流域地図を通じて、水系で地域をみてみるといろんな文化が川沿いに数珠つなぎになっているのが見えてきます。
When looking at local water systems using a watershed map, it is possible to notice how different cultures are connected along the river.
YAMAPが公開した「流域地図」で四国・瀬戸内をみてみました。2024年5月リリースの流域地図は、まだテスト版。今回(2024年5月リリース)の流域地図は、テスト版の位置づけです。今後の更新では、ハザードマップや衛星画像を活用した自然資本の表示などが追加予定とのこと。楽しみです。
Shikoku and Setouchi in the Watershed Map released by YAMAP The Watershed Map released in May 2024 is still a test version. This (released in May 2024) basin map is positioned as a test version. In future updates, hazard maps and the display of natural capital using satellite images will be added. We look forward to seeing it.
【出典】日本域表面流向マップ、国土数値情報 河川データ(国土交通省)
Source: Surface flow direction map for Japan, National Land Data: River data (Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism).
<徳島 - Tokushima>
吉野川水系。四国最大。中央構造線に沿って流れています。
吉野川水系。上流
早明浦ダム。上空から見ると龍の形をしています。龍神は水の神様なので、四国の水を司る湖としてはふさわしい形をしています。
早明浦(さめうら)ダム。高知県長岡郡本山町と土佐郡土佐町にまたがる、一級河川・吉野川本流上流部に建設されたダム。吉野川の治水と四国地方全域の利水を目的に建設され、このダムの水運用は四国地方の経済・市民生活に極めて多大な影響を及ぼします。このため「四国のいのち」とも呼ばれ、四国地方の心臓的な役割を果たします。
祖谷渓(いやけい)、大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)
徳島県の秘境、吉野川の「祖谷渓谷」。阿波石の美しい蒼。
日本三奇橋・国指定重要有形民俗文化財「祖谷のかずら橋」
「吉野川の菜の花」潜水橋。第十堰(だいじゅうぜき)。吉野川を分流するために設けられた堰(せき)。
吉野川河口で新月の夜に行われているニホンウナギの稚魚、「シラスウナギの漁」。
吉野川水系 – 旧吉野川
阿波竜王山(あわりゅうおうざん / 1060m)。讃岐山脈の中央にある最高峰である。香川県側は高松市と仲多度郡まんのう町に属し、大滝大川県立自然公園に指定されており、徳島県側は美馬市に属している。2つの峰をもち、東の峰は讃岐竜王(東竜王)、西の峰は阿波竜王(西竜王)と呼ばれる。讃岐竜王は標高1,058mで三角点が設置されておらず、阿波竜王は標高1,059.8mで四等三角点が設置されている。阿波竜王の三角点はまんのう町に位置し、香川県の最高峰となっています。
高松藩とのつながりが深く、中腹に藩主に献上するための雪を夏まで埋めていた雪穴(せっけつ)がある。別名の「鷹山」はこの山が高松藩主の鷹狩をした場所と伝えられていることによります。
