伊島には、島を代表するイシマササユリが自生しています。イシマササユリは、日本固有種であるササユリのうち、伊島に生育する地域固有の個体群で、6月には淡いピンク色の美しい花を咲かせます。今回、徳島県阿南市津乃峰町の答島(こたじま)港から連絡船「みしま」に乗り、約30分かけて伊島(いしま)を訪れ、イシマササユリを撮影させていただきました。伊島は紀伊水道に浮かぶ周囲約9.5kmの島で、室戸阿南海岸国定公園に指定されている自然豊かな島です。イシマササユリは、淡いピンク色の花と上品な香りが特徴で、6月になると島の各所を彩ります。

ササユリは日本を代表する野生ユリの一つで、種から開花まで6〜7年もの歳月を要する貴重な植物です。しかし近年は全国的に減少しており、各地で保全が課題となっています。伊島では地域住民や中学生、ボランティア、研究機関などが協力し、下草刈りや育苗活動などの保全活動に取り組んでいます。その成果もあり、現在も美しい花々が島の自然を彩っています。

また、島内には紀伊水道を一望できる断崖絶壁の「カベヘラ」や、「日本の重要湿地500」に選定された野尾辺(のおべ)湿原などもあり、豊かな生物多様性に触れることができます。可憐に咲くイシマササユリは、伊島の豊かな自然と、それを守り続ける人々の営みを象徴する存在となっています。

Ishima is home to the Ishima Sasayuri, the island’s iconic wildflower. The Ishima Sasayuri is a regionally endemic population of the Sasayuri—a species native to Japan—that grows on Ishima, and it blooms with beautiful pale pink flowers in June. On this occasion, I boarded the ferry ‘Mishima’ from Kotajima Port in Tsuno-mine-chō, Anan City, Tokushima Prefecture, and after a journey of about 30 minutes, visited Ishima to photograph the Ishima Sasayuri. Ishima is an island with a circumference of approximately 9.5 km, situated in the Kii Channel; it is a nature-rich island designated as part of the Muroto-Anan Coast Quasi-National Park. The Ishima Sasayuri is characterised by its pale pink flowers and elegant fragrance, and in June it adorns various parts of the island.

The Ishima Sasayuri is one of Japan’s most representative wild lilies and a precious plant that takes as long as six to seven years to flower from seed. However, its numbers have been declining nationwide in recent years, making conservation a priority across the country. On Ishima, local residents, secondary school pupils, volunteers and research institutions are working together on conservation efforts, such as clearing undergrowth and raising seedlings. Thanks to these efforts, beautiful flowers continue to adorn the island’s natural landscape.

Furthermore, the island is home to ‘Kabehera’, a sheer cliff offering a panoramic view of the Kii Channel, and the Noobe Wetland, which has been designated as one of ‘Japan’s 500 Important Wetlands’, allowing visitors to experience the island’s rich biodiversity. The delicately blooming Ishima Sasayuri has come to symbolise both the rich natural environment of Ishima and the efforts of the people who continue to protect it.

2026/06/10撮影

徳島県阿南市、答島(こたじま)港。連絡船「みしま」。片道大人1,030円、30分


阿南市内の展望台からみた伊島


阿南発電所(あなんはつでんしょ)。徳島県阿南市にある四国電力の石油火力発電所。出力 45万kW、使用燃料 重油・原油、営業運転開始 1975年。


船。外洋に近いので瀬戸内海を航行するフェリーに比べて揺れます。


伊島港


伊島のマップ。

1) 當所神社(To-sho shrine)
6〜8) ササユリ群生地(Sasayuri habitat)
9) カベヘラ(Kabehera)
10) 伊島灯台
3) 西国三十三番ミニ霊場
4) 野尾辺観音堂
5) 野尾辺通夜堂
12) 野尾辺湿原

の順番に島内をぐるりと巡りました。


伊島漁業協同組合


お不動さん


井戸


川沿いの木造倉庫


當所神社(とうしょじんじゃ)。古来より伊島大明神として崇敬されてきた島の重要な信仰拠点。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)ゆかりの神が祀られており、毎年9月には島民が参加する伝統的な奉納秋祭りが開催されます。



