今治ラヂウム温泉
住所:愛媛県今治市共栄町4-2-9 [Google Map]
開業:1919年(大正8年)
指定:国の登録有形文化財(2016年登録)

Imabari Radium Hot Spring
Address: 4-2-9, Kyoei-cho, Imabari, Ehime [Google Map] 
Opened: 1919 (Taisho 8)
Designation: Nationally registered tangible cultural property (registered in 2016)

2021年2月27日撮影


サウナのおすすめ


ベンチ


健心


かぶり湯


ドーム



ボディシャワー


昔からの自然力マッサージ、うたせ湯。露天風呂


カラン


電気風呂


本格サウナ入浴


本日の健康薬用ぶろ、薬草タイプ
遊泳気分のフワフワマッサージ、あわ寝風呂


バスフレンド、よもぎ


昔の公衆浴場って男女の間って天井部分がつながっていますよね。石鹸のやり取りとかするためなのかな。


東京手打ち生そば、天ぷら、各種丼物。更科


ロッカー


熱気浴(湿式サウナ)


盗難に御注意。節水




換気窓


そろばん


当時の写真


ドームと煙突

【愛媛 国の登録有形文化財】今治ラヂウム温泉 – [Ehime / National tangible cultural property] Imabari Radium Hot Spring

2021年2月25日撮影


タバコ・本。ラヂウム温泉


ホテル。ゆ


いいフォント。『今治ラジウム温泉』


本格サウナ、スチームサウナ、露天風呂、うたせ湯、水風呂、ボディシャワー、かぶり湯、電気風呂、高温湯、低音湯、ジェット風呂、薬湯


御蔵街


せんべい


はり・灸。うさぎ堂


木製ベランダ


家跡


木下理容院


ラムネ


今治港。底引き網漁船。

今治ラヂウム温泉
住所:愛媛県今治市共栄町4-2-9 [Google Map]
開業:1919年(大正8年)
指定:国の登録有形文化財(2016年登録)

Imabari Radium Hot Springs
Address: 4-2-9, Kyoei-cho, Imabari, Ehime [Google Map] 
Opened: 1919 (Taisho 8)
Designation: Nationally registered tangible cultural property (registered in 2016)

今治ラヂウム温泉 – Wikipedia

今治ラヂウム温泉(いまばりラヂウムおんせん)は、愛媛県今治市にある公衆浴場施設。施設の本館(オリジナル建築)が国の登録有形文化財に登録されている。2014年(平成26年)3月末より浴場は休業、現在は閉館となっている。

瀬戸内海の大島出身の実業家・村上寛造(むらかみ かんぞう)が設立。 村上は1919年(大正8年)「共楽館」の名称で、常設映画館と「ラヂウム温泉」を設立創業して、1923年(大正12年)頃までには一帯に「京町歓楽街」を形成。京町一帯(現在の共栄町3丁目、4丁目)の土地開発と店舗住宅の建設を進め、1924年(大正13年)「京町住宅株式会社」を設立。さらに1933年(昭和8年)常設映画館「第二共楽館」を開設。 1920年(大正9年)の今治市地方都市誕生に併せて、町の中心に歓楽街をつくるため、娯楽の場として地域のシンボルかつ象徴的なランドマークが誕生する。 戦中の役割の変化 この辺りで頑丈な鉄筋コンクリート造の建物は当時珍しく、太平洋戦争期の1942年(昭和17年)頃には越智郡郷土防衛隊の本部が設置される。1945年(昭和20年)の今治空襲では市内の8割が焼失したが、奇跡的に戦火を免れ、空襲直後は病院や銀行などが集まる地域インフラの拠点(2階大ホール部分)となる。 戦後の増改築と休業、文化財登録へ 1951年(昭和26年)「株式会社ラヂウム温泉」を設立。1967年(昭和42年)に建物の3階部分を増築し、「ホテル青雲閣」を開業。さらに1988年(昭和63年)、サウナ風呂やスチームバスなど13種類の様々な風呂を取り入れた近代型銭湯に改築する。 2014年(平成26年)3月末、浴場を休業。約2年半後の2016年(平成28年)11月29日に国の登録有形文化財に登録され、以降も建物はそのままの姿で残されている。

建物・内装の特徴
当初の建物(オリジナル建築)は三角屋根の3階部分がなく、鉄筋コンクリート造の2階建て(建物上部には下記の塔屋があり)であった。 建物の背後に八角形ドームの男女浴室(計2つ)があり、建物上部には五角形と六角形の平面を重ねた塔屋があるなど独特な形状の意匠が随所に見られる。建物内部は、柱や幅木などのモルタル壁面に「マーブル技法」という大理石様の左官仕上げが施されており[注 7]、2階ホールにある階段入口や脱衣場の壁面などで確認できる。 設計など建築に関する当時の資料が乏しいこともあり、建築家などの詳細は現状では明らかになっていない。一部ではオランダ近代建築の父・ベルラーヘの建築手法との類似性が指摘されている。 1967年(昭和42年)には三角屋根の建物3階部分を増築。さらに1988年(昭和63年)には前述のとおり近代型銭湯として改築された。この時に浴場玄関付近の構造(外壁の位置含む)が昔ながらの番台からフロント式に変更となった。 当施設の設立時期については閉館後に発見された様々な資料により明らかになっているものの、建築家に関する情報や建物の構造など一部未解明の部分が残されているため、今後も新たな資料の発見と知見、それらを基にした研究の進展が待たれている。