87年前の今日、1934年(昭和9年)3月16日に、日本初の国立公園として瀬戸内海国立公園が誕生しました!なぜ、瀬戸内海が日本で最初の国立公園として選ばれたのか。それは、100年前の1911年(明治44年)に『瀬戸内海論』という本を書かれた香川県さぬき市の小西和(こにしかなう)さんの功績によるところがとても大きいです。

すべてはこの一冊からはじまった。

今から100年以上も前に書かれた瀬戸内海の魅力を詰め込めるだけ詰め込んだ、瀬戸内のバイブル。小西和(こにしかなう)さんの『瀬戸内海論(1911年)』。
この本のなかで、環境・景観・文化財の保存、外国人観光客の誘致などについて触れています。瀬戸内海を国立公園として保護する必要があることを国会で最初に提唱し、1934年に瀬戸内海が雲仙・霧島と並んで日本で最初の国立公園に選ばれました。
観光振興と環境保護。100年以上も前に語られていることなのに、今の時代にもまったく同じ問題意識が当てはまることに驚嘆します。この人がいなかったら、ひょっとしたら今の瀬戸内海の世界的な評価どころか、瀬戸芸すらなかったんじゃないだろうか。
しかし意外にもこの、香川県さぬき市(名東県寒川郡長尾名村)出身の小西和という人物について、県外どころか香川県内でもまだまだ知られていません。ということで、こえび新聞 瀬戸内アーカイヴ編集チームでさぬき市歴史民俗資料館へ行ってきました。北海道の開拓、農業振興、スケッチ、新聞記者、書、世界旅行のカバンや写真記録など様々な資料を拝見させていただきました。どれもこれも素晴らしい資料でした。
またぜひ、小西和さんの展示を瀬戸芸のタイミングとかでやってほしい。次号、こえび新聞もお楽しみに。

参考:こえび新聞vol.19中面 瀬戸内海論特集 – PDF

こえび新聞vol.19中面 小西和(香川県さぬき市)「瀬戸内海論」


THE INLAND SEA OF JAPAN


新渡戸稲造


地図


世界之公園 瀬戸内海遊覧地図


小西和さんが、世界一周した時に使用していたトランク


1928年(昭和3年)6月4日より10月26日まで欧米を巡ったときに持参したトランク。フランス・パリでの万国議員商事会議とドイツ・ベルリンでの列国議員同盟会議に参列後、欧亜の2州とアメリカ大陸を視察した。シベリアは列車、大西洋・太平洋の横断は汽船であった。


ホービルホテル


Copenhagen コペンハーゲン


Paris パリ


Venezia ベネチア


NEW YORK ニューヨーク


AOYAGI HOTEL 青柳旅館


AZUMA HOTEL 旅館 吾妻支店


HOTEL ASTOR NEWYORK


台南 駅前 旅館 東屋 


GRAND HOTEL ROYAL Budapest ブダペスト


KASHIWABARA HOTEL 柏原ホテル


MARSEILLE マルセイユ


世界一周旅行をした際の写真アルバム


世界一周写真帖 昭和3年


屋島小豆島を中心とする海上公園


屋島山 獅子の霊巌


高松築港


八幡宇佐宮。宇佐神社(香川県さぬき市長尾名)


小西和 櫻の碑


コノ櫻ハ明治三十七八年ノ戰役ニ従軍シタ私ガソノ
記念トシテ明治四十年カラ四年間ニ苗木二千五百本
ヲ埼玉縣カラ取ヨセテ奉納イタシタモノデアリマス
追々育ツテ花ガ咲キ森ヤ水ト調和シテ美シウナツテ
來マシタソレデココガ亀鶴公園ト名ヅケラレ一ツノ
名勝ニナリマシタ神様ハ御喜ビナサル多勢ガ見物ニ
集ル花ノ下ニハ色々店ガ出ル池ニハ遊ビ舟ガ絶ヱズ
夜ハ電燈ガ光リ渡ツテ賑フ有様デ歌ヒ踊ツテ樂ンデ
クレマス長イ年月ノ後ニハ木ガ自然ニ枯レテ來ルデ
セウカラソノ時々苗木ヲ植エテ補ハネバナリマセン
仍テココニ石ヲ建テ之ヲ記シテ置キマス
昭和四年四月七日 衆議院議員勲三等小西 和

この桜は明治三十七八年の戦役に従軍した私が、その 記念として明治四十年から四年間に苗木二千五百本 を埼玉県から取り寄せて奉納いたしたものであります。 追々育って花が咲き森や水と調和して美しくなって 来ました。それでここが亀鶴公園と名づけられ一つの 名勝になりました。神様はお喜びなさる。大勢が見物に 来る。花の下には色々店が出る。池には遊び舟が絶えず 夜は電灯が光り渡って賑わう有様で、歌い踊って楽しんで くれます。長い年月の後には木が自然に枯れて来るで しょうからその時々苗木を植えて補わねばなりません。 よってここに石を建てそれを記しておきます。 昭和四年四月七日 衆議院議員勲三等 小西 和


小西和生家跡


印鑑

小西和 - Kanau Konishi

小西和 – Wikipedia

小西 和(こにし かなう、1873年(明治6年)4月26日 – 1947年(昭和22年)11月30日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→中正会→憲政会→立憲民政党)、実業家。

名東県寒川郡長尾名村(現在の香川県さぬき市長尾名)出身。札幌農学校で植物学を専攻した。東京朝日新聞に入社して、博物方面の記事を担当し、『日本の高山植物』(二松堂、1906年)を著した。また日本海洋会の理事となり、『瀬戸内海論』(文会堂、1911年)を著した。

実業方面では、南満州製糖株式会社・亜細亜煙草株式会社・中国葉煙草株式会社・東亜拓殖興業株式会社の取締役を歴任した。

1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回の当選回数を数えた。

瀬戸内海国立公園の父 小西 和 – さぬき市歴史民俗資料館

1934年(昭和9)3月16日、瀬戸内海が雲仙、霧島と共に、日本で初めての国立公園に指定され、今年で80周年を迎えます。
その魅力を最初に総合的な書物として発表し、国立公園として保護する必要があることを提唱した人が、本市出身の小西 和氏でした。

 小西 和は、瀬戸内海の魅力を日本で最初に総合的な書物として1911年(明治44)に「瀬戸内海論」として発表し、国立公園として保護する必要があることを国会で最初に提唱した人です。
その努力により、瀬戸内海が雲仙、霧島と共に国立公園第1号として指定されました。また、史跡名勝天然記念物を中心とする文化財の保存についても国会で提案し、今日の文化財保護制度につながる礎(いしずえ)も築きました。

さらに、北海道の開拓についても小西の果たした役割は大きく、栗沢町(現北海道岩見沢市)を中心とする北海道で生活する人々の心の中に、小西の遺志は受け継がれています。
1899年(明治32)に農業経営が水害等で破綻し、北海道を去ることになりましたが、その功績は現在も称えられています。
ジャーナリストとしても偉才を発揮し、数多くの記事を掲載したことで多くの読者を魅了したり、実業家、文化人としても活躍するなど多方面にわたって才能を発揮した、さぬき市の偉人の一人です。

参考:瀬戸内海国立公園の父 小西 和の主な功績 (山本 一伸 さぬき市教育委員会 生涯学習課文化財係) – PDF