1960年代から1980年代にかけて、徳島県鳴門市には建築家・増田友也さんが設計した公共建築がいくつも建てられました。徳島県鳴門市撫養町南浜にある多目的ホールを中心とした文化施設です。公共建築百選・日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されています。耐震化と設備改修のため2021年4月1日から当面の間、休館しております。

Between the 1960s and 1980s, a number of public buildings designed by architect Tomoya Masuda were built in Naruto, Tokushima Prefecture. This cultural facility, centred around a multi-purpose hall, is located in Minamihama, Natsuyo-cho, Naruto, Tokushima Prefecture. It has been selected as one of the 100 best public buildings and the architecture of the Modern Movement in Japan. The building is closed for the time being from 1 April 2021 for earthquake resistance and facility renovation.

鳴門市文化会館
住所:徳島県鳴門市撫養町南浜東浜24-7 [Google Map]
電話:088-685-7088
指定:公共建築百選、日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定
竣工:1982年(昭和57年)
設計:増田友也(京都大学増田研究室)

Naruto City Cultural Hall
Address: 24-7 Minamihama Higashihama, Natsuyo-cho, Naruto City, Tokushima Prefecture [Google Map]
Tel: 088-685-7088
Designation: Selected as one of the 100 best public buildings and selected architecture of the Modern Movement in Japan.
Design: Kyoto University, Tomoya Masuda Laboratory
Completed: 15 May 1982.

2022年6月4日撮影

鳴門市文化会館


建築家・増田友也さんの遺作。


隣の建物。鳴門市老人福祉センター、鳴門市勤労青少年ホーム。増田友也(京都大学増田研究室)設計、1977年竣工。


撫養川に面して立つ3棟の施設群は、軒高をそろえ、縦のルーバーを連立させています。施設群に挟まれた舗道は都市の広場として機能していて、都市のような秩序をつくっている点が、モダニズム建築の記録・保存を行う国際学術組織DOCOMOMO日本支部に評価されています。


撫養川


音符の道


窓。ブリーズソレイユ(日照調整装置)。


キャノピー、庇(ひさし)の曲線。


バスケットボール


廊下の窓


曲線。


舞台装置などを引き込む上部の吹き抜け空間、フライギャラリー(フライタワー)。


中庭


撫養城(むやじょう)。岡崎城、林崎城。鳴門市指定史跡。1638年(寛永15年)、一国一城令により廃城。


カラフルな窓


1948年、新しい民謡「鳴門ぶし」(作詞:檜瑛司、作曲:中山晋平)を制作・発表しました。


「鳴門ぶし」の作詞者・檜瑛司(ひのき えいじ)は、1923年(大正12年)鳴門市撫養町生まれ。


すだちくん


カラフルな窓


開口部


リューネブルク広場


ドイツ語の看板


マンホール

鳴門市文化会館
住所:徳島県鳴門市撫養町南浜東浜24-7 [Google Map]
電話:088-685-7088
指定:公共建築百選、日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定
竣工:1982年(昭和57年)
設計:増田友也(京都大学増田研究室)

Naruto City Cultural Hall
Address: 24-7 Minamihama Higashihama, Natsuyo-cho, Naruto City, Tokushima Prefecture [Google Map]
Tel: 088-685-7088
Designation: Selected as one of the 100 best public buildings and selected architecture of the Modern Movement in Japan.
Design: Kyoto University, Tomoya Masuda Laboratory
Completed: 15 May 1982.

