広島市営基町(もとまち)高層アパート。原爆スラム解消を目的に造成された集合住宅。2013年度のDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選出。設計は、多摩ニュータウンのマスタープラン、横浜・みなとみらいの基本計画、新宿副都心計画、香川・坂出人工土地などを手がけた大高正人さん。
I went to Hiroshima Municipal Motomachi high-rise apartment. This is a collective housing made in order to eliminate the slum that was called “Atomic bomb Slam”. This architecture has been election of the DOCOMOMO JAPAN 2013. Architect Masato Otaka who designed Sakaide population land has designed this housing complex.
市営基町高層アパート
住所:広島県広島市中区基町18-1 [Google Maps]
設計:大高正人
選定:DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメント(2013年度)
建築主:広島市
竣工:1978年(昭和53年)7月31日
戸数:改良住宅1,886戸 / 公営住宅1,059戸
Municipal Motomachi High-rise Apartments
Address : 18-1 Motomachi, Naka-ku, Hiroshima City, Hiroshima Prefecture
Design : Masato Otaka
Selection : Selected by DOCOMOMO JAPAN Modern Movement in Japan (2013)
Owner : City of Hiroshima
Completed : 31 July 1978
Units: 1,886 improved housing units / 1,059 public housing units
2024/01/24撮影
雪
マルナカ
ゴミの搬出口
スロープ
天窓。人工地盤
喫茶店、浪漫
駐輪場
鯉のような形の遊具
猿
象
キリン
2015/11/15撮影
この建築の特徴のひとつ「ピロティ」。
地上階を一般市民も通り抜けられる公共的空間として開放し、
歩行者路や子どもの遊び場、駐車スペース等として活用されてきました。
くの字型の住宅棟の配置により、日照時間の確保、プライバシーの確保、構造的安定性の確保を実現しています。北側から南側のほうが低くなる配置にすることで南東方向に対して開いた形になっています。
写真:1988年10月10日(昭和63年) 国土地理院
写真:1947年04月14日(昭和22年) 国土地理院
戦後まもなく。いわゆる原爆スラムと呼ばれた木造密集市街地がよくみえます。広島原爆投下が、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分ですから、2年も立たないうちにこれだけ復興するということに驚き。
写真:1962年05月26日(昭和37年) 国土地理院
基町アパートの着工は1969年(昭和44年)、竣工は1978年(昭和53年)7月31日。
住居棟や学校、店舗、屋上庭園、屋上集会場が、歩道網やエレベーターによって繋げられています。
学校・幼稚園・保育所・商店・公衆浴場・診療所などが組み込まれています。
住居棟は鉄骨構造で、溶接による柱・梁接合の際には
造船業が盛んだった呉などから優秀な溶接技能者が参加していたそうです。
柱や梁の配置の工夫によって、4戸ぶんの住居空間を自由に組み替えることができる構造形式になっていて、丈夫な構造と柔軟に変更できる内部設備をもつ、現代のスケルトン・インフィルに繋がる仕組みが取り入れられています。
市営基町高層アパート
住所:広島県広島市中区基町18-1 [Google Maps]
設計:大高正人
選定:DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメント(2013年度)
建築主:広島市
竣工:1978年(昭和53年)7月31日
戸数:改良住宅1,886戸 / 公営住宅1,059戸
Municipal Motomachi High-rise Apartments
Address : 18-1 Motomachi, Naka-ku, Hiroshima City, Hiroshima Prefecture
Design : Masato Otaka
Selection : Selected by DOCOMOMO JAPAN Modern Movement in Japan (2013)
Owner : City of Hiroshima
Completed : 31 July 1978
Units: 1,886 improved housing units / 1,059 public housing units
太平洋戦争前の基町は、広島城跡を中心に、軍の施設がありましたが、戦後、人口流入に伴う住宅難から旧軍用地は住宅用地に転用され、多くの公営住宅が建設されました。この公営住宅エリアの外側に当たる太田川(本川)の左岸、原爆ドームの北側に位置する相生橋から三篠橋までの南北約1.5kmの土手沿いには、無許可で多くの住宅がひしめいていました。1970年頃には1千戸ほどのバラック住宅が密集して建ち並び、「原爆スラム」とも「相生通り」とも呼ばれていました。
1968年までに広島市と広島県は、中層住宅約930戸を建設しましたが、地区全体の不良住宅解消には至らなかったため、新たな再開発計画が模索され、高層住宅を建設することとなりました。
1969年から基町高層アパートの建設が始まり、1978年に合計4,566戸が完成しました。また、この住宅エリアには、ショッピングセンターや小学校、幼稚園なども整備されました。同時に、中央公園や河岸緑地なども整備されました。
市営基町高層アパート
用途:集合住宅、店舗、小学校、集会所など
設計:大高建築設計事務所(大高正人)
構造:青木繁研究室
施工:熊谷組・増岡組・鴻池組・大之木建設・間組・鉄建建設・鹿島建設・安藤建設(建設担当)
建築主:広島市
面積:81,100m²
戸数:
改良住宅 1,886戸
公営住宅 1,059戸
着工:1969年(昭和44年)3月31日
竣工:1978年(昭和53年)7月31日
場所:〒730-0011広島県広島市中区基町 [Google Maps]
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