6月6日は、豊島(てしま)の公害調停の日。水が湧き、文字通り豊かな島、瀬戸内海の豊島でおきた日本最大級の産廃事件の公害調停が成立した日です。2000年(平成12年)6月6日に、日本最大級の不法投棄事件「豊島事件」の公害調停が成立し、香川県による本格的な処理事業が始まりました。

6 June is Teshima Pollution Conciliation Day. On 6 June 2000, a pollution settlement was reached in one of Japan’s largest cases of illegal dumping on Teshima, an island literally rich in water, in the Seto Inland Sea, and a full-scale treatment project by Kagawa Prefecture was launched.

14年かけて無害化処理が完了した日本最大の産業廃棄物事件に関わった島民の皆さんの声を聞いて歩いております。一つの事件ですが、関わった人の視点によって見え方が様々なので、できるだけ多くの人の立場から話を聞くようにしております。多くの心に残る言葉を豊島の皆さんから頂きましたが、特に印象的だったのは、「これまで日本中の多くの人のお世話になった。そういう方々への感謝の気持ちを忘れてはいけない。それが一番大切。」という豊島住民会議の元議長・砂川三男さんの言葉でした。

豊島産廃処分場
住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3158-1 [Google Maps]

Teshima Industrial Waste Disposal Plant
Address: 3158-1 Ieura, Teshima, Dojo-cho, Shodo-gun, Kagawa Prefecture, Japan. [Google Maps]

写真左端が産廃廃棄現場(東京ドーム6個分の面積)。写真右上には家浦の集落と港が見える。港から写真中央を斜めに走る未舗装の狭い山道を、10トンダンプが往復して産廃を運び込んだ。(国土地理院)
写真左端が産廃廃棄現場(東京ドーム6個分の面積)。写真右上には家浦の集落と港が見える。港から写真中央を斜めに走る未舗装の狭い山道を、10トンダンプが往復して産廃を運び込んだ。(国土地理院)

不法投棄事件の現場(1974年撮影)。 まだ処分場の許可は降りておらず、産廃の持ち込みは開始されていない。元々は土砂採取を行った跡地であった。(国土地理院)
1974年、豊島。不法投棄事件の現場(1974年撮影)。 まだ処分場の許可は降りておらず、産廃の持ち込みは開始されていない。元々は土砂採取を行った跡地であった。(国土地理院)

2017/06/26撮影


豊島住民3万人の署名提出


汚染された水



処理施設


「私たちは健康と生活を守り、先人たちより受け継いだ美しい豊島を自らの手により取り戻し子孫に継承していくため、処分地の産業廃棄物の全面撤去等を求めて、ここに団結し息長く行動して行くことを決議する」1993年(平成5年)12月9日
産廃の撤去を求める豊島住民大会

Teshima – Wikipedia

Teshima (豊島) is an island located in the inland sea of Japan, between Naoshima and Shōdoshima islands, and is part of Kagawa Prefecture. It has an area of 14.5 square kilometres (5.6 square miles) and a population of about 1,000 people. Teshima is one of the locations of the Setouchi Triennale, also known as the Setouchi International Art Festival.

History
Teshima has been inhabited for 14,000 years. The island was the subject of a scandal in which 600,000 tons of toxic waste were illegally dumped on the island. In 2000, after a 25-year legal battle, the waste was transported to Naoshima for processing. The Teshima Art Museum opened on the island in 2010.

豊島 (香川県) – Wikipedia

豊島総合観光開発(豊島開発)が1975年から16年間にわたり、豊島の西端の海岸近くに産業廃棄物を大量に不法投棄して問題となった。1990年に発覚し、当時は戦後最大級の不法投棄事件と言われた。これを受け、翌1991年には廃棄物処理施設の設置が届出制から許可制となるなど規制が強化されたが、1999年に発覚し国内最大規模と言われた青森県・岩手県境の不法投棄事件を防ぐことができなかった。

豊島開発の実質的経営者は父親の代より豊島に移住し、豊島家浦字水ケ浦に28.5ヘクタールの土地を所有していた。1975年12月に豊島開発は香川県に対して有害廃棄物処理場建設の申請を行った。豊島の住民はただちに反対運動を開始し、1976年に豊島住民1425名の反対署名を香川県へ提出している。1977年に住民らは「廃棄物持込絶対反対豊島住民会議」を結成、3月4日には豊島住民515名が香川県庁へデモに押しかけ、6月28日には豊島住民が高松地方裁判所に処分場建設差し止め裁判申立を行うなど、激しい反対運動を展開した。処分場予定地に通じる道路に杭を打ち、道路を封鎖するなどの実力行使も行われた。これら反対運動に激昂した経営者は、住民を脅したり暴行傷害事件を起こしたりして逮捕された。

