瀬戸内海に浮かぶ網掛岩(つなかけいわ)と鳥居。愛媛県大洲市の伊予灘の海岸沿いに幻想的な光景があります。この岩に綱が掛けられ鳥居がおかれたのには1200年以上も前の伝承が残されています。天平12年(西暦740年)に伊予の国主・越智玉澄(おちたますみ)が筑前国(ちくぜんのくに/福岡県北西部)に向かった際に、海が荒れ、船を繋ぎ止めるために綱を投げ掛けたのがこの網掛岩で、その後、九州の藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の乱を鎮圧し、帰りにこの地に立ち寄り三島神社を建立したと伝わっています。

The Tsunakakeiwa Rock with Torii of Mishima shrine are located along the shore of Seto Inland Sea, Ehime pref., Japan.

網掛岩(つなかけいわ)
住所:愛媛県大洲市長浜町櫛生 [Google Map]

Tsunakakeiwa Rock
Address : Kushiu, Nagahama town, Ozu city, Ehime pref., Japan [Google Map]

綱かけ岩
住所:愛媛県大洲市長浜町櫛生 [Google Map]

Tsunakakeiwa Rock
Address : Kushiu, Nagahama town, Ozu city, Ehime pref., Japan [Google Map]

綱掛岩(つなかけいわ)の由来

740年(天平12年)9月、九州太宰府の少貳(しょうに/次官)藤原広嗣は、朝廷に対し反乱を起こした。朝廷は、大野東人(あづまひと)を大将軍に任命し、1万7,000の兵を率いその反乱を鎮圧した。

その際、伊予の国主越智玉澄(こくしゅおちたまずみ)も多くの兵を率い、船を利用して筑前(福岡県北西部)を目指した。しかし、その途中大時化(おおしけ)に遭いこの浜辺に一時滞在することになった。その時、船の艫綱(ともづな)を投げ掛けたこの岩を「綱掛岩」と伝称している。やがて、広嗣軍を征討した玉澄は、帰路再びここに立ち寄り、嶺櫛生(みねくしゅう)に三島神社を建立したと言われている。

長浜町観光協会

三島神社 « 愛媛県神社庁

天平12年(西暦740年)現在の北九州の役人藤原広嗣が反乱を起こしたときに、伊予の国(愛媛県)の領主だった越智玉澄が反乱を鎮めに行く途中突風にあい、櫛生の浜に船を留めた。そのときのともづなを掛けた岩を「網掛け岩」といいます。上陸して三ツ岩の地に三島大明神の祠を建て、海上安全と武運長久を祈願された後西国へくだられた。討伐軍の勝利の後越智玉澄が帰陣のさい、再び櫛生に立寄って現在の大峯に神社を建てられた。その後今から(平成21年)290年あまり前に現在地に遷宮した。