300万年前のフィリピン海プレートの方向転換によって阿讃山脈が隆起し、それまで讃岐平野に流れていた古吉野川が方向転換。北方向に流れていた古吉野川は、東方向に流路を変えて徳島方向に流れていきます。そのおかげもあり、讃岐平野には大きな川が流れなくなり、小麦や塩作りに適した乾燥少雨の土地となり讃岐うどんの材料を栽培する適地となりました。
勝浦川(かつうらがわ)水系。みかんの産地。全長49.6km、流域面積224平方km、流域人口2万6千人。河川の水源は雲早山の東斜面にあり、上流の勝浦郡上勝町から中流の勝浦町、下流の小松島市を経て、徳島市南部から紀伊水道に注ぐ。
上流の上勝町にあるゼロ・ウェイストホテル。
勝浦川が注ぎ込む紀伊水道の「ハモ漁」。
吉野川 園瀬川水系。
徳島県唯一の村、佐那河内村(さなごうちそん)。園瀬川(そのせがわ)。
那賀川(なかがわ)水系。上流は林業が盛んな地域で、川を通じて材木を運んでいたため、那賀川(なかがわ)河口には、仏壇屋家具製造業など木材加工工場が多い。那賀川(なかがわ)は、徳島県を流れる那賀川水系の本流で、一級河川。幹川流路延長125kmと徳島県内で最も長い河川。2006年、「最も良好な水質」として清流四国一に選ばれた川です。徳島県那賀郡那賀町木頭北川の剣山山系ジロウギュウに源を発し、高の瀬峡を経て南流ののち東流。北東流に転じる中流域では著しく蛇行します。平野に出る下流域で再び東に向きを変え、阿南市辰己町と阿南市那賀川町中島の境界から紀伊水道に注ぎます。徳島県唯一の県内に源流があり流域が県内のみで県内だけを流れる一級河川です。
地域経済分析システムRESAS、まちづくりマップの「事業所立地動向」。
上流は、徳島県那賀町で林業が盛ん。
下流は、徳島県阿南市の那賀川の河口には木材加工工場が点在しています。
徳島県那賀郡那賀町沢谷。『大釜の滝』 – ‘Ogama Falls’
徳島県の最高峰、剣山(つるぎさん / 1,955m)。山を選択すると分水嶺を境に、どこの流域に水が流れているのかわかります。
山頂付近の「劔山御神水(つるぎさんおしきみず)」は環境省により名水百選に選定。山麓の森林は林野庁により「剣山水源の森」として水源の森百選に選定されています。劔山御神水(つるぎさんおしきみず)は、山頂部の石灰岩が風化した浸水性のある岩石で、積雪や雨水が帯水され少しずつ湧水しています。祖谷川の源流であり、水量は少ないが常に湧き出ている。大劔神社の御神水とされています。
<香川県 - Kagawa>
瀬戸内海、豊島(てしま)。春日川水系。
豊島上空。壇山(だんやま / 340m)。香川県の自然記念物に指定された常緑広葉樹のスダジイの森。
瀬戸内海の離島では珍しく壇山からの湧水「唐櫃の清水(からとのしみず)」がある。
小豆島。伝法川(でんぽうがわ)水系。
小豆島、肥土山(ひとやま)や中山地域。かつて川沿いにはそうめんのための小麦を製粉する水車がならんでいました。
殿川水天宮(香川県小豆島町中山)。
小豆島。池田大川水系。
小豆島。別当川水系
小豆島。安田大川水系。
「ヤマロク醤油」。香川県小豆郡小豆島町安田。
小豆島、400年以上も受け継がれてきた醤油の町「醤の郷(ひしおのさと)」。
寒霞渓(かんかけい)から吹き下ろす「寒霞渓おろし」と呼ばれる暖かく乾いた風が、醤油醸造に適している。
小豆島、馬木地区。醤油蔵が集まる。
小豆島、三笠山。北側は桂川水系、南側は別当水系。
小豆島、星ヶ城山(ほしがじょうさん / 817m)。瀬戸内海の最高峰。
西側には日本三大渓谷美の1つに数えられる「寒霞渓(かんかけい)」(三笠山)があります。南北朝時代に、南朝方の佐々木三郎左衛門尉飽浦信胤により築城した星ヶ城址があった。
北側は吉田川水系、森庄川水系。南側は片城川水系、安田大川水系。
小豆島、碁石山(ごいしさん)。二十四の瞳映画村。
こんぴらさんのある象頭山の水系。東側が、金倉川水系。西側が、高瀬川水系
