香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)町にある、法然寺(ほうねんじ)の涅槃(ねはん)像が、東京・京都・福岡で開催される特別展「法然と極楽浄土」にて展示されています。涅槃(ねはん / ニルヴァーナ / nirvāṇa)とは、すべての煩悩の火が吹き消された状態、悟りの境地を意味します。お釈迦さまが亡くなられた(入滅した)ことを、身体的な苦からも脱して「涅槃に入る」と表現します。「京都・嵯峨の立釈迦、さぬきの寝釈迦」として、古くから知られている讃岐の寝釈迦。涅槃の釈迦のまわりには、嘆き悲しむ十大弟子(じゅうだいでし)や羅漢聖衆(らかんしょうじゅ)や動物たち、天井には釈迦の母・摩耶夫人(まやふじん)、見守る阿弥陀(あみだ)・釈迦(しゃか)・弥勒(みろく)の本尊三仏。ぜひ、この機会に、全国的にも珍しい立体涅槃の世界を御覧ください。

The statue of Nirvana from Hōnenji Temple in Busshōzan, Takamatsu City, Kagawa Prefecture, is on display at the special exhibition ‘Hōnen and the Paradise’ in Tokyo, Kyoto and Fukuoka. Nirvana (nirvāṇa) means the state in which the fire of all worldly desires has been extinguished, the state of enlightenment. The Buddha’s death (nirvāṇa) is described as ‘entering nirvana’, having left physical suffering behind. The Reclining Buddha of Sanuki has long been known as “the Standing Buddha of Saga in Kyoto and the Reclining Buddha of Sanuki”. Surrounding the reclining Buddha are the ten great disciples, Rakanshozu and animals in mourning, Shaka’s mother Maya Fujin on the ceiling, and the three main Buddhas Amida, Shaka and Miroku watching over him. Please take this opportunity to visit the world of three-dimensional nirvana, which is unique in the country.

特別展「法然と極楽浄土」

東京展
期間:2024年4月16日(火) ~ 6月9日(日)
場所:東京国立博物館 平成館

京都展
期間:2024年10月8日(火)~12月1日(日)
場所:京都国立博物館 平成知新館

福岡展
期間:2025年10月7日(火)~11月30日(日)
場所:九州国立博物館

Special exhibition ‘Honen and the Paradise’

Tokyo Exhibition
Period: 16 Apr (Tue) – 9 Jun (Sun), 2024
Venue: Heiseikan, Tokyo National Museum

Kyoto Exhibition
Period: 8 Oct (Tue) – 1 Dec (Sun), 2024
Venue: Heiseikishinkan, Kyoto National Museum

Fukuoka Exhibition
Period: 7 Oct (Tue) – 30 Nov (Sun), 2025
Venue: Kyushu National Museum

特別展「法然と極楽浄土」

仏涅槃群像(ぶつねはんぐんぞう) 江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 (注)本展では、涅槃像と群像の一部を展示します。
仏涅槃群像(ぶつねはんぐんぞう) 江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 (注)本展では、涅槃像と群像の一部を展示します。

仏生山・法然寺の涅槃像が、東京・京都・福岡と旅してます。東京国立博物館の展示は、6月9日(日)まで。普段は撮影不可の涅槃像ですが、展示では撮影OKとのこと。お見逃しなく。写真はグッズの涅槃像ノート。

仏生山・法然寺の涅槃像が、東京・京都・福岡と旅してます。東京国立博物館の展示は、6月9日(日)まで。普段は撮影不可の涅槃像ですが、展示では撮影OKとのこと。お見逃しなく。写真はグッズの涅槃像ノート。

「仏涅槃群像」は、通常絵画として表される釈迦入滅の場面を、群像で立体的に表している作品です。多数の像のうち、東京会場では2メートルを超える大きさの涅槃像と、羅漢、八部衆、動物など26体を展示します。「仏涅槃群像」は写真撮影可能となっておりますので、群像の世界に入り込んだような感覚で記念撮影もお楽しみいただけます。

平安時代末期、繰り返される内乱や災害・疫病の頻発によって世は乱れ、人々は疲弊していました。比叡山で学び、中国唐代の阿弥陀仏信仰者である善導(ぜんどう、613~681)の教えに接した法然(法然房源空、ほうねんぼうげんくう、1133~1212)は、承安5年(1175)、阿弥陀仏の名号を称えることによって誰もが等しく阿弥陀仏に救われ、極楽浄土に往生することを説き、浄土宗を開きました。その教えは貴族から庶民に至るまで多くの人々に支持され、現代に至るまで連綿と受け継がれています。

