坂出人工土地は、1968年から建築家・大高正人の設計により整備された、日本で初めて本格的に実現した人工地盤による都市再開発です。老朽化した木造密集市街地を再生するため、巨大なコンクリート製の人工地盤を築き、その下に商店街や駐車場、市民ホールを配置し、上部に集合住宅や公園、広場を整備するという、当時としては画期的な立体都市を実現しました。

この計画は、都市が成長や変化に合わせて新陳代謝していくという「メタボリズム」の思想を体現した代表作であり、都市計画と建築を一体的にデザインした先駆的な事例として高く評価されています。その建築的価値から、DOCOMOMO JAPANが選ぶ「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも選定されています。

人工土地の屋上には、市民ボランティアが育てるバラ園が広がり、コンクリートの大胆な建築と色鮮やかな花々が織りなす独特の景観も魅力です。JR坂出駅から徒歩約5分とアクセスも良く、半世紀以上を経た今も、日本唯一の「空中都市」として国内外の建築ファンを惹きつけています。

The Sakaide Reclaimed Land project, developed from 1968 onwards to a design by architect Masato Otaka, was Japan’s first fully realised urban redevelopment scheme utilising an artificial ground base. To regenerate a dilapidated, densely packed wooden urban area, a massive concrete artificial ground base was constructed; beneath it, shopping arcades, car parks and a civic hall were situated, whilst apartment blocks, parks and public squares were developed on the upper levels, creating a multi-storey urban complex that was groundbreaking for its time.

This project is a flagship example embodying the ‘Metabolism’ philosophy—the idea that cities undergo a process of renewal in response to growth and change—and is highly regarded as a pioneering example of integrated urban planning and architectural design. Owing to its architectural merit, it has been selected by DOCOMOMO JAPAN as one of the ‘Architectural Works of the Modern Movement in Japan’.

The rooftops of the reclaimed land feature a rose garden tended by local volunteers, and the unique landscape created by the interplay of bold concrete architecture and vibrant flowers is a major attraction. With excellent access—just a five-minute walk from JR Sakaide Station—it continues to attract architecture enthusiasts from both Japan and abroad, even after more than half a century, as Japan’s only ‘aerial city’.

坂出人工土地
場所:香川県坂出市京町2-1 [Google Map]
構造:鉄筋コンクリート造
用途:住居・商店
文化:DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築
竣工:1968年(昭和43年)
設計:大高正人
施工:鴻池組

Sakaide Artificial Ground
Location: 2-1 Kyōmachi, Sakaide City, Kagawa Prefecture [Google Map]
Structure: Reinforced concrete
Use: Residential and retail
Cultural significance: Selected by DOCOMOMO JAPAN as an example of the Modern Movement in Japan
Completion: 1968 (Shōwa 43)
Architect: Masato Ōtaka
Contractor: Kōnoike Gumi

2022/10/09撮影

人口土地


番正辰雄市長

2013/06/13撮影

坂出市人工土地 | DOCOMOMO Japan

坂出市人工土地
カテゴリー:複合
設計:大髙正人
施工:鴻池組
竣工年:1968
所在地:香川

狭小な木造密集住宅地の再開発事業として建設された市民ホールや商業施設、集合住宅や公園、駐車場などが一体となった複合建造物。既存の町に、の都市計画(ウルバニズム)の考え方を持ち込み、約9mごとに配置された大架構の柱に支えられた高さ5.3メートルの人工地盤によって、都市空間を再編成し、安全で快適な生活環境を整えようと試みた先駆的な仕事として知られる。

坂出人工土地 – Wikipedia

坂出人工土地(さかいでじんこうとち)とは、香川県坂出市京町に存在する約1.2ヘクタールほどあるコンクリート地盤土地の名称である[1]。正式な名称は坂出市営京町団地。事業名は清浜亀島住宅地区改良事業。DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選出された。

香川県出身で丹下健三の協力者でもあった浅田孝らが中心となって1962年に構想される。メタボリズムグループの建築家・大高正人の設計によって、1968年から4期に分けて、1986年にすべて完成した。分厚いコンクリートの地盤を築き、その下には市民ホールと商店街、駐車場を整備、地盤上には集合住宅や公園を整備しており、市街地開発の新たなモデルとして当時話題を呼んだ斬新な建築物であるが、メンテナンス不届きで老朽化が進行している。