土器川水系。讃岐富士こと飯野山(いいのやま / 422m)の西側に水が流れていくのがわかります。土器川流域に多くのうどん屋が点在します。
土器川(どきがわ)は、香川県唯一の一級河川。かつて河口付近の川原と三角州から取れた粘土から土師器などの土器を専門に製造する人々が住んでおり、河口には土器村(現在の香川県丸亀市土器町など)という地名ができたことに由来します。讃岐山脈を構成する標高1,059 mの竜王山(香川県仲多度郡まんのう町勝浦)が水源の森。年間降水量は1200 mm程度。
藤堂高虎の家臣である西嶋八兵衛が高松藩(生駒藩)の奉行に就任すると、土器川の改修工事を含めて讃岐国各地で治水事業を行い、現在の位置に河口が付け替えられました。
本津川(ほんずがわ)水系。山上に城があった勝賀山(かつがやま / 364m)の東側を流れています。香川県高松市の鬼無(きなし)・国分寺地区は盆栽の産地。日本の松盆栽の80%を生産しています。
本津川(ほんずがわ)水系。上流は高松空港あたり。香川県香南町。1956年の合併前は、「由佐村」「池西村」。
堂山(どうやま / 304m)、六ツ目山(むつめやま / 317m)
通称、おむすび山三兄弟
・六ツ目山(むつめやま)標高317m 別名:御厩富士(みまやふじ)
・伽藍山(がらんやま)標高216m
・万灯山(まんとうやま)標高158m 別名:狭箱山(はざこやま)
住吉川水系。勝賀城の西側。香川県高松市の下笠居地区、神在川窪町に注いでいます。
亀水川(たるみがわ)水系。亀水川。五色台の黒峰の東側、紅峰の西側を縫うように通り、亀水湾に注いでいます。下笠居(しもかさい)漁協では、昆布(コンブ)の養殖をしています。
玉川水系。香川県坂出市王越(おうごし)。王越山の東側、五色台大崎園地の西側を流れ木沢湾に注いでいます。
大崎園地には彫刻家・流政之の作品「またきまい」があり、このエリアを眺めることができます。
青海川水系。五色台の山塊の西側。
四国霊場第81番札所「白峯寺」
沿岸地域はかつての塩田跡で花崗岩由来の真砂土の毛細管現象を活用して塩田として栄えました。塩田の後は、真砂土を活用して、赤い金時にんじんや金時芋が栽培されています。「金時にんじん」の主な生産地は、香川県坂出市と観音寺市の砂地地帯で、香川県は生産量日本一。香川の郷土料理「あんもち雑煮」に欠かせない食材。赤い色がめでたいので、正月のお雑煮になどで消費されています。
大束川(だいそくがわ)水系。香川県中部(中讃)を流れる川です。讃岐山脈北麓の前山丘陵に源を発し、讃岐平野を象徴付ける溜池から流れを集めつつ北流し、讃岐富士こと飯野山(いいのやま)の東側を流れ、宇多津町で瀬戸内海の宇多津港に注ぎます。
香川県の宇多津(うたづ)や多度津(たどつ)のように「津」という地名がついている場所は、古代の港であった証。古くから船が利用しやすい重要な港であったことがわかります。宇多津港付近には、復元された入浜式塩田が残されています。
綾川(あやがわ)水系。讃岐山脈最高峰の竜王山(1,060m)の北麓(香川県高松市塩江町安原下)が源流。長柄池(ながらいけ)、田万川(たまがわ)を経て、綾歌郡綾川町北部から坂出市にかけて府中湖が広がり、香川県坂出市林田町や江尻町から瀬戸内海に注ぎます。河口の坂出市林田町などはかつて塩田で栄えた、花崗岩由来の真砂土。
讃岐七富士の一つ、堤山(つつまやま / 202m)、別名:羽床富士(はゆかふじ)の東側は、綾川水系。西側は、大束川水系。滝宮付近では大束川の上流部をうばった河川争奪の跡が見られる。
綾川上空から瀬戸大橋を望む。綾川が瀬戸内海に注いでいる。
香川県綾川町に伝わるユネスコ無形文化遺産、「滝宮の念仏踊」
湊川(みなとがわ)。香川県東かがわ市五名の讃岐山脈東女体山に発し、東流ののち北東へ流れを変えます。白鳥市街地の西側(香川県東かがわ市湊)にて播磨灘(はりまなだ)に注ぎます。上流域はほぼ中央構造線に沿っている。