阿南市立 伊島中学校


神野茂翁(1902~)は、伊島出身の実業家・篤志家です。若くして朝鮮半島へ渡り、水産業や潜水器漁業の発展に尽力した後、戦後は徳島市で事業を興しました。郷土への思いは深く、松林寺の整備や伊島小学校、老人憩いの家の建設支援など、多額の私財を投じて地域の発展に貢献しました。その功績をたたえ、1978(昭和53)年には伊島に顕彰碑と銅像が建立されています。

銅像の解説板より要約

神野茂翁は、1902(明治35)年7月25日、現在の徳島県阿南市伊島町に生まれました。椿泊高等小学校を卒業後、志を抱いて朝鮮半島へ渡り、神野商店に入社して潜水器漁業に従事しました。その後、朝鮮半島南部の統営(とうえい)を拠点に事業を発展させ、昭和9年には学校組合議員、翌年には朝鮮第三潜水器組合の副組合長・理事を務めました。さらに鮮協同水産株式会社麗水支店長として地域の水産業振興や産業発展に尽力し、昭和17年には統営邑議会議員として地域社会や住民福祉の向上に貢献しました。終戦後の昭和20年に帰国すると、昭和23年に徳島市で大和製紐株式会社を創設して社長に就任し、その後は北福製紐株式会社社長も務めるなど、実業家として活躍しました。

神野翁は郷土愛と信仰心に厚い人物として知られています。昭和4年には伊島の松林寺十王堂山門の建立に尽力し、その功績により当時の土居通次徳島県知事から記念杯を授与されました。また、昭和45年には松林寺開山・空也上人堂千年遠忌に際し鐘楼堂建立のため多額の寄付を行いました。さらに、昭和51年には伊島小学校および伊島老人憩いの家の新築に尽力し、島の発展のために多額の基金を寄贈するなど、教育・福祉・地域振興の各分野で大きな功績を残しました。その功績を顕彰するため、阿南市伊島町会は1978(昭和53)年に顕彰碑と銅像を建立しました。神野茂翁は、事業家として成功を収める一方で、ふるさと伊島の発展に生涯を捧げた郷土の偉人として、今も島民に語り継がれています。

阿南市伊島町会 1978年(昭和53年)4月


昔の校門


島猫


治水工事。山の上には伊島城跡。


伊島は、神野家の苗字が多いようです。


伊島保育所。山の上に貯水塔


山道を進みます。


ため池。


水源涵養林


カベヘラ。


階段をあがると


カベヘラ。紀伊水道が一望できるビューポイント。崖下には大きな洞窟があり高さ30mの潮を噴き上げています。島にある大きな洞窟で、空也上人がここで修行したという伝説が残されています。


岩石


さらに階段が続いています。


徳島県の水源涵養林


サルトリイバラ


ウラシマソウ?


ササユリを発見!


展望台


港への展望


山の向こう側の海に消波ブロックがみえる


ガザニア


植生管理のために、印がつけられています。


昔の石積みがところどころに見られます。


ウバメガシ(姥目樫 / Quercus phillyraeoides)。ブナ科コナラ属に分類される常緑広葉樹。


アンスリウムジェンマニー?


ハスノハカズラ


ニワトコの白い花。


ため池


バイオロード


ムラサキカタバミ


サフランモドキ



お地蔵さん


西国三十三ヶ所めぐり


伊島灯台。NTT DOCOMOの電波塔


うみまる・うーみんからのお願い。


伊島燈台


昔のレンガ壁


湿原がみえます。かつての水田跡。【徳島】日本の重要湿地500、伊島の野尾辺湿原 – [Tokushima] Noobe Wetland at Ishima island | 物語を届けるしごと


タイルの破片が落ちていた。かつての建物の痕跡だろうか。


伊島漁協のカメラ。


西国三十三ヶ所のお地蔵さんのポイントに戻ってきました。ここから、さっき灯台からみえた北の湿原に向かいます。


スダジイの森


目指す湿原、野尾辺湿原


三十三ヶ所巡りの石碑


和歌山側がみえています。


下りの道


野尾辺湿原


シダ植物。しめ飾りにつかわれる、ウラジロ(裏白 / Gleichenia japonica)かな。


ウバメガシやスダジイの森


エゴノキ


奥の院 観音堂。


石像。空也上人、修行の地。平安時代、空也上人が紀州から香木(またはカヌー)に乗って流れ着き、島の難民を救済するために上陸したと伝えられています。島内の卒都婆崖(そとばがい)にお堂を建て、自ら刻んだ十一面観音像を安置したのが現在の観音堂の始まりとされています。


