瀬戸内海の真ん中にある魚島に行ってきました。
その昔は、大和朝廷と古代朝鮮交流の寄港地として、
また、村上水軍の根拠地として重要な拠点となってきました。
交通手段が船から鉄道や飛行機になった現代においても
その重要性は変わらないため、「1957年(昭和32年)の離島振興法実施により強力に実施された」
と手元の資料に書いてあります。
実際に島に行くと、観光センターや魚島村開発センターやそれに関する宿舎など
近代的な建造物が多く海側に建てられていることからも、それをうかがい知ることができました。

I went to Uoshima island which is located at center of Seto Inland Sea.


朝5時に起きて魚島へ。
しまなみ海道の因島(いんのしま)土生(はぶ)港まで車で行きます。
片道、1030円


今日の目的地、魚島(うおしま)はGoogle Mapsでみるとここ。
瀬戸内海、燧灘(ひうちなだ)のど真ん中です。


土生港から高速艇に乗ります。


ニューうおしま2


片道1,030円、上島町営フェリー
因島(いんのしま)土生(はぶ)港〜魚島港 (快速船)


島に上陸


撮影日:1947年09月08日(昭22年) 高度:6706m 米軍(出店:国土地理院)


昔の写真。1981年(昭和56年頃)の篠塚漁港と集落。


今の魚島の集落。家が密集しています。


家の間は細い路地が続いています。


木造密集の地域で怖いのが火事。
魚島では、至る所に消火用の井戸がほられていました。
このレンガのものは消火用の水を貯めておく貯水槽。


島の方にお願いして郷土資料館を開て頂きました。魚島スリッパ


川柳。「老いて尚 太極拳を 受講する」


船の操縦桿


師楽式製塩土器。大木遺跡より出土。
5世紀中期頃の祭礼用に献納されたもので、当時の塩をつくるための土器です。


ナウマン象の骨。
瀬戸内海は日本でもっともナウマン象の骨が発見されている地域です。
魚島近海で採取されたもので約60万年も昔のもの。
当時、瀬戸内海は中国大陸と地続きであったことを実証するものです。


隕石(推定)。昭和58年夏の夜、火の玉が井の浦海岸に落ちたが、
これは落下地点から見つかったもので隕石を思われる。
島の方にお話を聞くと島では、
隕石や火の玉や発光体(UFO)などの目撃例がとても多いそうです。


1981年度(昭和56年度)。バス漁礁投入事業。
要らなくなったバスを海底に沈めて魚の棲家を作っていたようです。


竹を割る道具。


炬燵(こたつ)


亀居八幡神社。篠塚の集落を見下ろす古殿の丘のうっそうとした
鎮守の森のなかに亀居神社があります。


創建 1693年(元禄6年)。総ヒノキづくり銅板葺きという豪華な建物。
当時の魚島の豊かな経済力が感じられます。



石鎚(いしづち)という名前の神社があるように
この島から四国側の石鎚山の山並みがよくみえます。


石鎚山系。新居浜や四国中央市も見えます。


島の診療所


魚島保育園。


上島町立魚島小学校。立派な校舎


魚島中学校:1年男子1名女子1名・2年女子1名・3年男子2名
魚島小学校:2年男子1名・5年女子2名・6年女子1名(5・6年複式)


学校の方にお願いして二宮金次郎像を撮影させていただきました。
実は、瀬戸内国際芸術祭のこえび隊やせとうち暮らしの有志のメンバーでつくっている
瀬戸内アーカイブプロジェクトでは、瀬戸内海の島々にある二宮金次郎像を集めています。


陸軍大将 鈴木考雄書


陸軍歩兵上等兵 大林恒


二宮金次郎像


地域や島によって二宮金次郎像のつくりが少しづつ違います。
日本各地に存在していた二宮金次郎像は、
戦時中に金属需要にこたえるために溶かされたり、
学校自体がなくなり撤去されてしまったりして、数が少なくなっているのですが、
瀬戸内海の島々では、本土からアクセスが悪いからか、
石や岡山の備前焼でつくられた像が多かったからか残っているかも。
という仮説のもと見かけたら写真を撮り集めています。


撮ってみるといろいろとディテールが違っていて面白いです。


これはどうやら内部は金属製。その上からモルタルか塗装を施しています。


構造を強化するために足元を切り株にしています。
ここが、三本足のようになっているものもあり、表現するときの重要なポイントですね。


腰に根付のようなものがついています。印籠?


島ねこ


ナンバーは、魚島村


細い道


たばこ屋


エビス様。島では豊漁の神様としてよく港に祀られています。


釣りの錘(おもり)。


燧ヶ岳(ひうちなだ)の真ん中にある魚島は、
瀬戸内海随一の好漁場で四季折々、鯛・鱸(すずき)・でびら・海苔などが捕れます。


魚島の玄関口となる篠塚漁港。


瀬戸内海国立公園の景観として知られる「うしの浦」を背に、
天然の地形と燧灘の真ん中という立地条件に恵まれ、
昔から漁業が栄えてきた歴史の古い港です。


港周辺のたこつぼを調査


この島のたこつぼは、ほとんど全てプラスチック製でした。


たこつぼを乗せる網


帰りのフェリーが到着


灯台撮影中


港で「でびら」とよばれる出平カレイを干しています。
カレイとはいっても、正式名は「タマガンゾウヒラメ」。ヒラメの仲間です。


「左ヒラメに右カレイ」なのでヒラメですね。
漁でとれた でべら の鱗と内臓をとり洗ったら
縄を通して3〜4日天日干しにします。


魚島商店


元地域おこし協力隊の方がはじめられた商店が唯一ありました。
島民のみなさんにとって有り難い存在に違いない。


この品揃え。


子どもたちもいるので、駄菓子も。

魚島
場所:愛媛県越智郡上島町(旧:魚島村)[Google Maps]
人口:265人(2000年) 島の人曰く、現在は200人弱とのことです。
面積:1.49平方キロメートル
航路:上島町営フェリー 因島(いんのしま)土生(はぶ)港〜魚島港 (快速船)1030円

Uoshima island
Place : Kamishima town, Kochi-gun, Ehime pref., Japan (Uoshima village) [Google Maps]
Population : 265people(2000year) / 200people now
面積:1.49平方キロメートル
Access : Kamishima town ferry (Habu port, Innoshima island – Uoshima island port (rapid ship) 1030yen