『河津桜ロード』 Kawazu Cherry Blossom Road
鴨部川(かべがわ)水系。
鴨部川は四国八十八カ所最終の大窪寺付近で渓流を形作り、香川県さぬき市前山の前山ダムにて一度貯水される。その後、香川県さぬき市の讃岐平野をゆったりと流れる。さぬき市長尾西の塚原地域にて一端西に曲がり、再び北に流れる。その付近よりさぬき市と木田郡三木町の境界線ともなっている。その後、さぬき市造田、鴨部、鴨庄を経由し、瀬戸内海に注ぐ。河口部では干潟を形成し、遠浅であり、季節によっては潮干狩りで賑わうことがあります。鴨部川の河口の鴨庄漁協では、青のり(スジアオノリ)の養殖をしていました。
参考:四国新聞:鴨庄漁協、アオノリ養殖に成功 産地化へ他漁協と連携
四国遍路の88番目、最後の寺「大窪寺」 – Beautiful autumn leaves of Ōkuboji temple
さぬき市上空から鴨部川が瀬戸内海に注ぎ込むのが見えます。左に見えているのは庵治石の産地、五剣山。
香川県さぬき市、雨滝山(あめたきやま / 253m)。世界最古のナマズ科化石が発見されました。
長者川水系。香川県高松市庵治(あじ)半島。
相引川(あいびきがわ)水系。
新川水系。高仙山の北方、三木町大字鹿庭字三番付近に源を発して北流したのち、三木町大字平木字下所で西に流路を転じ、再び高松低地東部を春日川と並行して北流し、高松市屋島西町付近で瀬戸内海へ流れます。支流は三木町大字平木で古川、高松市東山崎町付近で吉田川、最下流部の河口付近で春日川などが合流します。指定延長18.693km、流域面積131.9km2、支流を含む指定総延長は約98km。「新川」と「春日川」は、もとは1つの河川です。現在の春日川へ合流していたと考えられています。古墳時代に新川は春日川から切り離され、新しい川なので「新川」と名付けられました。
春日川の支流の古川には、香川県高松市六条町にある国登録有形民俗文化財、日本国内最古の水車場「高原水車」があります。
住蓮寺池から眺める仏生山クレーター5座。古川は、香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)の船岡池・平池・前池・住蓮寺池・三郎池から流れ、高架の高速道路、高松東バイパス付近で春日川に合流します。江戸時代、春日川の支流の古川を利用して石垣の水路を造り、水車を回すのに利用されました。
江戸時代にはじまったと伝わる「春日川の川市」。同じ春日川の下流から、1週間毎に上流に遡って開催されます。
「鹿の井出水(しかのいですい)」春日川の支流、御坊川(ごぼうがわ)と詰田川の間に存在する出水(ですい)。高松市太田下町の熊野神社の北側にある鹿の井出水には次のような言い伝えがあります。 保安三年(1122 年)、讃岐の国は大日照りに見舞われ、飲み水にも事欠くようになりました。人々は何度も雨乞いをしましたが、一滴の雨も降らずに困り果てていました。そんなある日、居石(おりいし)神社に白髪、白髭の見慣れない老人が現れ、不思議そうに眺める村人たちの前で、突然一匹の鹿に姿を変えて走り出したので、村人たちが驚いてその後を追ったところ、鹿は桃の木のそばで立ち止まって前足で土を掘り、どこへともなく走り去りました。 すると、鹿が土を掘ったところから、こんこんと清水が湧き出て、村人たちは大喜びで喉を潤したということです。
高瀬川水系。源流は香川県三豊市高瀬町上麻にある大麻山(おおあさやま / 616m)。大麻山(おおさやま)は、隣接する象頭山(標高538m)と共に、「象頭山」として瀬戸内海国立公園、名勝、天然記念物に指定されています。香川県琴平町の象頭山に金刀比羅宮があります。源流から北西に流れて三豊市高瀬町中心部を通過した後に三豊市三野町に入り、同市詫間町で三野津湾(詫間港)に注ぎます。詫間港の北方およそ6kmの沖合には、志々島があります。香川県三豊市高瀬町は、高瀬緑茶の産地。
