神戸の山の手に1964年から建つ甲南女子大学は、建築家・村野藤吾による建築設計と配置計画です。甲南女子大学の管理棟・渡り廊下・3号館が、2018年11月に文化庁の登録有形文化財に登録されました。

Campus of Konan Women’s University are designed by Architect Tōgo Murano. Tōgo Murano (1891-1984) was a Japanese architect. Although his formative years were between 1910 and 1930, he remained active in design throughout his life and at the time of his death was responsible for over three hundred completed projects.

Although his work lacked a distinctive singular style he was recognised as a master of the modern interpretation of the sukiya style. His work included large public buildings as well as hotels and department stores and he has been recognised as one of Japan’s modern masters.

甲南女子大学
兵庫県神戸市東灘区森北町6-2-23 [Google Map]

Konan Women’s University
6-2-23 Morikita town, east Nada-ku, Kobe city, Hyogo pref., Japan [Google Map]


図書館 Library


阿部記念図書館 Abe Memorial Library


天井の三次曲面


ホール

村野藤吾 – 丘のうえ 白亜の調和 甲南女子大学

1891年5月15日佐賀県唐津市で生まれ、八幡で育つ。
福岡県小倉工業学校(現小倉工業高校)機械科を卒業後、八幡製鐵所に入社。その後早稲田大学工学部電気科に入学するが、後に建築の道へ進む事を決心し、同工学部の建築科に移る。また経済学にも関心を持ち、マルクス「資本論」からヒューマニズムに深く傾倒した。

1918年大阪の渡辺節建築事務所に入所、様式建築を学ぶ。1919年に論文「様式の上にあれ」を発表(日本建築協会雑誌、建築と社会)。この渡辺事務所員時代に綿業会館(大阪市、国指定重要文化財)を担当した。

1929年独立し、村野建築事務所を開設。初期の作品・森五商店ビル(現近三ビルヂング、東京都中央区)は、当時訪日していたブルーノタウトからも高い評価を得た。シャープなモダニズム建築(旧そごう心斎橋本店など)、落ち着いた和風建築(都ホテル佳水園、なだ万山茶花荘など)、祈りの場としての神聖な建物(世界平和記念聖堂、宝塚カトリック教会など)など、300を超えるその作品は多種多様な表情をみせながらも、豊かな表現力で「ぬくもりが感じられる建築」を創作し続けたことは共通している。
また、渡辺翁記念会館(宇部市)、世界平和記念聖堂(広島市)、高島屋日本橋店(東京都中央区)は、国指定重要文化財に指定されている。

村野藤吾 – Wikipedia
村野 藤吾(むらの とうご、1891年(明治25年)5月15日 – 1984年(昭和59年)11月26日)は、日本の建築家。日本建築家協会会長、イギリス王立建築学会名誉会員、アメリカ建築家協会名誉会員。

佐賀県東松浦郡満島村(現唐津市)で代々船問屋を営む家の一男第三子として生まれた。生後すぐから12歳頃まで乳母の元に預けられ、その後両親の住む福岡県遠賀郡八幡村(北九州市八幡東区 )で育った。

1910年、福岡県小倉工業学校(現小倉工業高校)機械科を卒業後、八幡製鐵所に入社。1911年から2年間にわたる従軍中、学問に興味を持ち、1913年、早稲田大学理工学部電気工学科に入学。しかし、自分には向かないと考え、1915年、同大建築学科へ転学。27歳で卒業した。

1918年、渡辺節建築事務所に入所。日本興業銀行本店、ダイビル本館、綿業会館等の設計に携わった。渡辺からは、建築に費用を惜しまないことが客を呼び、ひいては施主の利益になることを叩き込まれる。1929年、渡辺節建築事務所を退所し、村野建築事務所開設。日中戦争・第二次世界大戦中は実作の機会は少なく、不遇の時期を過ごした。1949年、村野・森建築事務所に改称。1955年、日本芸術院会員。1967年、文化勲章受章。日本芸術院賞、日本建築学会賞など受賞多数。

代表作の一つ、日生劇場(1963年築)は花崗岩で仕上げた古典主義的な外観やアコヤ貝を使った幻想的な内部空間などが、当時の主流であったモダニズム建築の立場から「反動的」といった批判も受けた。1968年からは迎賓館本館(旧赤坂離宮)の改修も手がけた。また、村野は和風建築の設計にも手腕を発揮し、戦後の数寄屋建築の傑作として知られる佳水園なども設計した。

大阪を拠点に創作活動を行い、建築批評界では丹下健三とよく比較された。90歳を超えても創作意欲は落ちず、死の前日まで仕事をしていた。

2005年に宇部市渡辺翁記念会館(1937年築)が村野の作品として初めて国の重要文化財に指定された。翌2006年、世界平和記念聖堂(1953年築)が、丹下健三の広島平和記念資料館(1955年築)とともに、戦後建築としては初めて重要文化財(建造物)に指定された。

村野藤吾建築案内
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