経営者逮捕によって旗色が悪くなった豊島開発は、廃棄物処理場建設の名目を「ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理」に変更する。1978年2月1日、香川県知事(当時)の前川忠夫は、先の処分場建設差し止め裁判の結論を待たずに、ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理に限定して処分場建設を許可した(廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一四条一項)。前川は「迷える子羊も救う必要がある。事業者は住民の反対に遭い生活に困っている。要件を整えて事業を行えば安全であり問題はない。それでも反対するのであれば住民エゴであり事業者いじめである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」と述べて、処分場の計画に反対する住民を非難し、処分場を許可する方針を貫いた。同年10月19日、「産業廃棄物を豊島に持ち込まない」「豊島の環境を悪化させない」等の条項を定めた高松地裁での処分場建設差し止め裁判の和解が豊島開発との間に成立した。豊島開発が許可された事業内容は、汚泥(製紙汚泥及び食品汚泥)、木屑及び家畜の糞の収集運搬業及びミミズによる土壌改良剤化処分業であった。

総務省|公害等調整委員会|豊島産業廃棄物水質汚濁被害等調停申請事件(平成5年(調)第4号・第5号・平成8年(調)第3号事件)

事件の概要
 香川県小豆郡土庄町豊島に長期間にわたり大量の産業廃棄物が不法投棄されたとして,平成5年11月11日,豊島の住民438人から,香川県知事に対し調停を求める申請があり(公害紛争処理法第27条第1項),同月15日,同島の住民111人から参加の申立てがあった。
 この調停申請は,香川県,同県職員2人,不法投棄を行った廃棄物処理業者,その実質的な経営者及び同人の父親並びに21の廃棄物排出事業者を被申請人(相手方)として,(1)共同して豊島内の家浦字水ヶ浦3151番地の1外49筆の土地(面積約28.5ヘクタール,以下「本件処分地」という。)上に存在する一切の産業廃棄物を撤去すること,(2)連帯して申請人ら各自に対し金50万円を支払うことを求めるものであり,その理由は,被申請人らが,違法な産業廃棄物の処理を行い,又はこれに関与し,あるいは廃棄物処理業者に対する適切な指導監督を怠ったために,本件処分地に有害物質を含有する膨大な量の産業廃棄物が放置され,申請人らに水質汚濁による被害が生ずるおそれが生じており,現に申請人らは多大の有形無形の不利益を被り続けているというものである。

調停条項(2000年 平成12年6月6日)|香川県

1 香川県小豆郡土庄町に属する豊島は、瀬戸内海国立公園内に散在する小島の一つである。この豊島に、産業廃棄物処理業を営む豊島総合観光開発株式会社は、昭和50年代後半から平成2年にかけて、大量の産業廃棄物を搬入し、本件処分地に不法投棄を続けた。
豊島の住民は、平成5年11月、上記業者とこれを指導監督する立場にあった香川県、産業廃棄物の処理を委託した排出事業者らを相手方として公害調停の申立てをした。
2 当委員会は、調停の方途を探るため本件処分地について大規模な調査を実施した。その結果、本件処分地に投棄された廃棄物の量は、汚染土壌を含め約49.5万立方メートル、56万トンに達すること、その中には、重金属やダイオキシンを含む有機塩素系化合物等の有害物質が相当量含まれ、これによる影響は地下水にまで及んでいることが判明した。このような本件処分地の実態を踏まえ、調停を進めた結果、平成9年7月申請人らと香川県との間に中間合意が成立し、香川県は、本件処分地の産業廃棄物等について、溶融等による中間処理を施すことによって搬入前の状態に戻すこと、中間処理のための施設の整備等について、香川県に設置される技術検討委員会に調査検討を委嘱することなどが確認された。

3 技術検討委員会は、平成9年8月から同12年2月にかけて調査検討を行い、その成果を第1次ないし第3次の報告書にまとめた。その中で同委員会は、本件処分地の産業廃棄物等の処理は焼却・溶融方式によるのが適切であり、この方式による処理を、豊島の隣にある直島に建設する処理施設において、二次公害を発生させることなく実施することができる旨の見解を表明した。この焼却・溶融方式は、処理の結果生成されるスラグ、飛灰などの副成物を最終処分することなく、これを再生利用しようとするものであり、我が国が目指すべき循環型社会の21世紀に向けた展望を開くものといえる。

