瀬戸内海国立公園指定90周年を記念して、香川県さぬき市のさぬき市歴史民俗資料館で、小西和(こにしかなう)さんの展覧会が開催されています。10月20日(日)まで
To commemorate the 90th anniversary of the designation of the Seto Inland Sea National Park, an exhibition by Kaz Konishi (Konishikanau) is being held at the Sanuki City Museum of History and Folklore in Sanuki, Kagawa, until 20 Oct (Sunday).
「瀬戸内海国立公園の父 小西和」~瀬戸内海国立公園指定90周年記念~ | 香川県 さぬき市
期間:2024年10月20日(日)まで
休館:水曜日
時間:9:00~17:00(入館16:30)
場所:さぬき市歴史民俗資料館 (香川県さぬき市大川町富田中3286 みろく自然公園内) [Google Maps]展示解説 : 6/9、7/14、8/11、9/8、10/13(各月の第2日曜日 14:00~14:30)
小西和の足跡を訪ねる : 2024年8月4日(日) 9:00~11:00Father of Seto Inland Sea National Park Konishi Kanau – Commemorating the 90th anniversary of the designation of Seto Inland Sea National Park – Ongoing | Sanuki City, Kagawa Prefecture
Duration: Until 20 October 2024 (Sun)
Closed: Wednesdays
Opening hours: 9:00-17:00 (admission 16:30)
Venue: Sanuki City Museum of History and Folklore (in Miroku Nature Park, 3286 Tomitanaka, Okawa-cho, Sanuki City, Kagawa Prefecture) [Google Maps]企画展「瀬戸内海国立公園の父 小西和」~瀬戸内海国立公園指定90周年記念~が、さぬき市歴史民俗資料館で開かれています。 瀬戸内海が国立公園に指定されて今年で90周年となることから、最初に瀬戸内海の価値にいち早く着目し、国立公園法の制定を唱えた小西和(こにしかなう)氏が本市偉人の一人であることを伝えるために開催しています。
小西氏は、現在のさぬき市長尾出身で、北海道での農場経営や新聞記者の仕事に従事したのち、国会議員を務めました。同氏は、日露戦争の従軍記者として旧満州に渡り、日本へ帰国する際、引き揚げ船から見た瀬戸内海の美しさに感銘を受けます。
このことをきっかけに、瀬戸内海についての知見を深め、1911年、「瀬戸内海論」という総合的な書物を発表しました。著書では、瀬戸内海の構造、地質、潮流、生物と産業の関わり、観光など、瀬戸内海があらゆる角度から記されています。今回は、歴史民俗資料館で収蔵する「瀬戸内海論」、世界一周時に持参したトランクなど約50点が展示されています。
文化財担当者に見どころを聞くと、「小西氏が29歳の時、当時の東京市役所に勤務していた頃、自分の絵画を売って生活をしていくという日々を過ごしていました。その時期に描いた作品を今回の展示にあわせ遺族から新たに寄贈されましたのでぜひご覧ください」と話していました。
The special exhibition ‘Konishi Kazu, Father of the Seto Inland Sea National Park’ – commemorating the 90th anniversary of the designation of the Seto Inland Sea National Park – is being held at the Sanuki City Museum of History and Folklore. As this year marks the 90th anniversary of the designation of the Seto Inland Sea as a national park, the exhibition is being held to tell the story of Konishi Kazu, one of the city’s great figures, who was the first to focus on the value of the Seto Inland Sea and advocated the establishment of a national park law.
Konishi was born in Nagao, now Sanuki City, and worked as a farm manager and newspaper reporter in Hokkaido before becoming a member of the Diet. He travelled to the former Manchuria as a military reporter during the Russo-Japanese War and, on his return to Japan, was impressed by the beauty of the Seto Inland Sea as seen from a repatriation ship.
This led him to deepen his knowledge of the Seto Inland Sea, and in 1911 he published a comprehensive book entitled ‘The Seto Inland Sea’. In his book, the Seto Inland Sea is described from all angles, including its structure, geology, currents, relationship between living organisms and industry, and tourism. On display at the exhibition are about 50 items, including the ‘Theory of the Seto Inland Sea’ and a boot he brought with him on his round-the-world trip, both of which are in the collection of the Museum of History and Folklore.
When asked about the highlights of the exhibition, the person in charge of cultural properties replied: ‘When Konishi was 29 years old and working at the then Tokyo City Hall, he spent his days selling his paintings to make a living. The family of Mr Konishi donated some of his paintings from that period for this exhibition, so please take a look at them’.
