徳島阿波おどり空港の南側に月をモチーフにした公園があります。 公園があるのは、月見ヶ丘海岸というとくしま88景に選ばれている人気の海水浴場の隣なのですが、この海岸は800年も前の短歌に登場する歴史的にも由緒ある海岸です。

海原や 月さしのぼる 末晴れて
まちかくなりぬ 紀路の遠山
土御門上皇(つちみかどじょうこう)

明治時代の地理書板野郡村史によると『月見ヶ丘(月見岡、月見か崎)』の名が現れるのは、鎌倉時代初期1220年頃に土御門上皇が詠んだ短歌が初めて。京都を離れて四国に流された上皇は、暮れなずむ海原に昇る月が、紀伊水道の彼方、和歌山の山並みを照らし出した情景の中で、望郷の想いに駆られたことでしょう。

800 years ago, Tsukimigaoka (hills for moon watching) was described in the tanka (thirty-one syllables’ poem) by ex-emperor Tsuchimikado. Japan have had the custom of appreciating the moon since ancient times. They would compose poems and enjoy drinking. You can also enjoy the moon watching at the park of Tokushima pref., Japan throughout the ages. A full moon was beginning to rise and peered redly through the upper edges of the fog today. That is loved by all generations.

月見ヶ丘海浜公園
住所:徳島県板野郡松茂町豊岡山ノ手42 [GoogleMap]
電話:088-699-6697
駐車:8:30~22:00 370台(無料)

Tukimigaoka Seaside Park for Moon Watching
Address : 42 Toyooka-yamanote, Matsushige town, Itano-gun, Tokushima pref., Japan [GoogleMap]
Tel : 088-699-6697
Parking : 8:30-22:00 / 370 cars(Free)


徳島阿波おどり空港の南側にあるので飛行機の離着陸が見えます。


夕焼け


丘の上へ


水平線から満月が昇ってきました。


遠くには和歌山と徳島を結ぶ南海フェリー


月明かりの道


「立待月(たちまちづき)」スポット。立待月とは、陰暦17日目の月のことです。「立待(たちまち)」とは、文字通り立って待つという意味で、日没後、早々に満月が昇るためこのように呼ばれます。このスポットの周りには立待月を体験できるベンチがあるので、ベンチに寄りかかり、日没後すぐに月が昇るのを実感してみてください。

Tachimachizuki Spot

Tachimachizuki is the 17-day-old moon. Tachimachizuki literally meand “the moon whose rise can be awaited standing” in Japanese, because the moon rises right after sunset. There are benches where you can experience Tachimachizuki around this spot. Recline on the benches and watch the moon rising right after sunset.

月見ヶ丘海浜公園
住所:徳島県板野郡松茂町豊岡山ノ手42 [GoogleMap]
電話:088-699-6697
駐車:8:30~22:00 370台(無料)

Tukimigaoka Seaside Park for Moon Watching
Address : 42 Toyooka-yamanote, Matsushige town, Itano-gun, Tokushima pref., Japan [GoogleMap]
Tel : 088-699-6697
Parking : 8:30-22:00 / 370 cars(Free)

「月見ヶ丘」の名が歴史上に現れたのは、鎌倉時代の初期、西暦1220年代である。
鎌倉幕府と後鳥羽上皇が対立した承久の乱の結果を受けて、後鳥羽上皇の第一皇子である土御門上皇は阿波に閉居した。
土御門上皇は、月見ヶ丘海岸に立って和歌を詠んだと言われている。

海原や 月さしのぼる 末晴れて まちかくなりぬ 紀路の遠山
月明かりに晴れる紀伊半島の山影と、上皇の望郷の念がしのばれる。

土御門天皇 – Wikipedia

土御門天皇(つちみかどてんのう、1195-1231年)は、鎌倉時代の第83代天皇。後鳥羽天皇の第一皇子。

1198年、父・後鳥羽天皇の譲位により3歳で践祚。立太子はしていなかった。同年、即位。事実上後鳥羽上皇による院政がしかれていた。しかし、穏和な性格が幕府との関係上心許ないと見た後鳥羽上皇は、退位を迫り、承元4年11月25日(1210年12月12日)、異母弟の順徳天皇に譲位し、同年12月5日(12月22日)、上皇。

京都では、外祖父である源通親が別当として権力を掌握し、鎌倉では正治元年1月13日(1199年2月9日)に源頼朝が亡くなり、事実上北条時政による御家人政治が行われていた。

承久3年(1221年)の承久の乱のおりには、土御門上皇は何も関与していなかったので処罰の対象にはならなかったが、父である後鳥羽院が遠流であるのに自分が京にいるのは忍びないと、自ら申し出て土佐国に流された。後に、より都に近い阿波国に移された。鎌倉幕府も後鳥羽・順徳両上皇とは違って、守護に対して阿波の宮殿を造営させるなどの厚遇振りを見せている。その地は、現在の阿波市御所など諸説あり、特定されていない。

寛喜3年(1231年)10月に出家し、同月崩御。享年37。