鳴門市文化会館 – Wikipedia

鳴門市文化会館(なるとしぶんかかいかん)は、徳島県鳴門市撫養町南浜にある多目的ホールを中心とした文化施設。公共建築百選・日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定。

1982年(昭和57年)5月15日 – 市制35周年の記念事業として鳴門市文化会館を建築。京都大学の増田友也研究室が設計した。増田友也の遺作。同日開かれた落成記念演奏会ではベートーヴェンの交響曲「第九」が演奏された。鳴門市は「第九」の日本初演の地とされており、以降、鳴門市文化会館は「第九の殿堂」として知られるようになる。毎年6月に開かれる第九演奏会には全国から合唱団が集まる。
1998年(平成10年)9月25日 – 公共建築百選に選定される。
これまでにGLAY・タッキー&翼・サザンオールスターズ・いきものがかり・山下達郎・ゴスペラーズ・関ジャニ∞等といったアーティストのコンサートが催された。
2015年(平成27年)4月 – よしもとクリエイティブ・エージェンシーが指定管理会社となり、吉本新喜劇の公演などが催されるようになった。
2018年 – モダニズム建築の記録・保存を行う国際学術組織DOCOMOMO日本支部 により、「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に隣接する旧勤労青少年ホーム、旧老人福祉センター(いずれも増田友也による設計)とともに選定される。
2019年5月 – 耐震性不足を受け、鳴門市は今後の在り方を検討する庁内組織を発足させ、非公開での議論を開始した。
2019年12月 – 鳴門市は市議会で、耐震改修して存続させる方針を示した。2021年4月から休館して調査に入る。意匠を損なわずに耐震化できるかが注目されている。徳島新聞は9日の社説で免震レトロフィット工法による耐震化を提案している。

鳴門の増田建築 – Wikipedia

鳴門の増田建築(なるとのますだけんちく)は、1960年代から1980年代にかけての徳島県鳴門市において、建築家の増田友也が手がけた19の公共建築群の総称。 そのうち、鳴門市民会館、鳴門市役所本庁舎、勤労青少年ホーム、老人福祉センター、鳴門市文化会館の5作品は、DOCOMOMO JAPANによって「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選出されている。鳴門市文化会館は公共建築百選の一つでもある。

鳴門市民会館(1961)
鳴門市役所本庁舎(1963)
北灘東小学校(1972)
北灘東幼稚園(1972)
鳴門中学校(1972)
市職員共済会館(1973)
北灘西幼稚園(1974)
瀬戸幼稚園(1975)
木津保育所(1975)
勤労青少年ホーム(1975)
桑島幼稚園(1976)
瀬戸小学校体育館(1977)
老人福祉センター(1977)
北灘西小学校(1977)
鳴門第二中学校(1978)
鳴門東小学校(1979)
鳴門東幼稚園(1980)
島田小学校・幼稚園(1981)
鳴門市文化会館(1982)

増田友也 – Wikipedia

兵庫県三原郡八木村(現・南あわじ市)に生まれる。八木村は徳島県鳴門市と鳴門海峡を挟んで向き合う淡路島の南西側に位置した。1935年に京都帝国大学工学部建築学科に入学し、1年留年の上、1939年(昭和14年)に卒業した。卒業後は満州炭鉱工業会社に就職する。戦時体制が刻々と激化していく中で、いつ召集を受けるかもわからないという情勢であったが、増田は「関東軍コンクリート造船」の技術者として招かれ、試験を繰り返す3年間を過ごしたことで、結果的に戦地に送られることはなかった。1950年8月15日に京都大学工学部建築学科講師に着任する。1960年代に独自のスタイルによる建築を多数発表。京都大学増田研究室で独創的な建築空間論を確立した後、夢窓疎石の禅的な建築空間論研究から有形の作品を超えて道元の思想世界へと昇華し、マルティン・ハイデッガーの建築的存在論へと展開。そしてその思索は「建築以前」へといたる。[要出典]財団法人啓明社では、1970代後半になって低迷していた財団の活動を活性化するため、当時の山路進理事長、谷山輝雄理事らによって増田が進めていた建築・都市の学際的な研究活動を支援する提案がなされ、1977年、関西における事業として支援をおこなった。1978年に京都大学を退官、名誉教授となる。1980年、福山大学に着任。1981年8月に66歳で逝去。