bizen Osafune Japanese Sword Museum. The purchase cost was about 500 million yen (About $5 million).

山鳥毛 – Wikipedia

山鳥毛(さんちょうもう、やまとりげ、やまどりげ、さんしょうもう、やましょうもう)は、福岡一文字最盛期、鎌倉時代中期に作られたとされる日本刀の一つ。昭和27年3月29日に国宝に指定された。国宝指定名称は「太刀無銘一文字(山鳥毛)」で、拵(こしらえ)は「打刀拵」として刀身の附(つけたり)に指定されている。米沢上杉家に伝来し、上杉景勝の愛刀三十五腰の一口とされる。

山鳥毛 – Wikipedia

山鳥毛
種類:太刀(たち)
時代:鎌倉時代中期
刀派:福岡一文字
刃長:79.5 cm
反り:3.2 cm
先幅:2.2 cm
重量:1.06 kg
所蔵:備前長船刀剣博物館
所有:岡山県瀬戸内市

山鳥毛(さんちょうもう、やまとりげ、やまどりげ、さんしょうもう、やましょうもう)は、福岡一文字最盛期、鎌倉時代中期に作られたとされる日本刀の一つ。昭和27年3月29日に国宝に指定された。国宝指定名称は「太刀無銘一文字(山鳥毛)」で、拵(こしらえ)は「打刀拵」として刀身の附(つけたり)に指定されている。

米沢上杉家に伝来し、上杉景勝の愛刀三十五腰の一口とされる。

上杉謙信 – Wikipedia

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代に越後国(現在の新潟県)など北陸地方を支配した武将・大名。

戦国時代から現代に至るまで私利私欲に拘泥(こうでい)しない「義の武将」という印象が強い。一方で、現代では利害を冷徹に判断しながら、領土拡大に努力した戦国大名として捉える研究者も多い。

太刀「山鳥毛」
上杉謙信の愛刀に太刀「無銘一文字」があり、山鳥毛(さんちょうもう)の号で呼ばれ、国宝に指定されている。山鳥毛はかつては個人の所有で岡山県立博物館に寄託されていたが、2021年現在は岡山県瀬戸内市が所有し、備前長船刀剣博物館にて定期的に展示されている。

2015年に新潟県立歴史博物館を通じて、謙信ゆかりの地である新潟県上越市に譲渡の打診があり、ふるさと納税を含めた資金調達を行ったものの、専門家の評価額と所有者の希望額の折り合いが付かず購入を断念。2018年4月、所有者から瀬戸内市に譲渡の打診があり、購入する方針を明らかにした。その後、展示室整備や取得に掛かる費用など5億円余りをふるさと納税などを活用し調達に成功。2020年3月より、瀬戸内市の所有となっている。