今日、9月23日は、蛸山崩壊から113年。1912年(大正元年)9月23日、香川県高松市塩江町の蛸山(たこやま)が大規模な土砂崩れをおこし、26名が犠牲になった日です。

香川県高松市の南端、塩江温泉郷を訪れると、静かな山あいに「蛸山大崩壊慰霊碑」が佇んでいます。この碑は、1912(大正元年)9月22日から23日にかけて発生した大災害を伝えるものです。当時、台風による豪雨が40時間近く続き、各地で河川が氾濫しました。特に塩江町の蛸山では約90万立方メートルもの土砂が一気に崩れ落ち、山麓の5戸が埋没、26名の命が失われました。崩壊の音は村を震わせ、人々は必死の救助にあたりましたが、3名は今も山の中に眠っているといわれています。

1916年に犠牲者を悼むため建立された慰霊碑は、2016年に地域の人々の手で再整備されました。現在では「自然災害伝承碑」として、災害の記憶を風化させず後世に伝える役割を担っています。四国を代表する温泉地として賑わう塩江の景観の中に、この碑はひっそりと立ち続けています。美しい山紫水明の風景の裏に、かつて大規模な土砂崩壊があったことを忘れずに伝えているのです。訪れた際にはぜひ立ち寄り、自然の恵みと同時に、自然の脅威と向き合う地域の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

Today, 23 September, marks the 113th anniversary of the Takoyama landslide. On 23 September 1912 (the first year of the Taisho era), a massive landslide occurred at Takoyama in Shioe Town, Takamatsu City, Kagawa Prefecture, claiming the lives of 26 people.

Visiting the Shioe Hot Springs area at the southern tip of Takamatsu City, Kagawa Prefecture, one finds the Takoyama Great Landslide Memorial Monument standing quietly amidst the mountains. This monument commemorates the great disaster that occurred from 22nd to 23rd September 1912 (the first year of the Taisho era). At that time, torrential rain brought by a typhoon persisted for nearly 40 hours, causing rivers to burst their banks in many places. Particularly at Takoyama in Shioe Town, approximately 900,000 cubic metres of earth and rock collapsed in one massive slide. Five households at the foot of the mountain were buried, claiming 26 lives. The sound of the collapse shook the village; people desperately attempted rescue, but it is said three victims still lie buried within the mountain.

The memorial monument, erected in 1916 to mourn the victims, was refurbished by local residents in 2016. Today, serving as a “Natural Disaster Memorial Monument”, it bears the responsibility of preserving the memory of the disaster for future generations, ensuring it is not forgotten. Within the bustling landscape of Shioe, a leading hot spring resort in Shikoku, this monument stands quietly. It serves as a constant reminder that behind the beautiful scenery of mountains and clear waters, a large-scale landslide once occurred. When visiting, why not take a moment to stop by and reflect on the region’s history – a history that confronts both the bounty and the threat of nature.

蛸山大崩壊慰霊碑
住所:香川県高松市塩江町上西乙 [Google Maps]
崩壊:1912年(大正元年)9月23日
犠牲:26名(5戸)
建立:1916(大正5)年 蛸山崩壊記念碑

Takoyama Great Landslide Memorial Monument
Address: Kami-Nishiotsu, Shioe-cho, Takamatsu City, Kagawa Prefecture [Google Maps]
Collapse: 23 September 1912 (Taisho 1)
Casualties: 26 persons (5 households)
Erected: 1916 (Taisho 5) Takoyama Collapse Memorial Monument

2021/10/26撮影


ホテルセカンドステージさんからの眺め

2024/11/19撮影


沢の跡


長谷川修一先生(香川大学特任教授・せとうち讃岐ジオパーク構想推進準備委員会委員長)による案内。topica(トピカ)とarc(あるく)のジオツアーにて。塩江地区コミュニティ協議会の看板には「9月21日」とありますが、個人的にはおそらく、「9月23日」の間違いかなと思いますので、引き続き要確認です。

