瀬戸内海を一望できる五色台山上に、石を積んだ山城のような素敵な建築があります。建築や瀬戸内海の文化に興味のある方はぜひ足をはこんでほしい資料館です。瀬戸内歴史民俗資料館は、香川県立ミュージアムの分館でありながら、活動範囲は瀬戸内海全域の11府県と広域で、県境を超えて資料の収集や調査研究をする民俗資料館は全国的にも珍しく貴重な施設です。
五色台の自然景観に調和した建築の設計は、香川県建築課課長であった建築家の山本忠司さんによるものです。1973(昭和48)年に完成。1975(昭和50)年に「日本建築学会賞(作品賞)」、1988(昭和63)年「第一回公共建築賞優秀賞」、1998(平成10)年「公共建築百選」、2013(平成25)年DOCOMOMO Japanより「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選ばれています。

On top of Goshikidai Mountain, overlooking the Seto Inland Sea, there is a lovely building that looks like a mountain castle built of stones. This museum is a must-see for anyone interested in architecture and the culture of the Seto Inland Sea. The Setouchi History and Folklore Museum is a branch of the Kagawa Prefectural Museum, but its scope of activity is as wide as 11 prefectures throughout the Seto Inland Sea, making it a rare and valuable facility in Japan for a folklore museum that collects materials and conducts research and studies beyond prefectural borders.
Completed in 1973, the building was awarded the ‘Architectural Institute of Japan Award (Work Prize)’ in 1975, the ‘First Public Building Award for Excellence’ in 1988, the ‘100 Best Public Buildings’ in 1998, the ‘Public Building Award’ in 2013, and the ‘Public Building Award’ in 2014. It was selected as one of the ‘100 Best Public Buildings’ in 1998, and as ‘Architecture of the Modern Movement in Japan’ by DOCOMOMO Japan in 2013.

瀬戸内海歴史民俗資料館
時間:9:00~17:00 (入館は16:30まで)
休館:月曜日(月曜日が休日の場合は、原則として翌火曜日)、年末年始
料金:無料
住所:香川県高松市亀水町1412-2 [Google Map]
電話:0878814707
設計:山本忠司
竣工:1973(昭和48)年
受賞:日本建築学会賞(作品賞)、第一回公共建築賞優秀賞、公共建築百選、日本におけるモダン・ムーブメントの建築(DOCOMOMO Japan)
指定:「瀬戸内海及び周辺地域の漁撈用具」(2,843点)、「瀬戸内海の船図及び船大工用具」(2,813点)、「西日本の背負運搬具コレクション」(310点)が国の重要有形民俗文化財

Seto Inland Sea Folk History Museum
Opening hours: 9:00-17:00 (admission by 16:30).
Closed: Mondays (if Monday is a holiday, as a rule the following Tuesday), Year-end and New Year holidays.
Fee: Free of charge
Address: 1412-2, Gumisui-cho, Takamatsu City, Kagawa Prefecture [Google Map]
Tel: 0878814707
Design: Tadashi Yamamoto
Completed: 1973
Awards: Architectural Institute of Japan Award (Prize for Best Work), 1st Public Building Award for Excellence, 100 Best Public Buildings, Architecture of the Modern Movement in Japan (DOCOMOMO Japan).
Designation: ‘Fishing Tools of the Seto Inland Sea and Surrounding Areas’ (2,843 items), ‘Ship Drawings and Ship Carpentry Tools of the Seto Inland Sea’ (2,813 items), ‘Collection of Back Carriers in Western Japan’ (310 items) are nationally important tangible folk cultural properties.

2018年08月31日撮影


石積み


プロフィール写真を撮りたくなるかっこいい壁面


赤灯台


エントランスホール


椅子


柱の木目


木造船。イワシ地曳網船(じびきあみふね)。愛媛県双海町上灘(かみなだ)。イワシ地引網の1隻で網を仕掛ける片手廻しの船。昭和46年まで使われていました。材質は日向杉(ひゅうがすぎ)。そそり立つような舳先(へさき)、水押(みよし)が特徴的です。国指定重要有形民俗文化財。


錨(いかり)。


カンコブネ。徳島県鳴門市堂浦(どうのうら)。全長6.72m。鳴門海峡のような速い潮流を乗り切るために肩幅を狭くした三枚板づくりの小型漁船。「カンコ」とは元来、四角い入れ物のことで、それが船の呼び名としても用いられるようになりました。鳴門市や淡路島の南淡(なんだん)町福良(ふくら)などで釣り漁に使われました。国指定重要有形民俗文化財。