野尾辺湿原に到着。植生が変わりました。


この藪の中を進みます。



貴重な水生昆虫が棲んでいます。


アカテガニ。徳島県阿南市に浮かぶ「伊島(いしま)」は、豊かな自然が残り、アカテガニをはじめとするカニ類の種多様性が非常に高い島として知られています。アカテガニは夏の夜間に海へ降り、卵から孵化する直前の幼生(ゾエア)を海中に放出する「放仔(ほうし)」という行動を行います。
The red-clawed crab. ‘Ishima’, an island off the coast of Anan City in Tokushima Prefecture, is known for its unspoilt natural environment and its exceptionally high diversity of crab species, including the red-clawed crab. During summer nights, the red-clawed crab descends to the sea to perform a behaviour known as ‘ho-shi’, in which it releases zoea larvae—the larval stage just before hatching—into the water.

海と森をつなぐカニ、アカテガニ
アカテガニは、本州から沖縄にかけて分布する陸生傾向の強いカニです。鮮やかな赤い甲羅と長い脚が特徴で、森林や湿った斜面、落ち葉の積もる林床などで暮らしています。普段はミミズや昆虫の死骸、植物などを食べて生活していますが、繁殖期になると海岸へ移動し、満潮時に幼生を海へ放出します。成長した幼生は再び陸へ上がり、森で生活を始めます。伊島では海岸から山頂付近まで生息が確認されており、海と森の両方の環境を利用する代表的な生き物です。そのため、アカテガニは島の豊かな自然環境を象徴する存在であり、海と陸を結ぶ生態系の重要な担い手となっています。

The Red-legged Crab: A Crab That Bridges the Sea and the Forest
The red-legged crab is a predominantly terrestrial species found from Honshu to Okinawa. Characterised by its vivid red carapace and long legs, it inhabits forests, damp slopes and forest floors covered in fallen leaves. It usually feeds on earthworms, insect carcasses and plants, but during the breeding season it migrates to the coast and releases its larvae into the sea at high tide. The mature larvae then return to land and begin their lives in the forest. On I-jima, their presence has been confirmed from the coast right up to the vicinity of the mountain summit, making them a prime example of a creature that utilises both marine and terrestrial environments. As such, the Red-crested Crab symbolises the island’s rich natural environment and plays a vital role in the ecosystem that links the sea and the land.

参考:東邦大学生物多様性学習プログラム

【徳島】伊島のイシマササユリ - [Tokushima] Bamboo lily of Ishima island

【徳島】伊島のイシマササユリ - [Tokushima] Bamboo lily of Ishima island


マンホール


サンゴジュ


港に戻ってきました。


漁網


この船で帰ります。16:00伊島港発 → 16:30 答島(阿南市)着。

ササユリ – Wikipedia

ササユリ(笹百合、学名:Lilium japonicum)は、ユリ属の球根植物。日本特産で日本を代表するユリである。地域によっては、ヤマユリと呼ぶこともある。

本州中部地方以西から四国・九州に分布する。

成株の茎は立ち上がり、葉は互生する。葉はやや厚く、披針形で長さは8-15cmである。5月-7月頃に淡いピンク色の花を咲かせる。花被片の長さは10-15cm位で漏斗状に反り返る。雄しべは6本で芳香がある。花粉の色は赤褐色であり、オトメユリと区別するポイントになる(ただし花粉の色が黄色のササユリも存在する)。希に花が純白のアルビノのものもある。葉や茎が笹に似ていることからこの名がある。

10-11月頃に蒴果が熟し、種子は風に乗って広がる。初めて地上発芽するのは通常翌々年の春である(地下遅発芽様式)。初花を咲かせるまでに種子から約7年以上(野生の場合)の歳月がかかる。

