香川県高松市にある「太田原高州遺跡」(弥生時代中期:紀元前1世紀~1世紀頃)
ここにある約2000年前のお墓から当時ではかなり珍しい水晶のネックレス(7つの水晶)が出土しました。

There is archaeological site at Takamatsu city, Kagawa pref.. The “Otawara Takasu antiquity” is considered to be about 2,000 years old and is from the middle of the Yayoi Period. A rare crystalline necklace (seven crystals) was found at the site.


Photo : 発掘現場通信 太田原高州遺跡

この水晶のネックレスは京都の天橋立付近でつくられたものと考えられています。
天橋立には、日本最大の水晶玉づくりの遺跡「奈具岡遺跡」があるのですが、
作られた玉は日本国内にはあまり存在せず、
海をわたって朝鮮半島に流通していたと言われています。

It is believed that this crystalline necklace was made at Kyoto. There was the biggest archaeological site which had produced crystals in Japan. But, few crystal have been found in Japan. It is thought that they went to the Korean Peninsula.

最近になって、この水晶の玉が、
奈良の「唐古・鍵遺跡」と香川の「太田原高州遺跡」で発見され注目されています。
わずかですが、日本国内にも流通していた証拠です。
Within recent years, crystals found at the archaeological site of Nara pref. and this Kagawa pref.. It was the evidence of which small quantities of crystals distributed.

「太田原高州遺跡」のお墓は瀬戸内ではあまり見ないスタイルで、
京都の奈具岡遺跡のそばにある奈具墳墓群というお墓に似ているのだとか。
そのため、水晶をつくっていた日本海側の京都の人達が、
香川に移住した可能性が指摘されています。
Otawara Takasu archaeological site at Kagawa preg. is similar style to Naraoka archaeological site at Kyoto. Thus, it is pointed out the possibility that they immigrated from Kyoto to Kagawa.

5月18日(土)13:00から現地説明会が開かれるとのこと。
昨年、2012年5月に開かれた現地見学会のレポートはこちら

発掘現場通信 太田原高州遺跡

日程:2012年5月18日(土)
時間:13:00~
場所:太田原高州西遺跡発掘調査現場 (香川県高松市太田上町)
主催:香川県埋蔵文化財センター

四国初 弥生中期の水晶玉 高松・太田原高州遺跡 : 香川 – 読売新聞

弥生時代中期(紀元前1世紀~1世紀頃)の方形周溝墓が見つかった太田原高州遺跡(高松市太田上町)から、装飾品と見られる水晶玉(直径7ミリ)7個が出土した。この時代の水晶玉が見つかるのは四国では初めて。県埋蔵文化財センターは「当時、水晶加工が盛んだった丹後(京都府北部)など日本海側と活発な交流があったのでは」としている。(田阪綾子) 県道工事に伴って昨年10月から発掘調査。

2012年5月13日の現地見学会のレポート

高松港から南に7kmほどいったところに
太田上町志度線というバイパス道路をつくっています。
その現場で、古墳時代の遺跡がみつかり説明会が開催されるというのでいってきました。

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場所は、高松市三名(さんみょう)町。

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工事中の道路には大きな重機が出入りしています。

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これが、太田原高州西(おおたはらたかすにし)遺跡の発掘現場。
沢山の人が訪れています。この遺跡の注目度がうかがえます。

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遺跡は、弥生時代後期(1800年前)と飛鳥時代(1400年前)の集落跡です。

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古墳時代後期の竪穴住居で、丸いのは柱の跡。

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せとうち暮らし「乗松めがね」のコーナーでおなじみ
考古学者の乗松先生による遺跡から発掘した土器などの解説。
1800年前、弥生時代の土器など、食卓の風景が思い浮かびます。とてもわかりやすい説明。

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好奇心旺盛な子供たちから次々に質問がとびだします。

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こちらは飛鳥時代(1400年前くらい)に水などをいれていた器。
こんな風に発掘した土器に直接手に触れて触れることができる貴重な機会です。

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弥生時代(1800年前)の食べ物をいれていたと思われる土器。
工業製品のような綺麗な形をしています。

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弥生時代の土器。

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こんな風に一般の人が現場に足を踏み入れることができるのも見学会ならでは。

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柱が建っていた穴は子どもが入ると、

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スポッ、とはまるくらいの大きさ。

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飛鳥時代の竪穴式住居のカマド。ここでお米を炊いたりしていたそうです。
関西では「へっつい」、京都では「おくどさん」と呼ばれたりしますね。
多くの竪穴式住居では、入口は南側、カマドは北側なのですが、理由はよくわかってないのだそう。

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弥生、飛鳥の竪穴住居跡 – YOMIURI ONLINE

県埋蔵文化財センターが4月から発掘調査を行っている太田原高州西遺跡(高松市三名町)で、弥生時代後期と飛鳥時代の竪穴住居跡(4~7メートル四方)などが見つかり、13日、現地説明会が行われ、家族連れら約100人が参加した。

県道のバイパス工事に伴い、同センターが約1100平方メートルを調査。これまでに弥生時代後期(2~3世紀頃)の竪穴住居跡2棟と、飛鳥時代(7世紀頃)の竪穴住居跡7棟などが見つかった。うち飛鳥時代の2棟では、北側の壁に作り付けのかまど跡が見つかった。

参加者は、住居跡の四隅に残る直径30センチほどの柱の跡や、熱で赤く変色したかまど跡の土などを見学。食器として使われた弥生土器や、かまどで米を蒸すための道具「甑(こしき)」の破片なども公開された。市立一宮小6年、冨田陽菜さん(11)は「昔の人が土器を使って料理していた様子が想像できて楽しい」と話していた。

同センターによると、近年の発掘調査で、飛鳥時代頃の住居跡の多くが同遺跡を含む半径2キロ以内に集中していることがわかってきたという。市内には、太田原高州西遺跡と時代的に重なる石清尾山古墳群があり、担当の乗松真也・文化財専門員は「これまで誰が葬られたか謎だった古墳群とのつながりが、今後わかってくるかもしれない」と話している。

高松市三名町 太田原高州西遺跡 発掘調査説明会のご案内

日程:2012年5月13日(日)
時間:午前10時~11時
場所:太田原高州西遺跡発掘調査現場 (高松市三名町740-1)
主催:香川県埋蔵文化財センター

県道太田上町志度線バイパスが部分開通しました!

全体事業概要

(1)路線名:県道太田上町志度線
(2)事業区間:高松市鹿角町~多肥上町
(3)事業延長:1,700m
(4)幅員:13.0(25.0)m(片側2車線+両側歩道)
(5)事業期間:平成15年度~

部分開通する区間について

(1)開通する区間:高松市多肥上町(県道岩崎高松線~県道中徳三谷高松線)
(2)供用開始延長:約860m
(3)供用開始日時 平成29年3月25日(土曜日)午後1時から通行可能

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参考:
発掘現場通信 太田原高州西遺跡

弥生、飛鳥の竪穴住居跡 : 香川 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
高松平野の災害史展:市歴史資料館で始まる /香川- 毎日jp(毎日新聞)
生徒が発掘調査体験/塩江中で発見の室町集落跡 | 香川のニュース | 四国新聞社