香川県高松市の石清尾山(いわせおやま/標高232m)には現在、100を超える古墳があるのですが、なかでも墳丘を石で造った積石塚古墳が有名です。これらの積石塚古墳は、全国的にも珍しい『双方中円墳』と呼ばれるキャンディーの形をした古墳2基(猫塚古墳・鏡塚古墳)、前方後円墳8基、方墳1基、円墳10数基と変化に富み、規模も全長100mに近いものから直径数mのものまで様々あります。このほとんどは、古墳時代前半の4〜5世紀にかけて造られたものと考えられています。石清尾山古墳群は、香川県の郷土を知る上でも、また、学術上からも極めて貴重な遺跡として、高い評価をうけています。

Iwaseoyama kofun Tumulus Cluster was designated as a National Historic Site. It is located at top of Mt. Iwaseoyama, Takamatsu city, Kagawa pref., Japan. The shape of 2 Tumulus (Nekozuka-kofun and Kagamizuka-kofun) of Iwaseoyama-kofun Tumulus Cluster are the characteristic shape like a candy.

石清尾山古墳群
住所:香川県高松市宮脇町2 [Google Maps]

Iwaseoyama kofun Tumulus Cluster
Address : 2 Miyawaki town, Takamatsu city, Kagawa pref., Japan [Google Maps]


石船積石塚。この古墳は、石清尾山古墳群の中のひとつで、最も早く国の史跡に指定された古墳です。この古墳は、鏡塚の南に位置しており、前方部を北側にむける前方後円墳(積石塚)です。

石船積石塚
古墳の全長は約57mで、墳丘形状をよく残しています。後円部墳頂に刳抜式(くりぬきしき)割竹形石棺があり、棺身には造り付けの枕があります。この石棺が船の形であることから石船塚と呼ばれています。円筒埴輪が出土しており5世紀はじめ頃に築造されたと考えられています。


何やら文字が刻んであるように見える。「元」?


鏡塚古墳。この古墳は、全国的にもまれな形式の双方中円墳(積石塚)で、おなじ形状の猫塚とともに築造年代では、最古の部類に属すると言われています。

鏡塚古墳
古墳の全長は約70m、高さは約3.6mであり石清尾山古墳群中では、猫塚につぐ大きさです。鏡が出土したという伝承から鏡塚古墳と呼ばれています。


北大塚西古墳、北大塚東古墳。これらの古墳は、摺鉢谷(すりばちだに)を取り巻く稜線の北端に位置していて、接近してつくられた前方後円墳2基、方墳1基の3基(どちらも積石塚)からなります。


中央部の前方後円墳は、全長約40mの規模で、一部が崩壊しているものの形状をよく残しています。東側に存在する古墳は、石清尾山古墳群ただ1基、確認されている方墳です。


山頂から瀬戸内海の女木島(めぎじま)がよくみえます。逆に海上交通が主な交通手段だった古代には、海側からもここの古墳がみえていたのかもしれませんね。


猫塚古墳。この古墳は、全国的にも稀な形式のキャンディーの形をした双方中円墳(積石塚)で、石清尾山古墳群中で最も大規模で全長は約96m、高さは約5mです。同じ形状の鏡塚古墳とともに古墳群の中でも古いもののひとつです。


中円部は、突出部に比べて非常に高くなっており、1910年に大きな破壊を受け中央が大きく変形してしまっています。中央に大きな竪穴式石室1基とそれを取り囲む8基の小さな石室があったと伝えられています。


中央の石室から鏡、小銅剣、石釧(腕輪の一種)、筒型銅器、銅鏃、鉄斧、鉄剣、鉄刀、鉄ノミ、鉄槍鉋(やりがんな)、鉄鏃、土師器などが発見され、東京国立博物館に所蔵されています。

猫塚古墳 竪穴式石室
竪穴式石室。猫塚古墳の埋葬施設は、聞き取り調査により、中円部に多数の副葬品があった大規模な竪穴式石室が1箇所存在し、さらに周辺に小規模な竪穴式石室が複数存在していたことが推定されています。現在はほとんど現存しませんが、唯一残っていた1箇所を埋め戻し保存しています。この石室は長さ数m幅1m程の小規模なものであり、埋葬頭位は東西方向を指向しています。

2013年5月撮影 – May 2013

石船積石塚

1万年前以降の石清尾山には椿やウバメガシのように、常緑の丸く厚い葉を持つ樹木が中心の鬱蒼とした森林が広がっていました。現在のような松が中心となる森林は、弥生時代以降に出現したとされています。人間による開発がもたらした変化です。


石棺。4世紀半ばから5世紀にかけての有力な古墳には、刳抜式石棺と呼ばれる石で造った棺が使われています。


石棺


頭を乗せる箇所が曲面に削られているのがわかり、高度な石の加工技術があったことがわかります。


鏡塚古墳。全国的にも稀な双方中円墳。


積石塚は、日本だけにみられるものではありません。例えば、朝鮮半島にあった古代国家「高句麗」の首都「扶余(現在、中華人民共和国東北地方集安県)」にも多くの積石塚が存在します。また、中央アジアにも存在しており、積石塚は特別珍しいものではなく、極めて一般的な墓でした。これらの積石塚を遊牧民の墓とする説もあります。