金生川(きんせいがわ)水系。愛媛県四国中央市の旧川之江市域を流れ瀬戸内海に注ぎます。愛媛県四国中央市川滝町下山の徳島県境付近に源を発し西に流れる。四国中央市川之江町で三島川之江港に注ぎます。
川の河口付近は、愛媛県・四国地方を代表する工業都市のひとつ。大王製紙が本社を置いており、日本有数の製紙産業地帯となっています。江戸時代、宝暦年間(1751年-1764年)に宇摩(うま)地方の製紙業の基礎が築かれました。1970年代には、紙パルプ工場の排水により、水質汚染が問題となったが、現在では市民により鮎の放流が行われ、汚染は改善されています。
柞田川(くにたがわ)水系。
柞田川(くにたがわ)上流には、「豊稔池ダム」があります。
1929年(昭和4年)に竣工。延長145m、高さ30m。5基のサイフォン式の吐水口(とすいこう)。満水になると自動で排水を行います。また、平面形が孤を描く、マルチプルアーチダム。戦前の溜池堰堤としては国内唯一。毎年7月、樋門(ひもん)の放水「ゆる抜き」は、香川の夏の風物詩。
財田川(さいたがわ)水系。香川県三豊平野南部を流れる河川。香川県で最大の流域面積。香川県仲多度郡まんのう町の東山峠付近から流れ出し、北へ流れた後野口ダムへと注ぐ。そのあとは西へ西へと流れていき燧灘へと注ぎます。
財田川の河口には、銭形砂絵(寛永通宝)や有明浜 海水浴場があります。
香東川(こうとうがわ)水系。香川県木田郡三木町大字奥山の讃岐山脈の高仙山(こうせんざん / 627m)に発し、西に流れ、高松市塩江町安原下付近で北に向きを変えます。高松市香川町川東上から讃岐平野に出て、高松市新北町と高松市郷東町の境界から瀬戸内海に注ぎます。
「塩江(しおのえ)」。香川県高松市塩江町安原。
「香東川桜の広場」 – Plaza of Cherry blossoms at Koutougawa river
江戸時代の初頭まで香東川は、現在の高松市香川町大野あたりで2つに分かれ、分流は現在の水路、本流は一宮から室山(紫雲山)の麓を通り、現在の高松市街地を北上して高松城の西側付近で海に注いでいた。高松市街地において本流の西側の堤は渋柿地蔵(高松市中野町)や法泉寺(高松市番町)付近、東側の堤は現在の田町商店街、南新町商店街付近にあり、ほぼ現在の中央通りに該当する。
当時の本流は、堆積した土砂で川底が浅くなり、雨が降る度に洪水を起こしていた為、1637年(寛永14年)、西嶋八兵衛により本流を当時の分流であった現在の水路に切り替えられた。切り替え後に残った本流の伏流水は栗林公園の庭づくりに利用されました。
水の物語を感じるスポットまとめ – Water Tourism of Kagawa
<愛媛 - Ehime>
宮前川水系。愛媛県松山市。松山城、道後温泉。宮前川(みやまえがわ)は、愛媛県松山市石手一丁目の一級河川石手川の岩堰(いわぜき・この地にある切り立った岩のこと)付近より分流し、石手寺付近、道後付近、松山城北側を経て古町駅北側より南西に向きを変え、松山市下水道中央浄化センター付近で同じく岩堰で分流した中の川と合流して三津浜港に注ぐ、流域面積12.9km²、延長10.8kmの二級河川。道後平野の扇状地を形成している河川。
江戸時代に足立重信が治水事業を進め、「湯山川」(後の石手川)を岩堰付近で伊予川(後に彼の姓をとって重信川と命名)へ合流するように付け替えた名残の元の河川。松山城の堀に導水するため、岩堰より下流で分流する中の川も彼が整備した水路で、宮前川の一部。
河口。三津(みつ)
渡し船、「三津の渡し」があります。
地域経済分析システムRESAS、愛媛県松山市三津周辺の輸送機械器具製造の「事業所立地動向」。造船所が川の河口付近に点在しているのがわかります。