伝馬船(てんません)。機帆船伝馬(きはんせんてんま)。岡山県倉敷市玉島。伝馬船は、江戸時代には弁財船(べんざいぶね)など直接、接岸できない大型船に搭載して陸と行き来する小型船をいい、はし船、打櫂船(うちかいぶね)とも呼ばれ、船祭りでは櫂伝馬(かいでんま)にもなりました。昭和の機帆船に積んだ伝馬船にも水押(みよし)の船体から突き出た部分を切った伝馬水押(てんまみよし)やホオベラ(水押の脇板)、側面後部の化粧板などかつての伝統が守られています。この船は、機帆船『第五玉島丸』に搭載されていた伝馬船で、1958年(昭和33年)に建造され、東京〜長崎間で活躍しました。


カイデンマ。広島県大崎上島。全長10.8m。芸予諸島、大崎上島で行われてきた祭礼時の船競争で使用した船で「櫂(かい)」で漕ぎます。舳(じく/みよし/船首部分)は、足伝馬や農船と同じですが、航(かわら/船底部分)が細長いです。島内の東野地区では、旧暦6月29日に住吉神社の祭りに町内4組で競争しました。


渡し船(わたしぶね)。広島県高根島(こうねじま)。生口島の瀬戸田と高根島との間、100数十mをむすぶ人々の足として、昭和25年から30年ころまで活躍しました。その後も代船として働きましたが、昭和45年高根島橋の完成によって役割を終えました。舳先から乗降し、出航時は「手こご」で岸壁をこねて押しました。平素は無料、正月と盆は渡し分として「麦一升(むぎいっしょう)」を渡しました。


重要文化財の和船がたくさんあります。


鯨の骨。ミンククジラ。1995年6月6日に、香川県志度町大串半島の先端から東、約2kmの海上で死んでいたものです。体長は、5.9mで若いメス。財団法人日本鯨類研究所の記録によると、過去に瀬戸内海でミンククジラがみつかった記録はなく、このクジラがはじめてとのこと。鯨の骨は、端のほうはスポンジ状でもろくなっており、浮力で身体を浮かせるのに役立っています。


雨乞いの龍。香川県三豊市仁尾町。1980年(昭和55年)制作。(仁尾町雨乞龍民俗資料保存会)


男木島(おぎじま)のナマリ。潜水用具。胸の前に垂らして使う錘(おもり)。ミッフィーちゃんみたいで可愛らしいデザイン。


タチガイのカギ。潜水用。男木島(おぎじま/香川県高松市)


タイラギ貝。貝柱が大きく美味しい。通常は、船上で殻がむかれ、貝柱だけで流通します。繊維は柔らかく、甘みがあり、帆立貝より上物として扱われます。


サンマイアバ(エビス)。愛媛県宇和島市津島町北灘。漁網の網霊を信仰するオオダマ信仰がイワシ網漁にあります。漁網の真ん中の3枚の浮子(あば)を休漁の時に外して、神棚に祀ったり、宇和島市の和霊神社(われいじんじゃ)に持参して祈祷してもらい、大漁を祈願しました。「浮子(あば)」と呼ばれる網の浮き部分に突起があるのは、エビスさんの烏帽子の形状を模したものと聞きました。


イワシカケビキ網(船曳漁)の中心に装着された浮きで、漁場の権利を行使するための浮き標として海面に浮かべられることもありました。


ヨベッサンとダイコクサン。伊吹島(いぶきじま/香川県観音寺町)。大漁祈願のため、タイシバリ網船に祀った土製のエビス・ダイコク像です。大黒さんは五穀豊穣の農業の神さま、恵比寿さんは大漁追福の漁業の神さま。


ほら貝。小豆島


潮見石(しおみいし)。香川県詫間町箱。風や波の少ない海辺に置かれ、満潮になると内側に海水が入り、干満の変化を見るのに役立てていました。池の真ん中の細かい石と池の内側には満潮時の水位の線が印されています。「潮見の池」ともいいます。満潮が近づき、池の水位が8分目くらいになると海岸で枯れ葉を炊きます。その白い煙を合図にして、沖のカズラ船が一斉にカズラ網を投入して鯛(たい)地引網漁の開始となります。


マエソ。香川県多度津町、高見島。棕櫚(しゅろ)の葉と稲わらで編んだ防水用前かけ。高見島の漁師が、鯛網やイワシ網を曵く時に、腰に前掛け状に着用して、下半身に海水がかかるのを防いでいました。昭和35年まで使用されていました。国の重要有形民俗文化財。