植生の回復について | 豊島事件を見る | 豊島(てしま)・島の学校

豊島の植生回復と生物多様性について
嶋 一徹(しま かずとう) 岡山大学学術研究院環境生命自然科学領域

公害調停条項の前文には「豊島が瀬戸内海国立公園という美しい自然の中でこれに相応しい姿を現すことを切望する」と明記されており、島の人々は廃棄物の搬出処理だけでなく、自然の景観についても原状回復を強く願っています。 豊島を含む瀬戸内一帯は温暖な気候であり、伐採などの撹乱が100年以上なければ、シイ·カシ類などの照葉樹が優占する森林が形成されると言われており、その面影は檀(壇)山頂上付近に残されたスダジイ林に見ることができます。 しかし、これは例外的な存在であり、瀬戸内沿岸の大部分は、古くから薪炭林や落葉採取の場として人々の生活を支え、穏やかな撹乱を受けながら植生が維持されてきました。これを「代償植生」と呼び、豊島ではアカマツやコナラ、ウバメガシが上層を優占し、その下層にはツツジ類やヒサカキ、シャシャンボなどの低木類が繁茂しています。そして、このような植生が豊島の人々の記憶にある取り戻したい自然景観ではないでしょうか。 では現状はどうでしょうか? 柚(ゆ)の浜北側、つまり水ヶ浦側の処分地から南東に山の稜線を越えた地は、1970年頃から山腹が切削されつつ表土が採取し尽くされたあと、40年以上も放置されています。一見すると緑が回復しているように見えます。 しかし、調査すると種の多様性は極めて低く、植生遷移もほとんど進んでいない実態が明らかになりました。周囲の斜面に分布しているコナラ、ヤマザクラなどの高木性樹種や、早春を彩るコバノミツバツツジもほとんど分布していません。このことは産廃処理跡地を放置しても多様性豊かな元の自然景観は戻ってこないことを示唆しています。 では、どうすればよいでしょうか。われわれが行うべきことは「自然を造成する」のではなく、植生遷移の流れに沿って自然がゆっくり回復できるように補助してあげることです。そのためには多種多様な埋土種子を含んだ周辺の表土を撒き出したり、風散布や鳥散布で供給された種子が発芽·定着できる環境を整備する必要があります。

認定NPO法人瀬戸内オリーブ基金 「豊島·ゆたかなふるさと100年プロジェクト」 パンフレット『国立公園の原状回復事業植生回復の作業について』(2022年)より

豊島観光ナビ

豊島について
穏やかな瀬戸内海に位置する豊島は、面積14.5km²、人口約760人の島です。島の中央にそびえる壇山からは湧水が出ており、古代から現在に至るまで豊島の稲作、農業、そして人々の生活を支えています。近代に入ってからは酪農が栄えたこともあり「ミルクの島」と呼ばれ、戦後間もなく先進的な福祉施設ができたことから「福祉の島」としても知られてきました。1970年代から始まった産業廃棄物の不法投棄は、全国的にも最大規模の産廃問題となりましたが、不法投棄された廃棄物の処理もすすみ、環境の再生を目指した取り組みが続いています。 2010年には豊島美術館をはじめとする現代アートの施設もでき、国内外から多くの方が訪れています。

豊かな島
穏やかな瀬戸内海の香川県と岡山県の中間あたりに位置する、面積14.5㎢、人口約760人の島です。 その台地は花崗岩を基盤にし、「豊島石」と呼ばれているやわらかい凝灰岩と、硬い安山岩からなっています。島に降る雨はこれらの岩を通して浄化され、島の中央にそびえる標高約330メートルの檀山に蓄えられ、おいしい水となってふもとの集落に届けられます。檀山のすそ野に位置する唐櫃岡の集落には、現在まで枯れたことがないという湧き水の出ている場所があり、「唐櫃の清水」と呼ばれています。
瀬戸内の島では、水道管が整備される前からの稲作は珍しいことだと言われていますが、豊島では、この豊富な水を利用した稲作が古くから盛んにおこなわれていました。島を巡ると、いたるところに田んぼや田んぼであった場所があり、その傍らには貯水池を見ることができます。その数は300を超えていると言われ、豊島の地形や自然環境をうまく利用した先人の知恵の面影を感じることができます。 また、豊かな漁場である瀬戸内海に囲まれ、漁業も盛んにおこなわれていました。こうした島の成り立ちが、文字通りこの島を「豊かな島」としてはぐくんでいます。