重信川(しげのぶがわ)水系。愛媛県中予地方を流れる一級河川。高縄半島の東三方ヶ森(ひがしさんぽうがもり / 1,233m)南麓に発し南流。東温市見奈良からは向きを西に変えます。松山平野(道後平野)を潤し、松山市と伊予郡松前町との境界を成しつつ伊予灘に注ぎます。高低差の割に河川長が短いため、度々洪水に見舞われます。その一方、河床は砂礫層で、流域の両岸には伏流水による湧水が多く、灌漑等に用いられてきました。河口は西日本有数の渡り鳥の渡来地となっています。
かなり広域で水を集めています。東温市付近を扇頂として広大な扇状地(道後平野)を形成しています。
日本最古の湯釜、道後温泉「湯釜薬師」 – Dōgo Hot Spring Water Stone Receptacle
中山川水系。
加茂川水系。西条祭り。
石鎚山(いしづちさん)。北側は加茂川水系から瀬戸内海に注ぎ込みます。南側は仁淀川水系で高知県の太平洋に注ぎ込みます。
台本川水系。しまなみ海道、大三島(おおみしま)。
辰野川水系。愛媛県宇和島市
辰野川水系
肱川(ひじかわ)水系。
<高知 - Kochi>
鏡川水系。高知県高知市。環境省「平成の名水百選」。高知市土佐山(旧土佐郡土佐山村)が源流。上流部のいくつかの河川の水を集めたのち、唯一のダムである鏡ダム(鏡(旧土佐郡鏡村))に貯水される。そして山間部を抜け、高知平野に入ります。この中流域では同じく高知平野を流れる江ノ口川への分流が行われています。その後、高知市街地を東西に横切り浦戸湾(土佐湾の支湾)に注ぎます。河口部分には小島(丸山台)が浮かんでいます。高知市中心部を流れる川でありながら水質は比較的良好であり、夏場の中流域は川遊びや遊泳を楽しむ人の姿が見られます。
鏡川水系。高知城。土佐藩初代藩主山内一豊により鏡川と北部の江ノ口川を外堀に利用した城(のちの高知城)の建設と城下町整備が始まり、治水工事が行われる。城は慶長8年(1603年)に本丸と二の丸が完成し、両川にちなみ河中山(こうちやま)城と名付けられた。しかし鏡川が度重なるはん濫を起こしたため、2代藩主忠義は河中の名を忌み嫌い、高智山城と改名した。後に城の名は省略されて高知城、城下町は高知と呼ばれるようになる。
下田川水系。流域面積は約18km2。江戸時代には、稲生鉱山で採掘された石灰を運び出すための航路として利用されていた。高知県南国市包末付近に源を発し、物部川から取水された農業用水を集めながら南西へ流れる。海藻やシジミやアカメなどの海洋生物が豊富で、非常に栄養価の高い水質です。樋詰川・介良川と合流して高知市五台山で浦戸湾に注ぎます。
渡川水系。四万十川。四万十川(しまんとがわ)は、高知県の西部を流れる一級河川で渡川水系の本流。全長196km、流域面積2186km2。名水百選、日本の秘境100選。高知県高岡郡津野町の不入山(いらずやま)を源流とし、県中西部を逆S字を描くように蛇行しながら多くの支流を集め、四万十市で太平洋に注ぎこみます。河口附近では「渡川」という名前であるため、水系名は「渡川水系」となっています。
仁淀川水系。仁淀川(によどがわ)は、四国の愛媛県・高知県を流れる一級河川。愛媛県内では面河川(おもごがわ)と呼ばれます。流域面積1,560km2、石鎚山などの源流から太平洋に注ぐ河口まで流路延長124km。四国の最高峰である石鎚山に源を発する面河川と、分水嶺である三坂峠から流れる久万川が、御三戸(愛媛県上浮穴郡久万高原町)で合流して形成される。四国山地に深いV字谷を刻みながら南下し、やがて高知県高知市/土佐市付近で太平洋へと注ぎ込みます。
地域経済分析システムRESAS、高知県いの町における、木製品・紙・パルプの「事業所立地動向」。
新荘川水系。
国分川水系。
安田川水系。安田川(やすだがわ)は、高知県安芸郡を流れ土佐湾に注ぐ河川。高知県安芸郡馬路村の稗己屋山(ひえごややま / 標高1228m)に源を発し南流。安芸郡安田町で土佐湾に注ぐ流程約30kmの川。広い河原や平野もなく比較的小規模な河川ですが、流域には日本の山里の原風景がまだ残っています。水質も良好であり、夏には川遊びを楽しむ人々で小さな安田川はいっぱいになります。
