古代の宗教儀式などに使っていた『水銀朱(すいぎんしゅ)』という朱色の顔料の原料の採掘現場の弥生時代の遺跡が、徳島県阿南市若杉山で見つかりました。『若杉山(わかすぎやま)辰砂(しんしゃ)採掘遺跡』は、弥生時代後期~古墳時代前期の遺跡です。2019年10月16日、国史跡に指定されました。

『若杉山辰砂採掘遺跡』は、国内で唯一の水銀朱(すいぎんしゅ)をつくっていた遺跡です。水銀朱は、日本人が使ってきたさまざまな赤い顔料のなかでも、最も貴重とされてきました。朱色の利用は、縄文時代から始まっていますが、弥生時代中期から古墳時代にかけて、埋葬施設に撒いたり、遺体に塗って使われました。岩脈にある『辰砂(しんしゃ)』と呼ばれる功績から水銀朱を選り分け、純度を高め、粉にして使っていました。最近の調査により、辰砂を採るためと見られる、地下の坑道が発見されています。

The Yayoi period remains of a mining site for a raw material for vermilion pigment called ‘mercury vermilion’, which was used in ancient religious ceremonies, have been found in Wakasugiyama, Anan, Tokushima Prefecture. The Wakasugiyama Cinnabar Mining Site dates from the late Yayoi Period to the early Kofun Period and was designated a National Historic Site on 16 October 2019.

The Wakasugiyama Cinnabar Mining Site is the only site in Japan where mercury vermilion was produced. Among the various red pigments used by the Japanese, mercury vermilion was regarded as the most precious. The use of vermilion began in the Jomon period, but from the mid-Yayoi period to the Kofun period, it was used for sprinkling on burial sites and painting on bodies. Mercury vermilion was selected from an achievement called ‘cinnabar’ in rock veins, purified, powdered and used. Recent investigations have uncovered underground tunnels, which appear to have been used to extract cinnabar.

若杉山辰砂採掘遺跡
住所:徳島県阿南市水井町 [Google Map]
時代:弥生時代後期~古墳時代前期
指定:国指定 史跡・名勝・天然記念物

Wakasugiyama Cinnabar Mining Site
Address: Sui-cho, Anan City, Tokushima Prefecture [Google Map]
Period : Late Yayoi Period – Early Kofun Period
Designation: National historic site, scenic beauty spot, natural monument

2020年10月1日撮影


祝・国史跡指定『若杉山辰砂採掘跡』。全国唯一!古代を彩る水銀朱の生産遺跡


石仏。


へんろ道沿いの石造物群。


国指定史跡、阿波遍路道。


かつての段畑の石積みが森林の中に残されています。


小屋


太龍寺(たいりゅうじ/徳島県阿南市加茂町/高野山真言宗)へつづく遍路道


同行二人。空海(弘法大師)さんと一緒


滝の音


比較的整備された遍路道が続きます。


石塔


国指定史跡『若杉山辰砂採掘遺跡』


遍路道わきの山の中にもかつての段畑跡の石積みがみえます。



四国のみち(四国自然歩道)


石積み


パノラマ


石仏


那賀川(なかがわ)。縄文時代の「朱」生産拠点 国内最大・最古級『加茂宮ノ前遺跡』(徳島県阿南市加茂町)。


パノラマ


若杉山辰砂採掘遺跡
住所:徳島県阿南市水井町 [Google Map]
時代:弥生時代後期~古墳時代前期
指定:国指定 史跡・名勝・天然記念物

Wakasugiyama Cinnabar Mining Site
Address: Sui-cho, Anan City, Tokushima Prefecture [Google Map]
Period : Late Yayoi Period – Early Kofun Period
Designation: National historic site, scenic beauty spot, natural monument

若杉山遺跡(国史跡 若杉山辰砂採掘遺跡)|レキシルとくしま

那賀川をさかのぼり、鷲敷町との境には四国霊場二十一番札所の太竜寺がある。この太竜寺の北側の「若杉山」の標高140~170mの山腹斜面に遺跡が広がる。1950年代には遺跡の存在は知られていたが、1984年(昭和59年)からの徳島県博物館による発掘調査で、その実態が明らかとなった。石杵(いしきね)・石臼(いしうす)や辰砂(しんしゃ)原石が大量に見つかっている。辰砂は、赤色顔料の「朱」の原料で、石杵や石臼などの石器を用いてこれを朱に加工する工程を若杉山遺跡で行っていたことが分かった。出土土器から弥生時代の終わりから古墳時代の初めまでが朱生産のピークと考えられる。全国的にみても辰砂を採掘する遺跡として唯一のもの。水銀朱は古墳時代前期などに古墳の埋葬主体に大量に使用される。若杉山遺跡で産出した水銀朱も各地の古墳築造時に運び出されていったものと想定され、古墳時代の広範囲な流通を知る上でも非常に重要な遺跡である。令和元年10月16日に遺跡の一部が「若杉山辰砂採掘遺跡」として国史跡に指定された。

