石清尾山古墳群。石清尾山には現在、100をこえる古墳がありますが、なかでも墳丘を石で造った積石塚古墳が有名です。これらの積石塚古墳は、全国的にも珍しい双方中円墳2基、前方後円墳8基、方墳1基、円墳10数基と変化に富み、規模も全長100mに近いものから直径数mのものまで様々です。このほとんどは、古墳時代前半の4,5世紀にかけて造られたものと考えられています。
石清尾山古墳群は、郷土を知る上でも、学術上からも極めて貴重な遺跡として、高い評価を得ています。

Mt. Iwaseo Burial Mounds which is located at Takamatsu city, Kagawa pref., Japan designated as a National Historical Site.

国指定史跡 石清尾山古墳群
住所:香川県高松市宮脇町2丁目 [Google Map]
Mt. Iwaseo Burial Mounds, National Historic Site
Address : 2 Miyawaki town, Takamatsu city, Kagawa pref., Japan [Google Map]

石船積石塚

1万年前以降の石清尾山には椿やウバメガシのように、常緑の丸く厚い葉を持つ樹木が中心の鬱蒼とした森林が広がっていました。現在のような松が中心となる森林は、弥生時代以降に出現したとされています。人間による開発がもたらした変化です。


石棺。4世紀半ばから5世紀にかけての有力な古墳には、刳抜式石棺と呼ばれる石で造った棺が使われています。


石棺


頭を乗せる箇所が曲面に削られているのがわかり、高度な石の加工技術があったことがわかります。


鏡塚古墳。全国的にも稀な双方中円墳。


積石塚は、日本だけにみられるものではありません。例えば、朝鮮半島にあった古代国家「高句麗」の首都「扶余(現在、中華人民共和国東北地方集安県)」にも多くの積石塚が存在します。また、中央アジアにも存在しており、積石塚は特別珍しいものではなく、極めて一般的な墓でした。これらの積石塚を遊牧民の墓とする説もあります。


さらに進みます。北大塚古墳へ。


古墳解説をして頂いた乗松博士。

小塚古墳

猫塚古墳。全国的にも稀な双方中円墳(積石塚)。石清尾山古墳群の中でももっとも大きなもので全長約96m、高さ5m。1910年に破壊されて大きく変形しています。


猫塚古墳は双方中円墳という、キャンディーのような個性的な形をしています。鏡塚古墳も同様な形で、全国的にみても類例は少なく、貴重な古墳であるといえます。


鏡、小銅剣、筒形銅器、銅鏃、土器等の多数の遺物のなかでも、内行花文精白鏡と呼ばれる鏡は、中国の前漢時代(西暦紀元前202年から紀元後8年)に作られた鏡で、北九州地方の弥生時代の墓からは多く出土しますが、古墳からの出土は猫塚古墳だけです。小銅剣も他に一例しか出土例のない珍しいものです。そして、これらの遺物を出土した石室の周囲には、多くの石室がみられたといいます。これらの事実は猫塚古墳が、一般的な古墳と比べて特異な存在であるということを示しています。

竪穴式石室。猫塚古墳の中円部には、竪穴式石室が9箇所あったと伝えられています。普通は、1,2箇所ですから、猫塚古墳の場合は比較的多いことになります。古墳時代以前の弥生時代の墓に似た例があるので、古い伝統を引き継いでいるのかもしれません。
9箇所ある竪穴式石室のひとつは露出したままでしたが、崩壊がひどいので埋めてほぞんすることになりました。


古墳のある山の上からの眺め。女木島がよくみえます。山の木が鬱蒼としていなかったとしたら、港に入ってくる船の上からも古墳がよくみえたのだろうか。古代の人々が眺めていた景色を想像するとワクワクします。

国指定史跡 石清尾山古墳群
住所:香川県高松市宮脇町2丁目 [Google Map]
Mt. Iwaseo Burial Mounds, National Historic Site
Address : 2 Miyawaki town, Takamatsu city, Kagawa pref., Japan [Google Map]

石清尾山古墳群 – Wikipedia

石清尾山古墳群(いわせおやまこふんぐん)は、香川県高松市峰山町、室町、宮脇町、西春日町、鶴市町、西宝町にわたる石清尾山塊上に所在する積石塚を特色とする古墳群。

本古墳群は、高松市街地にある標高約232メートルの石清尾山丘陵上に所在し、200基を超える円墳や積石塚や盛土墳が築造されている。積石塚は4世紀から5世紀のものである。5世紀末頃から約100年ほどの間、この地で古墳は造られなくなり、横穴式石室を有する盛土墳が造られるのは6世紀後半から7世紀前半にかけてである。1934年(昭和9年)1月に積石塚の石船(いわふね)塚が単独で国の史跡に指定。1985年(昭和60年)7月に周辺の古墳が追加指定され、史跡の指定名称が「石清尾山古墳群」に変更された。この時指定されたのは積石塚の北大塚古墳、北大塚東古墳、北大塚西古墳、鏡塚古墳、小塚古墳、姫塚古墳、猫塚古墳、石清尾山9号墳、盛土墳の石清尾山2号墳、石清尾山13号墳である。さらに東南の尾根上にある鶴尾神社4号墳(積石塚の前方後円墳)の確認調査が1981年(昭和56年)に行われ、1989年(平成元年)8月に追加指定された。以上により、国の史跡「石清尾山古墳群」は積石塚10基、盛土墳2基の計12基となった。2018年10月には稲荷山地区にある4基の古墳(稲荷山姫塚古墳、稲荷山北端古墳、稲荷山南塚古墳、稲荷山南塚北古墳)が追加指定された。稲荷山北端古墳は類例の少ない双方中円墳である。

墳丘の形状は多様である。積石塚のうち猫塚古墳、鏡塚古墳、稲荷山北端古墳が双方中円墳、北大塚東古墳が方墳、稲荷山南塚北古墳が円墳、その他は前方後円墳である。墳丘はどれも安山岩を積み上げて構築されている。

猫塚は大規模な盗掘を受け、中円部に造られていた9基の竪穴石室から多数の副葬品が検出された。内行花文鏡など銅鏡5面、銅剣17、同鏃8、碧玉製石釧(いしくろ)1、筒形銅器3、鉄剣4、鉄鏃3、鉄刀、鉄斧などの鉄製品4点、土師壺1である。出土品の大部分は1912年(大正元年)[元号要検証]東京博物館に買い上げられている。鶴尾神社4号墳から出土した獣帯方格規矩四神鏡の破片は、梅原末治が石清尾山古墳のいずれかから出土した鏡の欠損部分であることが分かり、この古墳が最古式と位置づけられた。