朝日新聞デジタル:最後のエチオピア饅頭、丁寧に袋詰め 高知の店閉店 – 社会

高知県香南市野市町名物の「エチオピア饅頭(まんじゅう)」を製造・販売してきた「近森大正堂」が31日、閉店した。3代目主人の近森悠之(ひろゆき)さんが4月に亡くなり、妻の好子さん(64)が「将来にわたって味を守り続けるのは難しい」と決断した。早朝から多くのファンが詰めかけ、別れを惜しんだ。

 最後の日の仕込みは、午前3時から始まった。普段の10倍にあたる1万個以上を用意した。午前9時の開店時には、約40人の行列ができていた。

エチオピア饅頭 – Wikipedia

エチオピア饅頭(エチオピアまんじゅう)は、高知県香南市にあった菓子店「近森大正堂」が製造販売していた饅頭。皮の部分に小麦粉と黒砂糖を、餡にこし餡を用いた一口サイズの饅頭であった。2013年4月17日に三代目店主が死去したことに伴い、近森大正堂は同年5月31日をもって閉店した。

1935年から1936年にかけてイタリアがエチオピアを侵略した(第二次エチオピア戦争)。その際にエチオピア軍兵士が、武装と兵力に勝るイタリア軍に対し、粗末な武器をもって勇敢に戦っているという新聞記事を読んで感動した初代店主が、それまで作っていた饅頭を「エチオピア饅頭」と改名した。つまり製法も原料もエチオピアとは縁も所縁もない。
高知県の銘菓であったが、TBS系で放送されている情報番組『はなまるマーケット』に出演した嘉門達夫が紹介したことをきっかけとして、全国的に名前が知られるようになった。1996年、同番組で「エチオピア大使にエチオピア饅頭を食べて貰おう!」という企画が放送された。その名前を聞いた当時の駐日エチオピア大使アーメット・マハディーが、「実際に製造元に行って食べてみたい」と要望したため、同店は大使夫妻の訪問を受けることになった。命名の由来を聞いた大使は「日本人が、エチオピアを応援してくれたことは非常に嬉しい」と述べ、さらにその味を堪能した後「日本の一地方で作られているエチオピアの名前のついた菓子が、両国友好の架け橋になって欲しい」との文章を色紙に書いて店側に送り、同時に在日エチオピア大使館公認菓子とした。この模様は番組内で放送された。
以前の包み紙には、エチオピア人を連想させる黒人のイラストが描かれていたが、人種問題を考慮してかのちに饅頭の写真をプリントした物に変更されている。

第二次エチオピア戦争 – Wikipedia

第二次エチオピア戦争(だいにじエチオピアせんそう)は、1935年から1936年にかけて起きたイタリア王国とエチオピア帝国の戦争。

第一次エチオピア戦争で敗れたイタリアは、再度エチオピアの植民地化を意図して侵攻を行い、短期間の戦闘をもって全土を占領した。
敗れたエチオピア皇帝ハイレ・セラシエは退位を拒み、イギリスでエチオピア亡命政府を樹立して帝位の継続を主張した。対するイタリアは全土を占領している状況を背景に、イタリア王・アルバニア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世を新たなエチオピア皇帝に即位させた(サヴォイア朝エチオピア帝国)。
国際紛争の解決において大国の利害に左右された国際連盟の無力さが露呈した戦争でもある。国際社会はイタリアの侵略行為にむしろ好意的な態度を示し、戦争終結の際にはヨーロッパでのイタリア王国の軍事的威信は大いに高まった。ウィンストン・チャーチルら欧州の要人達がベニート・ムッソリーニを「理想的指導者」と賞賛する声は政権初期から存在したが、これも同戦争の勝利によって最高潮に達した。

Second Italo-Ethiopian War – Wikipedia, the free encyclopedia

The Second Italo–Ethiopian War, also referred to as the Second Italo–Abyssinian War, was a colonial war that started in October 1935 and ended in May 1936. The war was fought between the armed forces of the Kingdom of Italy (Regno d’Italia) and the armed forces of the Ethiopian Empire (also known as Abyssinia). The war resulted in the military occupation of Ethiopia and its annexation into the newly created colony of Italian East Africa (Africa Orientale Italiana, or AOI).