讃岐国(香川県)の西部、丸亀藩をおさめた京極家に伝わる日本刀『ニッカリ青江(あおえ)』が、オンラインゲーム『刀剣乱舞(とうけんらんぶ)』にて擬人化され登場し、注目されています。そんな、ニッカリ青江が香川県丸亀市の資料館で展示されます。
You can see the Japanese sword “Nikkari Aoe” at the resource center of Marugame city, Kagawa pref., Japan. This sword is a treasure that has been handed down in Kyougoku family who governed Marugame Domain from generation to generation.
ニッカリ青江公開展 かがやく日本刀の饗宴
日程:2024年10月12日(土)~11月17日(日)
休館:2024年10月15日(火)、28日(月)、11月5日(火)、11日(月)
料金:700円 ※但し18歳以下、65歳以上は無料
会場:香川県丸亀市立資料館(丸亀城内)[Google Map]
連絡:0877-22-5366(丸亀市立資料館)
Nikkari Aoe public exhibition: a feast of Japanese swords that cry out for attention
Dates : Saturday 12 October – Sunday 17 November 2024
Closed: 15 (Tue) Oct, 28 (Mon) Oct, 5 (Tue) Nov, 11 (Mon) Nov 2024
Fee: 700 yen *Free for those aged 18 and under and 65 and over.
Venue : Kagawa Prefecture Marugame Municipal Museum (inside Marugame Castle) [Google Map]
Tel: 0877-22-5366 (Marugame Municipal Archives)
京極家家宝の脇差「ニッカリ青江」3年ぶりに公開 丸亀市|NHK
丸亀藩の藩主だった京極家の家宝として受け継がれ、人気ゲームでキャラクター化された名刀が3年ぶりに公開されることになりました。公開される名刀は、南北朝時代に作られたとされ、江戸時代に丸亀藩を治めていた京極家の家宝として代々受け継がれてきた「ニッカリ青江」と呼ばれる脇差です。にっかりと笑う女の幽霊を切ったという逸話がその由来だとされています。日本刀を擬人化したゲームでキャラクター化されたことをきっかけに、女性ファンなどの間で人気を集めていて、丸亀市観光協会によりますと3年前に公開した時には、コロナ禍だったにもかかわらず1か月の間におよそ1万1000人が見に訪れたということです。丸亀市では、ことし7月から丸亀城の中にある建物で宿泊できるサービス「城泊」がはじまることにあわせて誘客をはかろうと、「ニッカリ青江」を3年ぶりに公開することを決めました。ことし10月12日から11月17日までの間に丸亀市立資料館で日本刀を集めた企画展を開き、その中で展示することにしています。丸亀市観光協会は、観光客が丸亀城内をめぐる際の音声ガイドで人気を集めたゲームとコラボレーションすることも予定しているということで、「訪れた人たちが市内に宿泊したり、周遊してもらえるように検討している」としています。
丸亀市合併10周年記念 京極家の家宝展
南北朝時代の青江物で貞次の作と伝えられています。京極忠高が豊臣秀頼より拝領したものです。
にっかり青江(にっかりあおえ)は、鎌倉時代の備中青江派作の日本刀(大脇差)である。
備中青江派の刀工・青江貞次の作とされるもので、元は2尺5寸(約75cm)の太刀だったが、2尺(約60cm)の刀、さらに1尺9寸9分にまで磨りあげられた。
名称の由来は、にっかり笑う女の幽霊を切り捨てて、翌朝確認をしたら石塔が真っ二つになっていたという伝説による。斬ったとされる武士は、中島修理太夫・九理太夫兄弟、浅野長政の家臣、六角義賢に仕えた狛丹後守の3説がある。この武士から柴田勝家に所有が移り、子の柴田勝敏に譲られた。さらに勝敏を討った丹羽長秀から豊臣秀吉に献上され、子の豊臣秀頼から京極高次に与えられたと考えられる。
以後丸亀藩主である京極家の秘蔵とされ、江戸時代には刀剣極所の本阿弥家の鑑定により無代(値が付けられないほどの極上品)とされた。
1940年(昭和15年)に重要美術品に認定。太平洋戦争後に流出するが、1997年(平成9年)に丸亀市が購入し、現在は江戸時代に製作された金梨地糸巻太刀拵の外装と共に丸亀市立資料館に所蔵されている。
讃岐京極家には「京極にすぎたるものが三つある にっかり茶壺に多賀越中」という狂歌が残る。茶壺とは野々村仁清作の茶壺で、京極家には他の大名家がうらやむような名品が数多くあり、国宝指定されているものもある。多賀越中とは佐々木京極氏が近江にある頃から仕えた重臣で、幕藩時代を通じ代々多賀越中某と名乗り、江戸時代は家老職を務めた。
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