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90年前、1934年(昭和9年)3月16日に、瀬戸内海が日本最初の国立公園に指定されました!
90 years ago, on 16 March 1934, the Seto Inland Sea was designated Japan’s first national park! Seto Inland Sea National Park.
なぜ、瀬戸内海が日本で最初の国立公園として選ばれたのか。それは、100年以上前の1911年(明治44年)に『瀬戸内海論』という本を書かれた香川県さぬき市の小西和(こにしかなう)さんの功績によるところがとても大きいです。
Why was the Seto Inland Sea chosen as the first national park in Japan? It is largely due to the work of Mr. Kanau Konishi of Sanuki City in Kagawa Prefecture, who wrote a book entitled “Seto Inland Sea Theory” over 100 years ago in 1911.
瀬戸内海国立公園。雲仙国立公園(現・雲仙天草国立公園)、霧島国立公園(現・霧島錦江湾国立公園)とともに、日本初の国立公園として指定されました。その当時の指定区域は東から小豆島の寒霞渓(かんかけい)、香川県の屋島、岡山県の鷲羽山(わしゅうざん)、広島県の鞆の浦(とものうら)・沼隈町(ぬまくまちょう)周辺の備讃瀬戸を中心とした一帯のみでした。現在は、西は山口県下関市の火の山から福岡県北九州市、東は和歌山県和歌山市にまで及ぶ広大な公園となっています。
Together with Unzen National Park (now Unzen Amakusa National Park) and Kirishima National Park (now Kirishima Kinko Bay National Park), this was the first national park in Japan to be designated. At that time, the designated area included, from east to west, Kankei-kei on Shodoshima Island, Yashima in Kagawa Prefecture, Washuzan in Okayama Prefecture and the area around Tomonoura and Numakuma-cho in Hiroshima Prefecture, centred on the Bisan Seto Inland Sea. Today, the park is a vast expanse extending from Hi no Yama in Shimonoseki City, Yamaguchi Prefecture, in the west to Kitakyushu City, Fukuoka Prefecture, and Wakayama City, Wakayama Prefecture, in the east.
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すべてはこの一冊からはじまった。
今から100年以上も前に書かれた瀬戸内海の魅力を詰め込めるだけ詰め込んだ、瀬戸内のバイブル。小西和(こにしかなう)さんの『瀬戸内海論(1911年)』。
この本のなかで、環境・景観・文化財の保存、外国人観光客の誘致などについて触れています。瀬戸内海を国立公園として保護する必要があることを国会で最初に提唱し、1934年に瀬戸内海が雲仙・霧島と並んで日本で最初の国立公園に選ばれました。
観光振興と環境保護。100年以上も前に語られていることなのに、今の時代にもまったく同じ問題意識が当てはまることに驚嘆します。この人がいなかったら、ひょっとしたら今の瀬戸内海の世界的な評価どころか、瀬戸芸すらなかったんじゃないだろうか。
しかし意外にもこの、香川県さぬき市(名東県寒川郡長尾名村)出身の小西和という人物について、県外どころか香川県内でもまだまだ知られていません。ということで、こえび新聞 瀬戸内アーカイヴ編集チームでさぬき市歴史民俗資料館へ行ってきました。北海道の開拓、農業振興、スケッチ、新聞記者、書、世界旅行のカバンや写真記録など様々な資料を拝見させていただきました。どれもこれも素晴らしい資料でした。またぜひ、小西和さんの展示を瀬戸芸のタイミングとかでやってほしい。こえび新聞もご覧ください。
参考:こえび新聞vol.19中面 瀬戸内海論特集 – PDF
小西 和(こにし かなう / 1873-1947) 『濱口内閣』(濱口内閣編纂所、1929年)