オオダコ釣り針。香川県高松市


蛸壺(たこつぼ)


ハゼつぼ。ハゼは、世界中の海水と淡水が交わる汽水域の淡水域に生息。2100種類もの種類が存在します。


スマリ。延縄(はえなわ)用。香川県さぬき市


瀬戸内の突き漁具。カナツキとモリ

突き漁具には、カナツキとモリの二種類があります。カナツキは、先の尖った鉄線に木か竹の柄をつけて水中の魚介類を突きとる漁具です。モリは先端のモリ頭が着脱式になっていて、海面近くの魚を投げ突きする道具です。瀬戸内海ではカナツキ漁が中心で、モリは太平洋岸の外洋に多いようです。カナツキでは、カガミと呼ばれるガラスの入った箱を使って、海中を見ながら突きます。エイツキは、濁った水中を突くので、水の動きと長年の勘を頼りに突きます。


魔除けの貝殻。トゲトゲが魔を払います。ツノガイ(オニサザエ)。麻疹・疫病除け。徳島県鳴門市。国重要有形民俗文化財。


オノミチキサンゴ。リュウゴンサン(龍王)への供物。国重要有形民俗文化財。岡村島(愛媛県今治市)


貝殻のキラキラが魔を払います。直島(なおしま/香川県)。アワビ「鎮西八郎為朝御宿」戸口に掲げる魔除け。国重要有形民俗文化財。

魔除けの貝アワビとホネガイ。瀬戸内から九州東海岸ではアワビが、四国や近畿地方の太平洋岸ではホネガイなどのトゲのある貝が、魔除けや疱瘡(ほうそう)除けとして家の戸口につるされました。節分の柊(ひいらぎ)のように尖ったもの、チクチクするものや、アワビのような光るもの、または臭いを放つものなどが、魔物や病気を撃退することができると信じられていました。直島(なおしま/香川)では、特にアワビの貝に「鎮西八郎為朝御宿」と墨書したものが掲げられました。鎮西八郎為朝(チンゼイ ハチロウ タメトモ)は、強弓の使い手で、保元の乱ののち伊豆に流された源氏の武将。近年の研究では、江戸時代の終わり頃、直島の庄屋が源為朝(みなもと の ためとも)を主人公にした伝奇小説『椿説弓張月(ちんせつ ゆみはりづき)』の作者・曲亭馬琴(きょくてい ばきん)に江戸まで会いに行っていたことが知られています。その影響からこうした墨書が書かれることになったとも考えられています。小説の中では崇徳院に関連して直島も登場し、また為朝(ためとも)は八丈島で疱瘡神(ほうそうがみ/天然痘をつかさどる神)を退治しており、その場面は葛飾北斎の挿絵で描かれている。疱瘡神を退治した為朝の力にあやかろうとしたのでしょうか。(収蔵品紹介|香川県)


ふぐのトゲトゲが魔を払います。


姫島(大分県)。ふぐの皮を張った銭太鼓。盆踊り「太鼓踊り」で手に持ち踊る。国重要有形民俗文化財


ダンベ。国重要有形民俗文化財。姫島村(大分県)。竹で編んだ大型生簀。一本釣りの餌であるイカ・エビ・イカナゴなどを生かすための生簀で、籠屋に作ってもらったものです。孟宗竹を使用。


エベスサン。高見島(香川県多度津町)。漁師が信仰した恵比寿神。クスノキの一材から掘り出したもので、半跏に座して烏帽子をかぶり、左手に鯛を持つ。漁の神様として信仰されていました。明治時代につくられ、昭和10年頃まで高見島で祀られていました。国重要有形民俗文化財。


リョウスケサン。香川県三豊市仁尾町。燧灘(ひうちなだ)海域で祀られる海の神様。明治時代から昭和初期頃まで網元で祀られていたリョウスケサンと呼ばれる人形。伝承では、昔、正月と祭りには阿波のデコ廻しが来ていましたが、ある年、鯛の豊漁があり、その人形を譲り受けてエベスサンの代わりに祀るようになったのがはじまりです。燧灘沿岸の香川県で確認されていて、「船頭さん」という説もあります。国重要有形民俗文化財。


船大工の工場を再現。小型の定置網漁船の制作風景を再現したもの。手前の板は、船の側面。2枚の船材の日向弁甲(ひゅうがべんこう/杉)を、船釘を使って繋げて大きい板をつくっています。