1966(昭和41)年度には坂出市における人工土地方式による再開発計画として、事業に関わった浅田と大高の他、北畠照躬、番正辰雄、山本忠司らが、日本都市計画学会石川賞計画設計部門を受賞している。

このプロジェクトでは、地上レベルを駐車場とし、その上に人工のコンクリート・デッキの人工地盤を建設し、建替え住宅はそっくり空に持ち上げる。建替えによってすべて過去の建物をクリアランスして、そしてデッキ上に、歩道・広場・児童公園などのある住宅地を建設。また植栽が施され、植物が生い茂っている。当然上にも駐車場も用意されており、坂路を設け自動車も上層に上がってくることができる。空いたGL平面を将来のニーズのために空き地にしておくという斬新な2階建ての都市を実現させた。

人工土地の下層には駐車場のほかに店舗が入っており商店街の様相をなしている。構造上張り出した商店街の上部の屋根はアーケードをかけたような印象を受ける。スケルトン・インフィル住宅のお手本事例ともいえ、人工土地は今でも機能し続けている。この人工土地の思想は、現在でも斬新かつ新鮮なものとして建築史に刻まれており、大きな影響を与え続けている。

坂出人工土地の場合は、既存の木造住宅地の権利クリアランスを目的ともしている。記録によれば、この土地には木造平屋125戸、木造2階33戸、耐火構造1戸、計159戸あり、報告書でその159戸を不良住宅128戸、良住宅27戸、住宅以外4戸と分類。人工土地全体では1万111平方メートル、その内訳は住宅3015、集会所160、児童公園678、住宅周囲の緑地1561、広場歩道4697となっている。人工土地構想では坂出市が地権者から屋上権を購入して建てるという前代未聞な仕組みで所有権問題を解決し、この空中都市が完成することになったが、不動産登記の問題で地盤の管理は宙に浮くなどにより、結局のところ人工地盤構想の実現例は全国でここだけになっている。

メタボリズム – Wikipedia

彼らの構想した将来の都市は、高度経済成長という当時の日本の人口増加圧力と都市の急速な更新、膨張に応えるものであった。

彼らは、従来の固定した形態や機能を支える「機械の原理」はもはや有効的でないと考え、空間や機能が変化する「生命の原理」が将来の社会や文化を支えると信じた。黒川紀章や菊竹清訓らの都市・建築計画では、無数の生活用ユニットが高い塔や海上シリンダーなどの巨大構造物に差し込まれており、古い細胞が新しい細胞に入れ替わるように、古くなったり機能が合わなくなったりした部屋などのユニットをまるごと新しいユニットと取り替えることで、社会の成長や変化に対応しこれを促進することが構想された[要出典]。同様のコンセプトであるスケルトン・インフィル住宅は外装はそのままで、古くなったり機能が合わなくなった内装のみを交換する手法はメタボリズムとは呼ばれない。

都市規模の巨大構造体(メガストラクチャー)を志向しがちなメタボリズム・グループの作品は、しばしば技術官僚的と評された。

メタボリズム・グループの起源は、1950年代の終わり頃にある。モダニズム建築を主導してきたCIAM(Congrès International d’Architecture Moderne・シアム・近代建築国際会議)が1956年を最後に開かれなくなり1959年に終焉した頃、CIAMの若手メンバーらによる新しいグループ・チーム・Xが台頭し、世界の若い建築家らに影響を与えた。日本の若手建築家達も彼らと交流し、その影響を受けた。

1960年に、日本で世界デザイン会議 (World Design Conference) が開かれる予定になっていたが、この会議のプランニングに関わった建築家達(浅田孝、菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、栄久庵憲司、槇文彦)と建築評論家の川添登は、建築の将来について話し合うグループを結成した。世界デザイン会議において、彼らは最初の宣言である『METABOLISM/1960 – 都市への提案』を発表し、「海上都市」「塔状都市」「新宿ターミナル再開発計画」など成長し、新陳代謝する巨大都市のアイデアを披露した。彼らのアイデアは、将来の社会を具体的に提案しようとしたもので、建築のみならず哲学など広く近代文明にも言及するものだった。

これら巨大都市計画は実現しなかったが、個々のメンバーは建築にその思想を適用していった。黒川紀章の中銀カプセルタワービル(1972年)は、その一例である。1970年の大阪万博では彼らは会場計画・建築計画に共同で携わった。大阪万博を最後に、彼らの活動は分岐していった。結局、彼らが設計した建築物はいずれもコンセプト通りに修理されることなく、老朽化のためその多くが解体された。