市や町の花に指定している自治体が多い。 古事記においては「山由理草」と表記され「元の名を狭韋(さゐ)という」と記される。これが狭井川とその地に咲くささゆりを神饌とする率川神社の三枝祭の起源である。

・ジンリョウユリ:徳島県の神山町神領村で発見された、小輪で濃色の花を咲かせる最も小型のササユリ。葉に細い白覆輪が入る。
・フクリンササユリ:高知県、愛媛県などに自生する白覆輪の葉が特徴のササユリ。
・イシマササユリ:徳島県の伊島に自生し、5月下旬から6月上旬に開花する。花の質感が美しく葉の幅が広い。

伊島の開拓 – PDF

伊島は徳島県東部、蒲生田岬の東約6kmの海上に位置する離島で、面積約3㎢、周囲約16kmの南北に細長い島です。古くは温泉が湧いていたと伝えられ、「湯島」とも呼ばれていました。現在も集落南東の海岸には「湯取場」の地名が残っています。

島の西には棚子島と前島があり、これらを合わせて「三島」と呼ぶこともあります。島は全体が砂岩からなる山地で、最高峰は標高125.7mの「のろし山」です。海岸は切り立った岩場が多く、平地は集落のある西岸部と野辺の低地に限られています。

伊島の集落は、前島との間に形成された天然の良港に面して発達しました。南側には暗礁が天然の防波堤となり、古くから漁船の避難や係留に適した漁港として利用されてきました。

しかし、島内の耕地は極めて少なく、水田は約8町6反、畑は約7町歩に過ぎませんでした。農業だけでは生活を支えることができず、多くの島民が漁業を生業としてきました。アワビやイセエビ、イサギ、タチウオ、アジ、サバなどを漁獲し、特に潜水漁業が盛んでした。

冬季は北西季節風の影響で島周辺での漁が難しくなるため、多くの漁師が島外へ出稼ぎに向かいました。戦前は朝鮮半島沿岸、戦後は九州や瀬戸内海沿岸、山陰地方、さらには北海道方面まで潜水漁に出向きました。冬の出稼ぎによる収入は島の経済を支える重要な柱となっていました。

伊島は阿波藩時代、海上防衛上の重要な拠点でもありました。島の最高地点である「のろし山」には狼煙台が置かれ、大島や出羽島、椿泊、徳島城下へと続く通信網の中継地点として機能していました。ここからは太平洋や阿南沿岸、さらには淡路島まで見渡すことができます。

島内に伝わる文書によると、承応3年(1654年)に神野惣右衛門が主君の命を受けて移住したと記されています。当時の阿波藩は、海上防備の強化を目的として離島への移住を奨励しており、伊島の開拓もこうした政策と深く関係していたと考えられています。

島の開拓の歴史を探る手がかりとして、松林寺の過去帳や墓碑が残されています。これらを調査すると、江戸時代を通じて数回にわたり人口が増加した形跡が確認できます。特に18世紀中頃と19世紀初頭には本土からの移住者が増え、それに伴って島の開拓が進んだと推定されています。

また、島内では神野姓が非常に多く、全戸数の4割以上を占めていました。そのため、日常生活では姓ではなく名前で呼び合うことが一般的でした。島内結婚の割合も高く、離島ならではの共同体が形成されていました。

昭和25年当時の伊島には、雑貨店はあったものの散髪店や産婆はおらず、電灯は自家発電によるものでした。新聞は午後の郵便船で届き、映画も無声上映であるなど、本土との距離以上に離島らしい生活環境が残されていました。

このように伊島は、限られた土地条件の中で漁業によって生計を立てるとともに、阿波藩の海上防衛を支える重要な拠点として発展してきました。島の歴史は、自然環境への適応と、本土との交流による開拓の積み重ねによって築かれてきたのです。

参考:RESAS アイデアコンテスト2024 : 伊島の夜明けは離島の夜明け~ヒトとヒトとの交流を軸とした伊島crewの提案, 産業能率大学松尾ゼミ × 株式会社東京久栄産業能率大学松尾ゼミ (篠原健伸 / 河前太樹 / 永島拓実), 株式会社東京久栄 (池戸蒼真) – PDF