江戸時代から210年以上つづく染め物屋「大川原染色本舗」 – Okawahara Dyeing Head Shop

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江戸時代から210年以上つづく染め物屋「大川原染色本舗」さんを取材。香川県宇多津町鍋谷(なべや)の獅子舞の油単(ゆたん)がかっこいい!油単とは、獅子舞がかぶっている布のことで、昔は油を染み込ませた和紙を使っていたことがその名前の由来。いまも800組の獅子舞が残っている獅子舞王国、香川。香川では、高価な絹を染めることが多く、発色が鮮やかで絢爛豪華なものが多いのが特徴。

お米の収穫に感謝する奉納の舞でもあるため、獅子舞の油単の「糊(のり)染め」に使用する糊は、香川県産のお米をつかってつくることにこだわっておられます。

漁船が無事に寄港したことを家族に伝える大漁旗、戦国時代に敵と味方を明示するために使われた旗印。古くは、遠くの人に何かを伝えるために使われていた染めの技術がいまも、祭りに華を添えています。

The Okawahara family has owned and operated a fabric-dyeing studio in the city of Takamatsu on Shkoku island for at least 210 years. The studio began as a dyeing shop which specialized in making fabrics for kimono, Flags for fisherman and cloth of Shishimai(Lion dance), using block-printing, stenciling and glue dyed methods.

The work of the Okawahara family displayed a distinctive style, with an entire repertoire of forms and original family designs. Their style of dyeing and printing became so well-known and highly respected it came to be called Sanuki-nori-zome (“Sanuki” being the former name for Kagawa pref. and “zome” being a form of the Japanse word for dyeing) the epitome of the dyeing style of the region.

大川原染色本舗
住所:香川県高松市築地町9-21 [Google Map]
電話:087-821-5769
時間:9:00〜18:30
定休:日・祝・第2土曜日

Okawahara Dyeing Head Shop
Address : 9-21 Tsukiji town, Takamatsu city, Kagawa pref., Japan [Google Map]
Tel : 087-821-5769
Time : 9:00〜18:30
Closed : Sunday / Holiday / 2nd Saturday


うどん脳?


のり染めの道具


香川県宇多津町鍋谷地区の油単



色鮮やか


藍染めの藍瓶(あいがめ)


讃岐のり染めの型枠


刷毛(はけ)


カラーチャート


「いただきさん」が通ったので一枚

大川原染色本舗

讃岐のり染の起源は、定かではありませんが、江戸時代には高松城下の紺屋町を中心に多くの染物屋が軒を連ね、主に藍染めを中心に野良着や着物が染められていました。時代の流れと共に、たくさんあった染物屋も数少なくなりましたが、当本舗は代々その伝統を受け継ぎ、創業200年を超えました。
現在は、のり染の技法を守りながら新しい技法も取り入れ、のれん・のぼり・旗・神社幕・ハッピ・獅子舞ゆたんなどを染めています。とりわけ、ここ香川は、獅子舞やうどんによる讃岐特有の文化が根付いています。その文化が、のり染の技術を守り育ててくれています。
「伝統を守り、確かな技術でしっかりとした物を作る。」シンプルですが、とても難しくやりがいのある仕事だと感じています。これからも、日々精進してまいりますので、末永くご愛顧の程よろしくお願いします。

大川原染色本舗のあゆみ

初代富造は文化元年(1804年)、高松の東に位置する志度で、そこの藩主に使える馬番でした。今でいうお抱えの運転手で将来有望視されていました。
ところが八百蔵はその役職に飽きたらず「よし、男は独立して何か世の中の役に立つ事をしよう」と、志度から西、時の政権徳川幕府の親藩大名松平公の城下町 高松に出てきました。活気のある城下町でそこにはいろいろな腕に自信のある職人がいっぱい住んでおりました。どの職人も自分のやる仕事に誇りを持っていて輝いておりました。
そんな中で富造の目に止まったのは、町のファッションクリエイターである紺屋(こうや)でありました。「これなら今をときめくモードの仕事ができるに違いない」と、町一番の腕利き染め職人の戸をたたいたのです。
それから数年、血の滲むような修業の末富蔵はやっと独立するまでになったのです。型による藍染めを生業にしていました。その推移は不明だが町でも評判に なっていました。時は日本の美術史にもその名を知られた文化・文政の時代、日本は外国の影響を受けない日本らしい文化を作っている時代です。そんな中で庶民の服を染め(当時は藍染めが主でした)充実した生活を送っていたそうです。

2代目八百蔵が跡を継ぎ、店は瞬く間に大きくなっていきました。

3代目久次郎が初めて筒描きを手がけるようになってきました。
政権も江戸幕府から明治に変わり、文明開化に突入していました。

4代目熊造の時本格的な筒描きを始めたそうです。
家業を継ぎながらも人望が厚く、高松市議会議員を三期もつとめ益々発展を遂げていったのです。

5代目計一は、混乱期(第二次世界大戦)を、うまく乗り切り当時は軍服や服の染め直しを主に家を守ったのです。戦後仕事場を今の築地町に移し(戦災により)戦後の復興を図ったのです。

6代目静雄は、勉強に勉強に励みこの家業を国際的に仕上げたのです。もとより文字に深く関わりのある仕事だけに書道を勉強していた彼は、1978年アメリカ・シアトルにある州立ワシントン大学に客員講師として招かれ、書道と染色を一学期間指導に行ったのです。それがきっかけで

1986年ハワイの美術館でデモンストレーション
1991年ハワイにて染色教室
1993年シアトル桜祭りにて染色のデモンストレーションと作品展示及びエバグリーン大学で親子展
1995年シアトル桜祭り参加
という海外交流が盛んに行われるようになりました。
1997年12月12日 有限会社大川原染色本舗として新しい出発を迎えました。

7代目誠人が新社長に就任。
1998年紙町に新工場を開設今後益々発展していきます。

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2 Comments

  1. 三木正博

    高松にもこうしたすばらしい染色技術があると知り、高松出身の小生もうれしく思いました。
    ちょっと英文で気になることがありましたので、お節介とは存じますが、以下申し上げます。
    stenciling and batiking とありますが、このbatikingとは普通ろうけつ染めのことをいいますが、この染は、わざわざ「のり染め」とおっしゃっておられるように、輪郭の防染を蝋 waxではなく、昔の京友禅のように糊でやる、つまり糊糸目 rice-paste resisting を用いていると存じます。
    このため、ろうけつ染めと混同されないよう、batikingは用いない方がよいと思います。以上参考にしていただければ幸いです。

    • yousakana

      コメントありがとうございます。ご指摘感謝です!香川県は日本で一番現役の獅子舞の数が多いのですが、その油単(ゆたん)の多くがこの染物屋さんにお世話になっております。

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