全国から集まる鉄道車両を改造・整備することでん仏生山工場の職人、山下良吉さんの記事を読む。

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全国から集まる鉄道車両を改造・整備することでん仏生山工場の技術を引き継ぐため、
定年退職後も2度の再雇用で現場に立ち続ける山下良吉さんの記事です。

ジグザグかがわ・人:「ことでん」で整備、山下良吉さん /香川

◇定年後も現場に立つ 「動く電車博物館」支えた技術伝授

昨年11月、開業100周年を迎えた「ことでん」(高松琴平電鉄、高松市)。日々の運行を支えるのは、全国の鉄道から集まった車両を改造し、整備する仏生山車両所(同市仏生山町)の技術と知識、経験。それを引き継ぐため、定年退職後も2度の再雇用で現場に立ち続けるのが、山下良吉さん(67)だ。【馬渕晶子】

架線からパンタグラフで取り込んだ電流は、電車を走らせるモーターを動かし、空調や照明、ドアの開閉などにも欠かせない。それらを制御する電気機器の整備を41年間担当し、「車両所の生き字引」と呼ばれている。

大阪市生まれだが、1970年、高松市出身の女性との結婚を機に、大阪市交通局から転職。他社から古い車両の購入が本格化したころだった。現在は、名古屋市交通局と京浜急行電鉄(東京都)、京王電鉄(同)の3社の車両だけだが、かつては阪神電鉄(大阪市)や玉野市営電鉄(岡山県)など、全国各地の引退車両が走り、「動く電車博物館」と呼ばれた。それを可能にしたのが、車両所の高い技術力だった。

車種ごとに、構造も図面も整備基準も違う。マニュアルはなく、一から検討し、ことでん仕様に改造する。自宅でも図面や専門書を広げ、必要な本は大阪まで買いに行った。「研究熱心に、こつこつと勉強してきた」と振り返る。

メーカーも想定しなかった部品の不具合を突き止め、独自の点検方法を考え出したことも。架線電圧600ボルトで走っていた車両は、ことでんの1500ボルトで走るように改造した。当初は、故障で電車が止まることが多く、制御装置の配線と格闘した。朝や夕方のラッシュ時には緊張感が走り、夜中に図面が頭に浮かんだという。

「一人前になるには、10年かかる」という職人の世界。しかし、01年にことでんが経営破たんすると、車両所も若手、中堅を中心に半数近くが退職していった。現在はかつてとほぼ同じ人数に戻ったが、30人のうち11人が勤続10年未満と影響は残り、経験不足が課題となっている。

そんな現場で不可欠とされてきたが、「いつか、誰かが私を追い越してくれる」という思いで、そろそろ引き際を見極めるつもりだ。電気機器担当の後継者も着実に成長している。

その一人が、次男耕三さん(39)。高校卒業後、県立高等技術学校で1年間電気を学び、20歳で入社。以来、20年近く、父の技術を間近で学び、自宅でも図面を一緒に読み込んできた。「父は疑問に何でも答え、みんなに慕われ、尊敬している」と話す。

「息子には人一倍厳しく指導してきた」という山下さんも「あとは場数を踏めば、技術も蓄積され、応用できるようになる」と、今は耕三さんを認めている。

「今日も当たり前のように電車が走っていることが何よりの喜び」という二人。世代を超え、ことでんを守り続けていく。

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参考:
ことでん開業100周年記念イベント開催! | ことでん100周年 | ことでんグループ
写真家 GABOMI (ガボミ)の、PHOTOブログ。 : ことでん百年目の写真展。【仏生山工場編】まとめ
仏生山駅 – Wikipedia
ことでん(高松琴平電鉄)仏生山工場 600形入場入れ替え作業 デカ1 – YouTube
ことでん1300形1307仏生山工場搬入作業 – YouTube

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2 Comments

  1. kuroushirou

     子供の頃から、琴電の電車がが走っているのが当たり前のことでした。これからも、『当たり前』のように琴電の電車が走り続けられる事を望みます。

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