蛸山大崩壊の地(たこやまだいほうかいち)
大正元年(1912年)9月21日に、ここ内場の蛸山山頂付近が崩れ落ち、家屋5戸と26人もの方が土砂に埋まったり、流されたりして命をおとされたところです。内3人の方の遺体は、いまだ発見することができていません。この日は、猛烈な台風が香川県を襲い、各地に大被害を与えました。蛸山も台風の影響をもろに受けたものです。くわしいことはこの上の石碑に記されています。ご覧ください。
(平成7年塩江町教育委員会)

この看板は長い年月が経ち、字が読めないほど老化したので、これからの私たちの災害への教訓として、又、いまだ発見することのできていない方々への鎮魂の思いと、二度とこのような惨劇が起きないように願いをこめて再築したものです。

平成28年塩江地区コミュニティ協議会

Site of the Great Takoyama Landslide

On 21st September 1912, the summit area of Takoyama near Uchiba collapsed. Five houses were buried and swept away, claiming the lives of 26 people. The remains of three of the victims have still not been found. On this day, a violent typhoon struck Kagawa Prefecture, causing extensive damage across the region. Takoyama was also severely affected by the typhoon. Further details are inscribed on the stone monument above. Please take a look.
(Shioe Town Board of Education, 1995)

This signboard had deteriorated over many years to the point where the characters were illegible. It has been rebuilt as a lesson for us regarding disasters, as a memorial for those still missing, and with the wish that such a tragedy never occurs again.

Shioe District Community Council, 2016

2024/10/15撮影


看板

塩江・蛸山大崩壊慰霊碑 ― 100年以上前の災害を今に伝える石碑 - Great Collapse of Takoyama. Monument to a Disaster over 100 Years Ago

蛸山崩壊 写真

蛸山大崩壊 写真

大正元年蛸山大崩壊の救出作業
Photo : 蛸山大崩壊慰霊碑 – Google マップ

大正元年の大雨 | 四国災害アーカイブス

災害年月日:1912年09月23日
市町村:香川県高松市(塩江町)

大正元年(1912)9月22日~23日、台風により、香川県では約40時間にわたり降雨が続き、河川が増水氾濫した。このため、香川県下の被害は死者・行方不明179人、家屋の流失197戸、崩壊840戸、浸水9,589戸に上った。(「塩江町史」による)/この時の豪雨により、塩江町の蛸山が大崩壊し(土量約90万立米)、人家5戸が埋没、死者26人の被害が出た。この崩壊土砂は内場川を一時堰き止め、小さな天然ダムを形成したと考えられるが、天然ダムの決壊による下流の被害記録は見当たらない。

参考文献:日本工営編「四国山地の土砂災害」(国土交通省四国地方整備局四国山地砂防事務所、2004年)、37頁及び43頁
キーワード:台風 洪水 死者 蛸山崩壊 天然ダム

[ID:313] 蛸山崩壊記念碑 : 作品情報 | 収蔵品データベース | 高松市塩江美術館

作家:森田 政雄(暁峰) モリタ マサオ(ギョウホウ)

蛸山(たこやま)の崩壊記念碑 – 香川大学 PDF

見所・アクセス
塩江温泉の内場池(内場ダム貯水池)の西斜面に蛸山(たこやま)崩壊記念碑があります。その場所へは、香東川沿いの国道193号を塩江温泉に向かって走行し「道の駅しおのえ」手前の香東川に架かる塩江橋を渡り、内場ダム貯水池沿いに県道7号を約3km進み、上流端に架かる上西新橋を渡り、山側にある道を約850m上った林道の横にあります。

