古墳時代の最先端「石舟石棺(いしぶねせっかん)」Stone coffin


香川県高松市国分寺町の鷲ノ山(わしのやま)の石でつくられた刳抜(くりぬき)式石棺は、
高松平野から丸亀平野を中心に8棺も発見されており、
鷲ノ山が古墳時代前半に石材産地•加工地として重要な土地だったことを示しています。

この形状の石の棺(ひつぎ)は、古墳時代(4〜5世紀頃)に
大型の前方後円墳にのみ棺として使われていたものですが、
鷲ノ山の麓にある石舟天満宮に祀られている石舟石棺は、石船池の堤防下で発見されました。

この石舟石棺は棺として使われたものではなく、
製作途中に一部が破損し、破棄された未完成品ではないかと渡部明夫氏によって指摘されています。
その根拠として、外側が凸凹で、頭部に比べて足部が浅く水平ではないことなどが挙げられています。


香川県国分寺町に「石舟」という地名があると聞いてやってきました。


そこにあるお寺の名前も「石舟寺」


「石舟石棺」の看板にならって小道を進むと


石舟天満宮があります。


狛犬ならぬ狛牛


牛にまつわる物語があるのでしょうか


こちらも。あ・うん と口は空いておりません。


ドーンと現れたこれが石舟石棺。国分寺町指定文化財・高松市指定有形文化財です。


鷲ノ山の石でつくられたもので、発見されたのは古墳ではなく、石舟池の堤防下でした。
それが1909年(明治42年)に地元青年団によって今の場所に移されました。


頭をのせる枕がつくられています。
表面が平滑ではなく、頭部に比べて足部が浅い。


ノミの跡が残っています。


他の鷲ノ山の石棺に比べて分厚いつくりで、外面が凸凹しています。


石棺のこの出っ張りの部分の機能がなんなのか気になって
考古学者の乗松さんに聞いたところ、
舟形木棺で蓋を固定するために縄をくくるための出っ張りでその名残りと考えられているそう。
考古学で「痕跡器官」と言うそうです。興味深い。

本来の機能を果たしていないけど、
素材や技術が進歩してふようになったのに、
形状だけが模されるみたいなこと現代でもよくあります。
白熱電球の形を模したLED電球とか、コンクリートでつくったアーチ構造とか。
今も昔もそうして形が伝播していったと思うととても面白い現象です。
ちなみに、痕跡器官という言葉は、生物学でも使用されます。

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石舟天神社刳抜式石棺
(蔵本晋司 2005「古墳時代」『さぬき国分寺町誌』から転載)

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鷲ノ山石と火山石の刳抜式石棺の広がり
(蔵本晋司 2005「古墳時代」『さぬき国分寺町誌』から転載)
高松市国分寺町の古墳より

場所:石船天満宮(高松市国分寺町新名1879) [Google Maps]

石船石棺 – 高松市
この石棺は、鷲ノ山産の石英安山岩質凝灰岩(俗に鷲ノ山石)で製作された「刳抜式石棺」と呼ばれるものである。石舟池の堤防下で発見され、明治42年に地元青年団によって現在の石船天満宮の境内地まで移され、露出展示されている。
 このような刳抜式石棺は、古墳時代前期後半から中期前半(4~5世紀)にかけて香川県内の大型の前方後円墳に限定されて棺として使われていた。鷲ノ山産の石棺は、本市石清尾山の石船古墳(国指定史跡)をはじめとして中讃地域など県内8例の他、大阪府柏原市で2例確認されている。
 このことから、鷲ノ山周辺が古墳時代前半期における石材産地および石材加工の一つの中心として広く知られていたことがわかる。

高松市国分寺町の古墳

鷲ノ山の石
鷲ノ山(わしのやま)は石英安山岩の産地で、古墳時代、さぬき市火山とともに刳抜式石棺の生産地として有名です。
この石材を使用した製品は室町時代の供養塔にいくつか事例が見られ、江戸時代中頃になると墓石等、盛んに使用されるようになります。
現在も麓には数件の石材業者がいます。現状では古墳時代当時の採石地を断定することは困難です。

鷲ノ山石の刳抜式石棺
鷲ノ山石の刳抜式石棺は高松平野から丸亀平野を中心に8棺が知られています。また、香川県外にも大阪府安福寺にあり、また、大阪府松岳山古墳からは刳抜式石棺ではなく、組合せ式石棺の側壁材として使用されています。

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