奈良時代の『播磨国風土記』に、家の形をした「大石」として登場し、少なくとも1300年以上前から存在していたことがわかっていますが、誰が何の目的で作ったものなのかわかっていません。

兵庫県高砂市にある生石(おうしこ)神社には、「日本三奇」の1つとされる謎の巨岩が祀られています。宝殿山山腹の生石神社に神体として祭られている巨石のため、『石の宝殿(いしのほうでん』と呼ばれています。2014年、他の史跡群とともに「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」として国の史跡に指定されました。

The Stone Treasure Hall (Ishi-no-Hoden) of Oshiko Jinja Shrine is located Takasago City, Hyogo Pref., Japan. The Stone Treasure Hall, Amenosakahoko and Kamigama (divine pots for making salt) in Okama-jinja Shrine (a subordinate shrine of Shiogama-jinja Shrine, Shiogama City, Miyagi Prefecture) as “Nihon San-ki” (Japan’s three most curious items). This big stone is regarded as goshintai (divine object) of the shrine.


生石(おうしこ)神社


浮いて見えます。


背面に出っ張りがあります。


宝殿の上からの眺め


宝殿山の上から、高砂市の町並みが見渡せます。


石の上に植物が根を降ろしています。


採石場がみえます。青白い石


さらに階段から宝殿山の上に登ることができます。

『播磨国風土記』(713年-717年頃の成立とされる)印南郡大國里条にある生石神社(おうしこじんじゃ)の「石の宝殿(石宝殿)」についての記述に、「原の南に作石あり。形、屋の如し。長さ二丈(つえ)、廣さ一丈五尺(さか、尺または咫)、高さもかくの如し。名號を大石といふ。傳へていへらく、聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なり」とあり、「弓削の大連」は物部守屋、「聖徳の王(聖徳王)」は厩戸皇子『日本古典文学大系 風土記』(岩波書店 1977年)、間壁忠彦間壁葭子『石宝殿―古代史の謎を解く』(神戸新聞総合出版センター 1996年)と考えられることから、『日本書紀』(養老4年、720年)が成立する以前に厩戸皇子が「聖徳王」と呼称されていたとする論がある。

“Harima no Kuni Fudoki” (considered to have been completed between 713 and 717) has the description of ‘Holy stone shrine’ (Ishi hoden) in the Oushiko-jinja Shrine in Innami County, Okuni no sato no jo,’ in which ‘弓削の大連’ is considered to indicate MONONOBE no Moriya and ‘Shotokuo’ is considered to indicate Umayado no Miko “Nihonkotenbungaku Taikei Fudoki” (Iwanami shoten 1977), “Ishi Hoden – Kodaishi no Nazo wo Toku” by Tadahiko MAKABE and Yoshiko MAKABE (Kobeshinbunsogoshuppan center 1996); accordingly, someone insisted that Umayado no Miko was called ‘Shotokuo’ before “Nihonshoki” was completed (720).

兵庫県高砂市・宝殿山山腹の生石神社に神体として祭られている巨石。鎮の石室(しずのいわや)、天の浮石(あめのうきいし)または単に浮石とも。

2014年(平成26年)10月6日に、「石の宝殿及び竜山石採石遺跡(いしのほうでん および たつやまいしさいせきいせき)」として、他の史跡群とともに国の史跡に一括指定された。

この生石神社の石の宝殿と、宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾を総称して、「日本三奇」と呼ぶ。

幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m。重さは推定500トンを越える。竜山石[3]として知られる凝灰岩の岩山の中腹を削って作られており、三方を加工前の岩盤に囲まれている。

誰がいつ何の目的で作ったものであるのかは、学術的に判然としていない。謎を解明するため、高砂市教育委員会が、大手前大学史学研究所の協力で各種の調査に着手している。2005年から2006年にかけては、レーザーによる3次元計測を実施し、周囲の岩盤も含めた形状をくわしく調べた。

主部は平たい2つの直方体を縦向きにして、ひとまわり小さな直方体を挟み込んだような形状であり、側面のひとつにピラミッドの頂上を切ったような形状の突起がある。後述の歴史的記述にもあるように、家を横倒しにしたような全容をしている。

下部の岩盤は大きくくぼんでおり、池になっている。社伝によれば、この池は旱魃の際にも枯れず、水位は海の潮位と連動するとされる[5]。「浮石」と呼ばれるゆえんは、わずかにつながった底部中央の支柱状の部分が巨石自体の死角になり、巨石が池の上空に浮かんでいるように見えるためである。

岩の上部には、加工当時にはなかったとみられる多くの雑木が生えている。

幕末にシーボルトが訪れ、詳細な3枚のスケッチを残している。この絵は著書『NIPPON』の第一冊目に収録されている。

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