本展は、令和6年(2024)に浄土宗開宗850年を迎えることを機に、法然による浄土宗の立教開宗から、弟子たちによる諸派の創設と教義の確立、徳川将軍家の帰依(きえ)によって大きく発展を遂げるまでの、浄土宗850年におよぶ歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によってたどるものです。困難な時代に分け隔てなく万人の救済を目指した法然と門弟たちの生き方や、大切に守り伝えられてきた文化財にふれていただく貴重な機会です。

Special Exhibition
Hōnen and Pure Land Buddhism

Japanese Archaeology and Special Exhibition (Heiseikan) Special Exhibition Galleries
April 16, 2024 (Tue) – June 9, 2024 (Sun)

The Japanese priest Hōnen (also known as Hōnen-bō Genkū, 1133–1212) was the founder of the Jōdo Shū, Japan’s first Pure Land school of Buddhism. He lived amid a turbulent era spanning from the end of the Heian period (794–1192) to the beginning of the Kamakura period (1192–1333). During this age of upheaval, Hōnen gained widespread support by advocating that anyone, regardless of their rank or circumstances in life, has the potential to attain salvation and be born into the Pure Land paradise of Amida (Amitābha) Buddha after death. Hōnen taught that the means of achieving this is to repeatedly chant the prayerful invocation Namu Amida Butsu (“I take refuge in Amitābha Buddha”), known as the “nenbutsu.”

This exhibition celebrates the 850th anniversary of the founding of Jōdo Shū through an exploration of the history of Japanese Pure Land Buddhism, beginning with Hōnen’s founding of the school and extending through to the creation of various denominations by his disciples and the establishment of their respective doctrines. The exhibition also examines how Jōdo Shū grew and expanded significantly through the patronage of the Tokugawa shogunate during the Edo period (1603–1868). This historical journey will be traced through precious artworks, including numerous National Treasures and Important Cultural Properties associated with this school of Pure Land Buddhism.

香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)にある、高松藩・松平家の菩提寺『法然寺(ほうねんじ)』の桜が美しい。

The cherry blossoms at Honenji Temple, a family temple of the Matsudaira family of the Takamatsu Clan, in Busshozan, Takamatsu City, Kagawa Prefecture, are beautiful.

法然寺(ほうねんじ)
住所:香川県高松市仏生山町甲3215 [Google Map]
電話:087-889-0406
境内開門時間:8:00〜18:00
指定:国指定史跡 高松藩主松平家墓所 (2019年2月26日)

旧高松藩 松平家の菩提寺、仏生山(ぶっしょうざん)の法然寺(ほうねんじ)。 昼間は、桜が咲いて鳥の鳴き声が響きまるで天国のよう。 夕方に、再度訪れたら山の向こうに陽が沈みか、西方浄土が現れた。 参道が、東西を向いている理由がわかった気がする。
旧高松藩 松平家の菩提寺、仏生山(ぶっしょうざん)の法然寺(ほうねんじ)。 昼間は、桜が咲いて鳥の鳴き声が響きまるで天国のよう。 夕方に、再度訪れたら山の向こうに陽が沈みか、西方浄土が現れた。 参道が、東西を向いている理由がわかった気がする。

Honenji Temple
Address: 3215 Fushozan-cho Kou, Takamatsu City, Kagawa Prefecture [Google Map]
Tel: 087-889-0406
Temple precinct opening hours: 8:00-18:00
Designation: National Designated Historical Site Tomb of the Matsudaira Family, Lord of the Takamatsu Clan (26 February 2019)

2023年3月28日撮影 

11:00頃


16:30頃再びきてみました。


来迎堂(らいごうどう)


般若台(はんにゃだい)。高松12万石を治めた高松藩主、松平家の墓所です。


仏生山公園


如来塔

2022年06月撮影
香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)にある、高松藩・松平家の菩提寺『法然寺(ほうねんじ)』の紫陽花がきれいです。

The hydrangeas at Hōnenji Temple, a family temple of the Matsudaira family of the Takamatsu Domain, are beautiful.



五重塔。法然上人八百年遠忌記念事業として2011年1月25日に新築


来迎堂(らいごうどう)


幕末までの高松藩の歴代藩主7人が眠る「高松藩主松平家墓所」は、国史跡に指定(平成31年2月26日)


「阿(あ)」


「吽(うん)」

法然寺(ほうねんじ)
住所:香川県高松市仏生山町甲3215 [Google Map]
電話:087-889-0406
境内開門時間:8:00〜18:00

Honenji Temple
Address: 3215 Fushozan-cho Kou, Takamatsu City, Kagawa Prefecture [Google Map]
Tel: 087-889-0406
Temple precinct opening hours: 8:00-18:00

法然寺の歴史 | 仏生山来迎院法然寺(高松市)