物部川(ものべがわ)水系。物部川(ものべがわ)は、高知県香美市の白髪山を水源とし、大小の支流34の河川を合わせつつ土佐湾に注ぐ一級河川。流域面積508km2、河川延長は幹河71km、流域内人口は約4万人。高知県香美市物部町久保影の剣山地・白髪山(しらがやま / 標高1769,7m)の東面に源を発し南流。香美市物部町別府で南西に向きを変え、高知平野東部を流れ香南市吉川町吉原で土佐湾に注ぎます。
物部川は本川上流部の流路に沿って仏像構造線が走っているため、地質特性は本川左岸側の四万十帯と本川右岸側の秩父帯に区分されます。四万十帯は中生代の砂岩がち互層から構成されているのに対し、秩父帯では古生代から中生代の泥岩、砂岩がち互層や凝灰岩層等が帯状に分布しています。
物部川河口部に広がる高知県最大の平野である香長平野では弥生時代から人類が定住していたとみられる遺跡や古墳が各地に残されています。
なぜ、いま、流域地図なのか?
流域地図を開発したい、開発しなければと思った動機が2つあります。現代の都市化社会では、山・川・街・海のつながりが見えにくくなってしまっている。いかにして、山・川・街・海を含めた大地の広がりを視覚的に表現できるか。また、水・土・空気といった恵みを育む山の価値を、都市に住む人たちへどのようにしてわかりやすく伝えることができるか。
毎年各地で起きる豪雨災害に対して、どうすれば効果的な治水対策を進めることができるだろうか。山・川・街・海を個別にとらえた断片的な治水対策ではなく、山・川・街・海を一体でとらえた総合的な治水対策はできないだろうか。また、総合的な治水対策を進める上で、素地となる共通理解をつくるにはどうしたらよいのだろうか。
上記を考える中、2021年夏、岸由二先生が提唱する”流域思考”に出会い、「これだ!」と直観しました。知人を介して岸先生へご連絡を差し上げ、岸先生やNPO鶴見川流域ネットワークのみなさまからのアドバイスをいただきながら、流域思考をベースにした流域地図を開発しました。気候変動が進む今、都道府県や市町村といった人間がつくった行政区分ではなく、水の流れを基礎とした流域という観点で、地域の暮らしや人間を含めた生きものたちの生命圏をとらえなおすことが何より重要です。また、治水をはじめ、食料やエネルギーなど生きていく上で欠かせないものや営みを、流域を単位に計測・可視化できれば、課題だけでなく各地域の可能性もより鮮明になると感じています。
流域から広がる足もとの大地こそが地球であり、世界であり、次世代に残したい風景である。そのような価値観を抱きながら日々を懸命に生きることが何より素敵で、かけがえのないことなんだ。流域地図がその一助になればと願っています。
YAMAP代表 春山 慶彦
流域とは?
「流域」とは「雨水が川に集まる大地の地形」を指します。私たちが暮らしている大地を含め、地球上のほぼすべての場所は、流域でとらえることができます。都道府県や市町村といった人間がつくった行政区分ではなく、水の流れを基礎とした生命圏の区分が流域です。その意味で、流域は地球の生態系の単位とも言えます。いざ源流の山へ
自分が暮らしている足もとの場所を流域地図で見たとき、周囲に山々が表示されます。その山々はあなたにとっての源流の山です。あなたの住む街に恵みをもたらしてくれる山であり、ふるさとの山です。登ったことがない方は、ぜひ一度自分の足で源流の山に登り、普段暮らしている街を山から見下ろしてみてください。登ったことがある方も、流域という観点をたずさえて、歩き慣れた源流の山に登ってみてください。登ったことのあるなしに関わらず、山の見方や住んでいる街のとらえ方に変化があるはずです。流域の観点をもって山や地域を歩くことは、何よりの生きる力になる、「地球とつながるよろこび。」になる。私たちYAMAPはそう信じています。
コメントを残す