THE INLAND SEA OF JAPAN
新渡戸稲造
地図
世界之公園 瀬戸内海遊覧地図
小西和さんが、世界一周した時に使用していたトランク
1928年(昭和3年)6月4日より10月26日まで欧米を巡ったときに持参したトランク。フランス・パリでの万国議員商事会議とドイツ・ベルリンでの列国議員同盟会議に参列後、欧亜の2州とアメリカ大陸を視察した。シベリアは列車、大西洋・太平洋の横断は汽船であった。
ホービルホテル
Copenhagen コペンハーゲン
Paris パリ
Venezia ベネチア
NEW YORK ニューヨーク
AOYAGI HOTEL 青柳旅館
AZUMA HOTEL 旅館 吾妻支店
HOTEL ASTOR NEWYORK
台南 駅前 旅館 東屋
GRAND HOTEL ROYAL Budapest ブダペスト
KASHIWABARA HOTEL 柏原ホテル
MARSEILLE マルセイユ
世界一周旅行をした際の写真アルバム
世界一周写真帖 昭和3年
屋島小豆島を中心とする海上公園
屋島山 獅子の霊巌
高松築港
八幡宇佐宮。宇佐神社(香川県さぬき市長尾名)
小西和 櫻の碑
コノ櫻ハ明治三十七八年ノ戰役ニ従軍シタ私ガソノ
記念トシテ明治四十年カラ四年間ニ苗木二千五百本
ヲ埼玉縣カラ取ヨセテ奉納イタシタモノデアリマス
追々育ツテ花ガ咲キ森ヤ水ト調和シテ美シウナツテ
來マシタソレデココガ亀鶴公園ト名ヅケラレ一ツノ
名勝ニナリマシタ神様ハ御喜ビナサル多勢ガ見物ニ
集ル花ノ下ニハ色々店ガ出ル池ニハ遊ビ舟ガ絶ヱズ
夜ハ電燈ガ光リ渡ツテ賑フ有様デ歌ヒ踊ツテ樂ンデ
クレマス長イ年月ノ後ニハ木ガ自然ニ枯レテ來ルデ
セウカラソノ時々苗木ヲ植エテ補ハネバナリマセン
仍テココニ石ヲ建テ之ヲ記シテ置キマス
昭和四年四月七日 衆議院議員勲三等小西 和
この桜は明治三十七八年の戦役に従軍した私が、その 記念として明治四十年から四年間に苗木二千五百本 を埼玉県から取り寄せて奉納いたしたものであります。 追々育って花が咲き森や水と調和して美しくなって 来ました。それでここが亀鶴公園と名づけられ一つの 名勝になりました。神様はお喜びなさる。大勢が見物に 来る。花の下には色々店が出る。池には遊び舟が絶えず 夜は電灯が光り渡って賑わう有様で、歌い踊って楽しんで くれます。長い年月の後には木が自然に枯れて来るで しょうからその時々苗木を植えて補わねばなりません。 よってここに石を建てそれを記しておきます。 昭和四年四月七日 衆議院議員勲三等 小西 和
小西和生家跡
印鑑
小西 和(こにし かなう、1873年(明治6年)4月26日 – 1947年(昭和22年)11月30日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→中正会→憲政会→立憲民政党)、実業家。
名東県寒川郡長尾名村(現在の香川県さぬき市長尾名)出身。札幌農学校で植物学を専攻した。東京朝日新聞に入社して、博物方面の記事を担当し、『日本の高山植物』(二松堂、1906年)を著した。また日本海洋会の理事となり、『瀬戸内海論』(文会堂、1911年)を著した。
実業方面では、南満州製糖株式会社・亜細亜煙草株式会社・中国葉煙草株式会社・東亜拓殖興業株式会社の取締役を歴任した。
1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回の当選回数を数えた。
1934年(昭和9)3月16日、瀬戸内海が雲仙、霧島と共に、日本で初めての国立公園に指定され、今年で80周年を迎えます。
その魅力を最初に総合的な書物として発表し、国立公園として保護する必要があることを提唱した人が、本市出身の小西 和氏でした。小西 和は、瀬戸内海の魅力を日本で最初に総合的な書物として1911年(明治44)に「瀬戸内海論」として発表し、国立公園として保護する必要があることを国会で最初に提唱した人です。
その努力により、瀬戸内海が雲仙、霧島と共に国立公園第1号として指定されました。また、史跡名勝天然記念物を中心とする文化財の保存についても国会で提案し、今日の文化財保護制度につながる礎(いしずえ)も築きました。さらに、北海道の開拓についても小西の果たした役割は大きく、栗沢町(現北海道岩見沢市)を中心とする北海道で生活する人々の心の中に、小西の遺志は受け継がれています。
1899年(明治32)に農業経営が水害等で破綻し、北海道を去ることになりましたが、その功績は現在も称えられています。
ジャーナリストとしても偉才を発揮し、数多くの記事を掲載したことで多くの読者を魅了したり、実業家、文化人としても活躍するなど多方面にわたって才能を発揮した、さぬき市の偉人の一人です。
参考:瀬戸内海国立公園の父 小西 和の主な功績 (山本 一伸 さぬき市教育委員会 生涯学習課文化財係) – PDF
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