若杉山辰砂採掘遺跡 – Wikipedia

若杉山辰砂採掘遺跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき)は、徳島県阿南市水井町にある弥生時代後期~古墳時代前期の遺跡である。2019年10月16日、国史跡に指定された。

徳島県南部を東流する那賀川の支流である若杉谷川の西側に広がる山腹斜面に形成された、弥生時代後期から古墳時代前期にかけて、朱の原料である辰砂の採掘を行った遺跡。

地表面には石灰岩やチャートの岩盤が多く露頭しており、岩盤中には部分的に辰砂結晶を含む石英脈がみられる。辰砂の採掘はこうした石英脈を狙って岩盤そのものを打ち割ることで行われており、採掘場所として石灰岩を割り取る露天掘りによるものと、チャート岩盤を横穴状に掘り進めるものの2か所が確認されている。採掘場所を中心とする広範囲において辰砂の採掘に伴い打ち割られ廃棄されたとみられるズリ場が広がっている。

岩盤の打ち割りだけでなく、石杵・石臼を用いた荒割りや潰しといった加工が一部行われている。石杵には香川県東部で産出する火成岩であるヒン岩製のものがあり,採掘道具として持ち込まれたものとみられる。出土土器には在地産の他に、鮎喰川下流域産や香東川下流域産のものがあり、それら地域の集団も辰砂の採掘に関わっていたとみられる。

弥生時代から古墳時代にかけて朱は銅鐸や土器、埋葬施設に塗布され、葬送儀礼で用いられる等重用されており、その原料である辰砂採掘の在り方を示す遺跡として重要である。

若杉山辰砂採掘遺跡 文化遺産オンライン

名称:若杉山辰砂採掘遺跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき)
時代:弥生時代後期~古墳時代前期
場所:徳島県阿南市
指定年月日:20191016
指定:史跡名勝天然記念物

弥生時代後期から古墳時代前期にかけて朱の原料である辰砂の採掘を行った遺跡。岩盤を打ち割り辰砂を採掘した採掘場と,採掘に伴い廃棄されたズリ場からなる。我が国古代において顔料として重用された朱の原料の採掘の在り方を示す遺跡として重要。

最古の「坑道」発見 弥生後期 1800年ほど前に掘られたか 徳島 | NHK

古代の人々が宗教的な儀礼などに使っていた赤い色の顔料を採掘するための横穴が徳島県阿南市で見つかり、調査の結果、弥生時代後期に人為的に掘られた坑道であることが分かりました。坑道の跡としてはこれまでの発見例を500年ほどさかのぼり、専門家は弥生時代の社会を考え直すうえで重要な発見だとしています。

この横穴は、弥生時代から古墳時代にかけて「水銀朱」と呼ばれる赤色の顔料を採掘・精製していた徳島県阿南市の「若杉山遺跡」で見つかりました。

奥行きおよそ13メートル、幅最大3メートル、高さ1メートルほどの大きさで、阿南市が発掘調査を進めた結果、弥生時代後期の土器の破片が5点出土しました。

市によりますと、この横穴は、岩盤の削られ方などから人為的に掘られた「坑道」と判断でき、見つかった土器の特徴から、今から1800年ほど前に掘られたと考えられるということです。

鉱物を採掘するための坑道の跡は、今から1300年ほど前の奈良時代の銅山の例が国内で最も古いとされてきましたが、今回の発見はこれを500年ほどさかのぼることになります。

水銀朱は宗教的な儀礼などに使われ、中国の歴史書「魏志倭人伝」に当時の日本列島で使われていたことを示す記述があるほか、古墳の石室内部にまかれた例などが多く見られます。

徳島文理大学の大久保徹也教授は、「日本の鉱山開発の歴史が大きくさかのぼることに加え、弥生時代には商業や工業も発達していたことが見て取れる。当時の社会を考え直すうえで重要な手がかりとなる発見だ」と話しています。