歴史
1207年、浄土宗の祖、法然上人は75歳にして京の都から四国に配流となりました。小松庄(現まんのう町)生福寺に籠居し念仏を説かれること10カ月間、ここに法然上人の足跡が四国さぬきにとどめられることとなったのです。
時は移り江戸時代のはじめ、初代高松藩主松平賴重公は、法然上人の徳を慕って上人ゆかりの生福寺を高松に移し、藩主家菩提寺を開きます。名付けて仏生山来迎院法然寺。それはきわめて特色のある伽藍配置で、極楽浄土をこの世に現す寺として、また庶民に開かれた寺として、さぬきの人々の信仰をおおいに集めて今日にいたっています。

松平賴重公
法然寺の中興開基、松平賴重公は1642年、弱冠21歳にして高松12万石の藩主となります。ここに高松松平家藩祖が誕生します。以後、明治維新を迎えるまでの200年以上にわたり松平家歴代藩主が高松を治め、法然寺を藩主の菩提寺としてきました。
そもそも賴重公は、水戸徳川の長子であり、徳川家康の孫にあたります。父徳川賴房は御三家の一つ、水戸徳川家の始祖。しかし兄の尾張と紀伊、いずれにもまだ男子の誕生がなかったため、賴重公は家臣に預けられ、弟の光圀が水戸二代となります。
賴重公は幼い頃より京都の公家や寺で学問教養を身につけたのち、やがて将軍家光に謁見。こうして若き殿様の誕生となったのです。
一方、弟の水戸光圀(黄門様)は、兄のことを心苦しく思い、兄賴重の子息を水戸三代とし、また賴重公は光圀の長子を高松二代藩主に。こうして水戸徳川・高松松平両家の交互に養子とする慣例が始まったのでした。
高松藩主となった賴重公は、新しい藩政に意欲的に挑みます。産業振興のために、当時の文化の中心である京都からさまざまな職人を招いて最新技術を積極的に移入。また学問や文化にも意を用い、後水尾上皇、東福門院(賴重公のいとこ)とは和歌などを通しての交流が続きました。

法然寺 – Wikipedia

法然寺(ほうねんじ)は、香川県高松市にある浄土宗の寺院。山号は仏生山。詳しくは、仏生山 来迎院 法然寺と称する。本尊は法然作と伝わる阿弥陀如来立像。法然上人二十五霊場第二番札所、さぬき七福神の大黒天。

御詠歌:おほつかな たれかいいけん 小松とは 雲をささふる 高松の枝

鎌倉時代前期の建永2年(1207年)に讃岐に配流された浄土宗開祖の法然が立ち寄った那珂郡小松荘(現まんのう町)に生福寺が建立される。

江戸時代前期の寛文8年(1668年)に徳川光圀の実兄にあたる高松藩初代藩主松平頼重が、戦乱で荒れ果てていた生福寺を法然寺と改名して、香川郡百相郷(現在地)に3年の歳月を要し移転・建立した。寺院背後の仏生山丘陵上を削平し「般若台」と呼ばれる松平家の墓所を設けて、当寺院を高松松平家の菩提寺とした。

本堂(明治40年(1907年)に再建)・三仏堂(別名:涅槃堂)・二尊堂・来迎堂・十王堂など現在も当時の建物が多く残っていたが、平成26年(2014年)1月13日に二尊堂が全焼で初の火災となった)。

高松藩主松平家墓所|高松市

高松藩主松平家墓所は、江戸時代、初代松平賴重(よりしげ)以下、幕末に至るまでの歴代藩主を葬った大名家墓所で、仏生山町の法然寺と、さぬき市造田の霊芝寺(れいしじ)の2か所からなる。法然寺の墓所は、初代賴重をはじめとして3代賴豊(よりとよ)から8代賴儀(よりのり)までの7人の藩主、正室、一族からなる202基の墓が一体的に営まれたもので、全国でも有数の規模を誇っている。その様相は、初代藩主賴重を頂点とする生前の身分に応じて埋葬位置や墓の規模が明確に区分されるなど、階層関係の表現が顕著に認められる。なお、墓所は、法然寺の柵門(さくもん)から入り南北両側の前池(まえいけ)と蓮池跡(はすいけあと)との間を西へ向かって一直線に延びた参道の奥の般若台(はんにゃだい)と呼ばれる丘の上に設けられており、これらの境内の空間構成は、初代賴重が帰依(きえ)した浄土信仰における火や水の河に挟まれた白道(びゃくどう)を通り極楽浄土へ至るという「二河白道(にがびゃくどう)」の教えを具現化したものと考えられる。

国指定文化財等データベース

御三家に次ぐ大名家の家格である高松藩主松平家の墓所。将軍家が帰依した浄土宗の墓所である法然寺には初代,3代から8代藩主のほか正室,一族など222基の墓があり,霊芝寺には儒式で葬られた2人の藩主の墓がある。