解説文
高松市の最南部に位置する塩江は、香川県を代表する温泉郷であり、高松の奥座敷とも呼ばれています。塩江温泉郷にある内場ダム西側の蛸山では、大正元年に深層崩壊が発生し、26 名が犠牲になりました。この蛸山の崩壊は、塩江町史では上西字荒の山崩れ、大正元年九月二十二日から翌二十三日にわたる暴風雨は塩江町にとって最大の被害であった。と紹介されています。 大正元年(1912)9月22日から23日に台風が紀伊水道を北上し、香川県では死傷・行方不明者179人、過去の流失197戸、崩壊840戸、浸水9,589戸に達するなど大きな被害が発生しました。塩江町(現高松市)の雨量は22日午前零時から一昼夜の間に173.6ミリに及び、安原上西村荒の蛸山が崩れて、山麓に点在する5戸26人が家畜や家屋とともに土中深く埋没しました。 大正5年(1916)に建立された蛸山崩壊記念碑には、当時の状況が次のように記されています。 「維(これ)時大正元年九月二十三日は如何なる凶日そ、連日降り頻る雨は刻一刻其の度を加え、風伯猛り狂ふて轟々鼕々(とうとう)の響、物凄く人皆安き心もあらざりしが、其拂暁轟然たる大音響阿鼻叫喚(きょうかん)の悲聲は鳴呼我蛸山の大崩壊なりき、山麓に點在せし、五戸二十六名と幾多の家畜は無惨にも家屋と共に土中深く埋没し、数町の田畑は、汚泥砂礫と変じぬ。鳴呼何たる惨劇そ、事天聴に達し、おほけなくも救恤(きゅうじゅつ)の恩命に浴す、天恩優渥(ゆうあく)死者似て瞑(めい)すべきなり。又時の郡長乾貢氏同志と課り汎く世の同情に訴へて弔祭建碑の質を贈られたるは深く感に堪へす。死屍発掘葬儀等に来って従事せられし村人四百餘名、安原上東村、安原村の両青年團等に川東村消防組の助力によって、漸く九日間を以上全部終了せしか、三名の死体遂に不明に了りしは甚遺憾とする所なり。今大正五年四月二十三日碑を建る當り墍を刻して後人に似す。」と刻字され、大音響とともに崩れ阿鼻叫喚(あび-きょうかん)の非常に悲惨でむごたらしいさまであったことや、屍の発掘などに村人400余人、青年団、消防組が9日間にわたり従事したものの3人の遺体を見つけることができずに遺憾であると記されています。このように懸命な捜索が行われましたがついに3人の方は発見することができず、今もこの山の中に眠っておられます。現地の蛸山大崩壊の地の看板には、「この看板は、長い年月が経ち、字が読めないほど老朽化したので、これからの私たちの災害への教訓として、又、いまだ発見することのできていない方々への鎮魂の思いと、二度とこのような惨劇が起きないように願いをこめて再築したものです。平成28年塩江地区コミュニティ協議会」とあり、現在も地域の方々により大事に保存・伝承されています。 大正元年蛸山大崩壊の救出作業の尾根の状況と現在の蛸山大崩壊の地の対岸から望んだ写真10を見比べれば、大規模な深層崩壊であった様子が伺えます。 この蛸山崩壊記念碑は、自然災害伝承碑として、先人達が私たち子々孫々に大規模な深層崩壊の土砂災害の悲惨さな教訓を伝えるとともに、大雨でこの地域は大規模な土砂災害が発生するリスクがあることを教えてくれています。

得られる教訓
今日、私たちが見ている内場池周辺の山紫水明の塩江温泉郷は、現在、観光地として発展していますが、この自然災害伝承碑は、大正年代に発生した大規模な深層崩壊の土砂災害で多くの人が犠牲になった教訓を伝えるとともに、その時の災禍を忘れず土砂災害に備えることを教えています。

讃岐ジオパーク構想推進準備委員会

讃岐ジオサイト 塩江温泉

蛸山大崩壊跡
内場池南西の蛸山は、台風による豪雨によって1912年(大正元年)9月21日に大崩壊し、家屋5戸,26名が犠牲となりました。崩壊土砂が堆積した場所は土石流扇状地となり、水田として利用されています。 林道沿いには、砂岩の巨礫を含んだ土石流堆積物が露出しており、崩壊後斜面を流れ下ったと推定されます。林道から斜面に入ると大正5年に建てたれた石碑(和泉層群砂岩製)があります。