さらに進みます。北大塚古墳へ。


古墳解説をして頂いた乗松博士。

小塚古墳

猫塚古墳。全国的にも稀な双方中円墳(積石塚)。石清尾山古墳群の中でももっとも大きなもので全長約96m、高さ5m。1910年に破壊されて大きく変形しています。


猫塚古墳は双方中円墳という、キャンディーのような個性的な形をしています。鏡塚古墳も同様な形で、全国的にみても類例は少なく、貴重な古墳であるといえます。


鏡、小銅剣、筒形銅器、銅鏃、土器等の多数の遺物のなかでも、内行花文精白鏡と呼ばれる鏡は、中国の前漢時代(西暦紀元前202年から紀元後8年)に作られた鏡で、北九州地方の弥生時代の墓からは多く出土しますが、古墳からの出土は猫塚古墳だけです。小銅剣も他に一例しか出土例のない珍しいものです。そして、これらの遺物を出土した石室の周囲には、多くの石室がみられたといいます。これらの事実は猫塚古墳が、一般的な古墳と比べて特異な存在であるということを示しています。

竪穴式石室。猫塚古墳の中円部には、竪穴式石室が9箇所あったと伝えられています。普通は、1,2箇所ですから、猫塚古墳の場合は比較的多いことになります。古墳時代以前の弥生時代の墓に似た例があるので、古い伝統を引き継いでいるのかもしれません。
9箇所ある竪穴式石室のひとつは露出したままでしたが、崩壊がひどいので埋めてほぞんすることになりました。


古墳のある山の上からの眺め。女木島がよくみえます。山の木が鬱蒼としていなかったとしたら、港に入ってくる船の上からも古墳がよくみえたのだろうか。古代の人々が眺めていた景色を想像するとワクワクします。

石清尾山古墳群
住所:香川県高松市宮脇町2 [Google Maps]

Iwaseoyama kofun Tumulus Cluster
Address : 2 Miyawaki town, Takamatsu city, Kagawa pref., Japan [Google Maps]

Iwaseoyama Kofungun Chambered Cairn : The Megalithic Portal and Megalith Map

More than 200 tumuli, including chambered cairns sit on the mountains behind the City of Takamatsu, capital of Kagawa prefecture. The largest chambered cairns lie on the top of the mountain. Their quality and size are outstanding by Japanese standards, where chambered cairns are rare.

Around a quarter of them have been demolished but there are still some amazing sites. The mountains are named Iwaseo-yama as a whole, individually called Mine-yama, Shiun-zan and Jōganji-yama.
10 of the cambered cairns on Iwaseo-yama mountain are registered as the National Historic Sites : Iwaseoyama Kofun no.9

石清尾山古墳群 文化遺産オンライン

史跡名勝天然記念物

高松市西郊の石清尾山は、高松平野を一望にしうる景勝の地である。この山頂の稜線上に多くの積石塚が存在することは早くから知られ、とくに梅原末治博士により調査された猫塚は、双方中円墳という特異な形態と、副葬されていた漢鏡の伝世問題で著名である。
 石清尾山古墳群は瀬戸内地方における有名な古式古墳の群として学界の注目するところであったが、これまでは石船塚古墳のみが指定されていたので、山頂にある多数の古墳を一括して指定し、名称を石清尾山古墳群としたのである。指定範囲には、前方後円墳6基、双方中円墳2基、方墳1基、円墳3基(以上すべて石塚)が含まれているが、このほかに、土塚で、年代の新しい古墳7基も含まれている。石清尾山頂には最近、観光開発の計画があるが、県・市当局の指導により、古墳の所在する場所は現状のまま保存されることになっている。

石清尾山古墳群 – Wikipedia

石清尾山古墳群(いわせおやまこふんぐん)は、香川県高松市峰山町、室町、宮脇町、西春日町、鶴市町、西宝町にわたる石清尾山塊上に所在する積石塚を特色とする古墳群。

本古墳群は、高松市街地にある標高約232メートルの石清尾山丘陵上に所在し、200基を超える円墳や積石塚や盛土墳が築造されている。積石塚は4世紀から5世紀のものである。5世紀末頃から約100年ほどの間、この地で古墳は造られなくなり、横穴式石室を有する盛土墳が造られるのは6世紀後半から7世紀前半にかけてである。1934年(昭和9年)1月に積石塚の石船(いわふね)塚が単独で国の史跡に指定。1985年(昭和60年)7月に周辺の古墳が追加指定され、史跡の指定名称が「石清尾山古墳群」に変更された。この時指定されたのは積石塚の北大塚古墳、北大塚東古墳、北大塚西古墳、鏡塚古墳、小塚古墳、姫塚古墳、猫塚古墳、石清尾山9号墳、盛土墳の石清尾山2号墳、石清尾山13号墳である。さらに東南の尾根上にある鶴尾神社4号墳(積石塚の前方後円墳)の確認調査が1981年(昭和56年)に行われ、1989年(平成元年)8月に追加指定された。以上により、国の史跡「石清尾山古墳群」は積石塚10基、盛土墳2基の計12基となった。2018年10月には稲荷山地区にある4基の古墳(稲荷山姫塚古墳、稲荷山北端古墳、稲荷山南塚古墳、稲荷山南塚北古墳)が追加指定された。稲荷山北端古墳は類例の少ない双方中円墳である。