Mt. Shiude Sakura Season Information | Mitoyo Tourism and Exchange Authority

Sakura Season 2022 Saturday, March 26th – Monday, April 11th Entry restrictions will be in effect during the above period.
Notice Purchase of Entry tickets for personal vehicles will be available beginning early March.
Blooming Period Mt. Shiude’s elevation of 352 meters means that cherry trees located on the summit typically begin to bloom about 4 days to 1 week later than cherry trees in the surrounding area at lower elevations. Once the flowers have begun to bloom, it takes a full week for them to reach full bloom. Blossoms typically remain in full bloom for 1 week. Previous Years’ Full Bloom Dates 2018: March 31・2019: April 8・2020: April 5・2021: March 29

紫雲出山桜シーズン交通規制のご案内について | 三豊市観光交流局

桜シーズン2022年3月26日(土)~4月11日(月)上記期間中は入場制限および交通規制を実施中。
桜の開花時期 標高352mの紫雲出山山頂の桜は、平地より通常4日~1週間ほど開花が遅れます。 開花から満開までに1週間 ほどかかり、見頃は約1週間続きます。 (年により変動あり) 《参考》 2018年 : 3/31満開  2019年 : 4/8満開  2020年 : 4/5満開  2021年 3/29 満開。

入場のご案内桜が咲く山頂付近には、限られた駐車スペースしかありません。来場者数の入場を制限するため、オンラインで事前予約を行った車両のみ入山できます。

紫雲出山(しうでやま)からみる瀬戸内海の島々を撮影してきました。個人的なベストショットは、肩ぐるまして瀬戸内海を一生懸命撮影している小さな子。お祭りや花畑もそうですが、その風景そのものより、それを見つめる人々の眼差しが気になります。

The view to Islands of Seto Inland Dea from Mt. Shiude. I live in a country where the cherry blossoms are beautiful. When the spring has come, the beautiful cherry blossoms bloom and many people come to see the flowers.

紫雲出山(しうでやま)山頂展望台
香川県三豊市詫間町箱 詫間町大浜乙451-1 [Google Map]

Observation deck of Mt. Shiude 
451-1 Ohama, Takuma town, Mitoyo city, Kagawa pref., Japan [Google Map]


肩ぐるまして、子どもも撮影


ハナニラ(Spring star)。
葉っぱにニラやネギのような匂いがあるのでこの名前がついています。


お花見


幻想的な伊吹島。夏になると、うどんダシに欠かせない「いりこ」の漁で賑わう島です。


紫雲出山遺跡 – Wikipedia

紫雲出山遺跡(しうでやまいせき)は、香川県三豊市詫間町に所在する弥生時代中期後半の高地性集落遺跡である。

本遺跡は、燧灘(ひうちなだ)に突出する岬上の先端にそびえる標高352メートルの紫雲出山山頂にあり、絶好の視野と眺望とに恵まれている。
本遺跡の出土遺物の種類は、普通の集落跡における一通りのものがそろっており、その点では特殊性は認められない。従って、紫雲出山遺跡は、防砦・見張台・烽台(のろしだい)というようなもののみによって成り立っている特殊な遺跡ではなく、軍事的・防御的性格を帯びた集落遺跡と考えられる。また、畿内と密接な関係を保ちながら内海航路の監視の重要な拠点であった可能性も考えられる。
本遺跡は、弥生時代中期の初めごろから始まって、出土遺物の量から判断して、中期も終わりに近づくにつれて集落の規模が拡大し、人口も増加したらしいが、中期をもって終わっている。政治・社会の変革は、もはや不便な山頂に居住することを必要としなくなったのであろう。そして、本遺跡の東南約2キロメートルの低地に後身の船越集落が出来ている。
本遺跡から出土の石の矢尻や剣先が豊富な事実と矢尻の重さから、弥生時代に戦いがあったと佐原は考えた。
1947年(昭和22年)4月、山頂での造園植樹中に土器が出土したのが遺跡発見の端緒となった。1955年(昭和30年)12月、小林行雄が調査することになった。1957年(昭和32年)8月までに第3次調査が行われ、中期前半の土器・貝輪・鹿角製結合式釣針・獣魚骨を含む大型二枚貝・サザエを主体とする貝塚が出土している。また、1988年(昭和63年)8月、資料館建設に伴う発掘調査で、2.8×3.2メートルの円形竪穴住居址一基、一辺2.5メートル、一間四方の高床倉庫一基が検出された。住居跡は朝鮮半島の松菊里との関係が注目される。

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