一枚板のようにみえますが、実は、2枚の木をつなぎ合わせています。この技術を接合(はぎあわせ)とよび、海水が入らないようにするのが船大工の腕の見せ所でもあります。


フナダマサン。和歌山県田辺市本町。


走島(広島県福山市)


福岡県玄海町


背負子(しょいこ)。芸予諸島の大崎下島、大長(おおちょう)では、島の段々畑から収穫したみかんを農船へ運ぶのに、ホゾ差し式の爪をつけた5本桟の背負子を使います。


背負子。


カチカチ。高見島(たかみじま/香川県多度津町)。高見島の急斜面につくった段々畑では、大麦・小麦・サツマイモ・小豆・大豆・栗・キビなどが作られました。この道具は、豆や麦などを筵(むしろ)の上において叩くことで、殻と実をわけるために使われました。


ジャバラ。高見島(たかみじま/香川県多度津町)。豆や麦などを筵(むしろ)のうえにおいて叩き、実と殻を分けるために用いられた道具。


戦国時代に三河(愛媛県)から始まったとされる綿花栽培は、その後、摂津・和泉・河内などの大阪湾沿岸、そして温暖な瀬戸内一帯にも広がっていきました。瀬戸内海沿岸では、各地で埋め立てが行われ新田開発が進められますが、塩分を含んだり、用水確保が難しい地域では、綿花栽培が盛んに行われました。やがで、それらの生産地を背景に木綿織物などの繊維産業も発達しました。世界的にも知られている岡山県の倉敷のジーンズ産業もその延長線上にあります。


タコツキ胴石。ため池築堤の際、丸く扁平させた大石に数本の縄をつけ、数人で音頭にあわせて落下させて地盤を突き固めました。


滝の宮の念仏踊り。雨乞い奉納の団扇(うちわ)。香川県綾川町の滝宮神社と滝宮天満宮に毎年8月25日に奉納される滝宮の念仏踊(国重要無形民俗文化財)。渇水時に臨時に踊られる雨乞い奉納の際、下知(げんじ)が持つ大団扇。常例の時は「太陽と月」が表裏にあしらわれますが、雨乞いのときには「雨と水」の文字となります。踊り手の笠の縁の垂(しで)も、常例時には金銀や赤青の色紙が貼られますが、雨乞いのときには水色になります。


香盤(こうばん)。香川県さぬき市。池や川の水が少なくなると、定められた時間、順序に従って田んぼに水をいれることが行われました。これを番水といいます。香盤は時間を計る道具で、香川県では抹香(まっこう)や線香を燃やし、燃える時間によって配水を行いました。

Water Incense Sticks Box


雨乞いの祠。香川県まんのう町
Prayer for Rain Shrine


田植え綱。小豆島。苗の間隔を同じにするために使われた縄。


ベントウフゴ。小豆島。弁当袋として使われた運搬用具。フゴとは稲わらなどを材料として菰編み(こもあみ)で作られた運搬用具。


田鞍(たぐら)。香川県綾川町。牛馬に農具を引かせるために背中に小さい鞍をのせるのは日本独特。農具を牽引するために使った鞍。


農村歌舞伎用衣装、打ち掛け。小豆島福田地区。歌舞伎「毛剃(けぞり)」(博多小女郎波枕)で使用された打ち掛け。


オトグイ棚。香川県三豊市詫間町香田。神霊を依り憑かせ、神祭をする棚。香川県三豊市詫間町大浜にある船越八幡神社の秋祭り。トウヤ組ではオトグイ棚がつくられ、神が降り立つ目印になる高い神木が立てられ、神迎えが行われます。オトグイ棚にはオトグイと呼ばれる神饌(握り飯)がお供えられ、それを白い鳥が食べると良い年になると言われています。

詫間町大浜にある船越八幡神社の祭礼にあたり、当神社が香田地区にあったことに由来して、香田地区の明神社にオハケとオトグイ棚が設けられ、オトグイ神事が行われる。また香田地区の人たちが船越八幡神社の神饌を用意し供えます。三豊市無形民俗文化財。


ドンザ。漁民が着た仕事着や夜、船などで眠るときに着た夜着は全国的にドンザと呼ばれています。仕事着として着られたドンザの中には大小の布を継ぎあてし、ボロになるまで着られたものもあれば、緻密な刺し子で文様を施したサシコドンザはよそ行きの着物、おしゃれ着でもありました。


