香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)にある、高松藩・松平家の菩提寺『法然寺(ほうねんじ)』の紫陽花がきれいです。

The hydrangeas at Hōnenji Temple, a family temple of the Matsudaira family of the Takamatsu Domain, are beautiful.

法然寺(ほうねんじ)
住所:香川県高松市仏生山町甲3215 [Google Map]
電話:087-889-0406
境内開門時間:8:00〜18:00
指定:国指定史跡 高松藩主松平家墓所 (2019年2月26日)

Honenji Temple
Address: 3215 Fushozan-cho Kou, Takamatsu City, Kagawa Prefecture [Google Map]
Tel: 087-889-0406
Temple precinct opening hours: 8:00-18:00
Designation: National Designated Historical Site Tomb of the Matsudaira Family, Lord of the Takamatsu Clan (26 February 2019)

2022年06月撮影


五重塔。法然上人八百年遠忌記念事業として2011年1月25日に新築


来迎堂(らいごうどう)


幕末までの高松藩の歴代藩主7人が眠る「高松藩主松平家墓所」は、国史跡に指定(平成31年2月26日)


「阿(あ)」


「吽(うん)」

法然寺(ほうねんじ)
住所:香川県高松市仏生山町甲3215 [Google Map]
電話:087-889-0406
境内開門時間:8:00〜18:00

Honenji Temple
Address: 3215 Fushozan-cho Kou, Takamatsu City, Kagawa Prefecture [Google Map]
Tel: 087-889-0406
Temple precinct opening hours: 8:00-18:00

法然寺の歴史 | 仏生山来迎院法然寺(高松市)

歴史
1207年、浄土宗の祖、法然上人は75歳にして京の都から四国に配流となりました。小松庄(現まんのう町)生福寺に籠居し念仏を説かれること10カ月間、ここに法然上人の足跡が四国さぬきにとどめられることとなったのです。
時は移り江戸時代のはじめ、初代高松藩主松平賴重公は、法然上人の徳を慕って上人ゆかりの生福寺を高松に移し、藩主家菩提寺を開きます。名付けて仏生山来迎院法然寺。それはきわめて特色のある伽藍配置で、極楽浄土をこの世に現す寺として、また庶民に開かれた寺として、さぬきの人々の信仰をおおいに集めて今日にいたっています。

松平賴重公
法然寺の中興開基、松平賴重公は1642年、弱冠21歳にして高松12万石の藩主となります。ここに高松松平家藩祖が誕生します。以後、明治維新を迎えるまでの200年以上にわたり松平家歴代藩主が高松を治め、法然寺を藩主の菩提寺としてきました。
そもそも賴重公は、水戸徳川の長子であり、徳川家康の孫にあたります。父徳川賴房は御三家の一つ、水戸徳川家の始祖。しかし兄の尾張と紀伊、いずれにもまだ男子の誕生がなかったため、賴重公は家臣に預けられ、弟の光圀が水戸二代となります。
賴重公は幼い頃より京都の公家や寺で学問教養を身につけたのち、やがて将軍家光に謁見。こうして若き殿様の誕生となったのです。
一方、弟の水戸光圀(黄門様)は、兄のことを心苦しく思い、兄賴重の子息を水戸三代とし、また賴重公は光圀の長子を高松二代藩主に。こうして水戸徳川・高松松平両家の交互に養子とする慣例が始まったのでした。
高松藩主となった賴重公は、新しい藩政に意欲的に挑みます。産業振興のために、当時の文化の中心である京都からさまざまな職人を招いて最新技術を積極的に移入。また学問や文化にも意を用い、後水尾上皇、東福門院(賴重公のいとこ)とは和歌などを通しての交流が続きました。

法然寺 – Wikipedia

法然寺(ほうねんじ)は、香川県高松市にある浄土宗の寺院。山号は仏生山。詳しくは、仏生山 来迎院 法然寺と称する。本尊は法然作と伝わる阿弥陀如来立像。法然上人二十五霊場第二番札所、さぬき七福神の大黒天。

御詠歌:おほつかな たれかいいけん 小松とは 雲をささふる 高松の枝

鎌倉時代前期の建永2年(1207年)に讃岐に配流された浄土宗開祖の法然が立ち寄った那珂郡小松荘(現まんのう町)に生福寺が建立される。

江戸時代前期の寛文8年(1668年)に徳川光圀の実兄にあたる高松藩初代藩主松平頼重が、戦乱で荒れ果てていた生福寺を法然寺と改名して、香川郡百相郷(現在地)に3年の歳月を要し移転・建立した。寺院背後の仏生山丘陵上を削平し「般若台」と呼ばれる松平家の墓所を設けて、当寺院を高松松平家の菩提寺とした。

本堂(明治40年(1907年)に再建)・三仏堂(別名:涅槃堂)・二尊堂・来迎堂・十王堂など現在も当時の建物が多く残っていたが、平成26年(2014年)1月13日に二尊堂が全焼で初の火災となった)。

高松藩主松平家墓所|高松市

高松藩主松平家墓所は、江戸時代、初代松平賴重(よりしげ)以下、幕末に至るまでの歴代藩主を葬った大名家墓所で、仏生山町の法然寺と、さぬき市造田の霊芝寺(れいしじ)の2か所からなる。法然寺の墓所は、初代賴重をはじめとして3代賴豊(よりとよ)から8代賴儀(よりのり)までの7人の藩主、正室、一族からなる202基の墓が一体的に営まれたもので、全国でも有数の規模を誇っている。その様相は、初代藩主賴重を頂点とする生前の身分に応じて埋葬位置や墓の規模が明確に区分されるなど、階層関係の表現が顕著に認められる。なお、墓所は、法然寺の柵門(さくもん)から入り南北両側の前池(まえいけ)と蓮池跡(はすいけあと)との間を西へ向かって一直線に延びた参道の奥の般若台(はんにゃだい)と呼ばれる丘の上に設けられており、これらの境内の空間構成は、初代賴重が帰依(きえ)した浄土信仰における火や水の河に挟まれた白道(びゃくどう)を通り極楽浄土へ至るという「二河白道(にがびゃくどう)」の教えを具現化したものと考えられる。

国指定文化財等データベース

御三家に次ぐ大名家の家格である高松藩主松平家の墓所。将軍家が帰依した浄土宗の墓所である法然寺には初代,3代から8代藩主のほか正室,一族など222基の墓があり,霊芝寺には儒式で葬られた2人の藩主の墓がある。