紫雲出山から見る瀬戸内海の島々と桜 The view to Islands of Seto Inland Dea from Mt. Shiude

Posted on 4月 2, 2016 in あるく・みる・きく タグ: ,

紫雲出山(しうでやま)からみる瀬戸内海の島々を撮影してきました。個人的なベストショットは、肩ぐるまして瀬戸内海を一生懸命撮影している小さな子。お祭りや花畑もそうですが、その風景そのものより、それを見つめる人々の眼差しが気になります。


The view to Islands of Seto Inland Dea from Mt. Shiude


肩ぐるまして、子どもも撮影





ハナニラ(Spring star)。
葉っぱにニラやネギのような匂いがあるのでこの名前がついています。


お花見

幻想的な伊吹島。夏になると、うどんダシに欠かせない「いりこ」の漁で賑わう島です。








紫雲出山遺跡 – Wikipedia

紫雲出山遺跡(しうでやまいせき)は、香川県三豊市詫間町に所在する弥生時代中期後半の高地性集落遺跡である。

本遺跡は、燧灘(ひうちなだ)に突出する岬上の先端にそびえる標高352メートルの紫雲出山山頂にあり、絶好の視野と眺望とに恵まれている。
本遺跡の出土遺物の種類は、普通の集落跡における一通りのものがそろっており、その点では特殊性は認められない。従って、紫雲出山遺跡は、防砦・見張台・烽台(のろしだい)というようなもののみによって成り立っている特殊な遺跡ではなく、軍事的・防御的性格を帯びた集落遺跡と考えられる。また、畿内と密接な関係を保ちながら内海航路の監視の重要な拠点であった可能性も考えられる。
本遺跡は、弥生時代中期の初めごろから始まって、出土遺物の量から判断して、中期も終わりに近づくにつれて集落の規模が拡大し、人口も増加したらしいが、中期をもって終わっている。政治・社会の変革は、もはや不便な山頂に居住することを必要としなくなったのであろう。そして、本遺跡の東南約2キロメートルの低地に後身の船越集落が出来ている。
本遺跡から出土の石の矢尻や剣先が豊富な事実と矢尻の重さから、弥生時代に戦いがあったと佐原は考えた。
1947年(昭和22年)4月、山頂での造園植樹中に土器が出土したのが遺跡発見の端緒となった。1955年(昭和30年)12月、小林行雄が調査することになった。1957年(昭和32年)8月までに第3次調査が行われ、中期前半の土器・貝輪・鹿角製結合式釣針・獣魚骨を含む大型二枚貝・サザエを主体とする貝塚が出土している。また、1988年(昭和63年)8月、資料館建設に伴う発掘調査で、2.8×3.2メートルの円形竪穴住居址一基、一辺2.5メートル、一間四方の高床倉庫一基が検出された。住居跡は朝鮮半島の松菊里との関係が注目される。


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