緻密な刺し子が施された直島のドンザ。直島の網元が着用していた「サシコドンザ」は、15種類の刺し子文様による豊かな装飾が美しいです。漁の晴れ舞台に立つ息子のために母親が仕立てたものと伝えられています。


雨の配水口


雨落ち


展望台からの眺め


採光窓


屋根


赤峰山


男木島


パノラマ

瀬戸内海歴史民俗資料館
時間:9:00~17:00 (入館は16:30まで)
休館:月曜日(月曜日が休日の場合は、原則として翌火曜日)、年末年始
料金:無料
住所:香川県高松市亀水町1412-2 [Google Map]
電話:0878814707
設計:山本忠司
竣工:1973(昭和48)年
受賞:日本建築学会賞(作品賞)、第一回公共建築賞優秀賞、公共建築百選、日本におけるモダン・ムーブメントの建築(DOCOMOMO Japan)
指定:「瀬戸内海及び周辺地域の漁撈用具」(2,843点)、「瀬戸内海の船図及び船大工用具」(2,813点)、「西日本の背負運搬具コレクション」(310点)が国の重要有形民俗文化財

Seto Inland Sea Folk History Museum
Opening hours: 9:00-17:00 (admission by 16:30).
Closed: Mondays (if Monday is a holiday, as a rule the following Tuesday), Year-end and New Year holidays.
Fee: Free of charge
Address: 1412-2, Gumisui-cho, Takamatsu City, Kagawa Prefecture [Google Map]
Tel: 0878814707
Design: Tadashi Yamamoto
Completed: 1973
Awards: Architectural Institute of Japan Award (Prize for Best Work), 1st Public Building Award for Excellence, 100 Best Public Buildings, Architecture of the Modern Movement in Japan (DOCOMOMO Japan).
Designation: ‘Fishing Tools of the Seto Inland Sea and Surrounding Areas’ (2,843 items), ‘Ship Drawings and Ship Carpentry Tools of the Seto Inland Sea’ (2,813 items), ‘Collection of Back Carriers in Western Japan’ (310 items) are nationally important tangible folk cultural properties.

建物紹介|香川県

昭和48(1973)年に竣工した瀬戸内海歴史民俗資料館は、昭和50(1975)年に「日本建築学会賞(作品賞)」を受賞し、建築雑誌『新建築』『建築文化』にも紹介され、昭和63(1988)年には「第一回公共建築賞優秀賞」も受賞しました。また平成10(1998)年には「公共建築百選」にも選ばれるなど、香川県を代表する建築物です。設計は当時、香川県建築課課長であった山本忠司氏。

特長
瀬戸内海国立公園を見下ろす山上に立地する。
「海賊の城」のイメージで設計する。
自然地形を活かし、外壁は建築工事の際に出た石を積み上げるように貼りつける。
面積の大小、床面の高低がそれぞれ異なる10の展示室が中庭を囲むように配置される。
館内合計170段以上を数える階段や屋外を通りながら巡る。
小さな展示室にはそれぞれ窓ガラスをはさんで屋外にも展示スペースが用意される。
展示室の展示壁面にはハイサイド窓が設けられ採光がとられる。

建築家 山本忠司氏の回想「完成への道程」より
自然環境の中で建築という行為をするとき最も問題となることは、対立か調和かということであろうか。岩山を破壊することから始めたこの建築は明らかに自然破壊そのものであったが、丘の形にそって配置した建築の内部空間にもアップダウンが山の勾配にそってある。建築群で囲まれた内庭には自然のままの植生が残してある。それは囲まれた自然であり、建築の外側にも大きな自然が、こんどは建物を取巻いている。地中深く眠っていた石は、ダイナマイト爆破され、地球上の酸素を吸収し、新しい息吹きを得た。一つ一つ別な表情をもつ石たちは地上高く積上げられ、一つのマスとなって別な表情と生命を得た。なぜ石を積重ねるのかという疑問がある。それにはなぜ石を捨てるのかという疑問で答えることになる。この場合、外装のためタイルを貼ることと若干意味が異なってくる。
建築の外部に向かってもいくつかの石垣で構成した棚を作った。建築と同じ8m角であるこれらは、内から外に向かって展示されるスペースであり、内にある自然の空間もやっぱり展示スペースであるが、内のスペースと外のスペースとを合わせて一つのものとするという考えであり、それらの面積を合わせると建築面の約3倍はある。

(『展示案内 瀬戸内海のくらしと歴史』瀬戸内海歴史民俗資料館1999年より)