香川県さぬき市にある四国地方で最大の前方後円墳、国史跡『富田茶臼山(とみだちゃうすやま)古墳』。全長139m、高さ15m。頂上には妙見神社があります。茶臼山(ちゃうすやま)は、形が抹茶を挽く茶臼に似ている富士山のような末広がりの形の山のことで、天然の山ではなく古墳であることもよくあります。

富田茶臼山古墳は、5世紀前半に造られた四国最大の前方後円墳です。

1989年(平成元年)に行われた確認調査によって、全長は139m、公園部の直径91m、高さ15.7m、前方部の長さ48m、幅77m、高さ11.8mの大きさであり、四国最大の古墳であることが改めて分かりました。また、墳丘は三段に築かれ、古墳の周囲に周濠がめぐらされていることも分かりました。さらに墳丘や周濠から円筒埴輪や形象埴輪などが発見されました。

この古墳の西側も1993〜6年(平成5〜8年)にかけて調査が行われ、3基の倍塚(ばいちょう)が確認されました。倍塚とは、大型の古墳を主墳とし、それに従属するように同じ時期に計画的にその周囲や隣接地にある小型の古墳です。倍塚の大きさは一辺14〜24mあり、3基とも四角い形をした方墳です。

これらのことから富田茶臼山古墳は、四国を代表する首長の墓であると考えられています。

富田茶臼山古墳
住所:香川県さぬき市大川町富田中3402-3 [Google Map]
全長:139m

Tomida Chausuyama Ancient Tomb
Address : 3402-3 Tomitanaka, Okawa town, Sanuki city, Kagawa pref., Japan [Google Map]
Total length : 139m

2021年1月撮影 – Jan. 2021


雨滝山、雨滝城址、火山(ひやま)、西教寺奥之院磨崖仏
国指定文化財 四国最大(全長139m)富田茶臼山古墳 さぬき市観光協会


石積み


石灯籠


富田茶臼山古墳平面図と3基の倍塚位置図

西岡の弥勒菩薩(みろくぼさつ) さぬき市指定文化財
この石仏は弥勒菩薩と言い伝えられ、石材は火山の凝灰岩(ぎょうかいがん)が使用されています。頭部が欠落しているため別のものが置かれ、膝も2つに割れていますが大型であること、法衣(ほうえ)が表現されていることから鎌倉時代後期〜南北朝(約700年前)にかけて作られたと考えられています。

言い伝えによると約300年前、この下にある「通り池」(現在は通池公園になっています)を掘った際、この本尊の石仏が出たので祀られました。現在の場所に移される前は、通り池の西に庵がありそこに安置されていました。その後、現在地に移され地元の方が毎日交代でお世話され、今も大切に守られている貴重な石造物です。(さぬき市教育委員会/さぬき市文化財保護協会)


夕焼けと鳥居

【香川】国の史跡、四国最大級の古墳『富田茶臼山古墳』 – [Kagawa, National historic site] Tomida Chausuyama Ancient Tomb

富田茶臼山古墳
住所:香川県さぬき市大川町富田中3402-3 [Google Map]
総長:163m – 周濠を含めた全長。

Tomida Chausuyama Ancient Tomb
Address : 3402-3 Tomitanaka, Okawa town, Sanuki city, Kagawa pref., Japan [Google Map]
Total length : 163m

富田茶臼山古墳 – Wikipedia

富田茶臼山古墳(とみだちゃうすやまこふん/とみたちゃうすやまこふん)は、香川県さぬき市大川町富田中(とみだなか)にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

四国地方では最大規模の古墳で、5世紀前半(古墳時代中期前半)頃の築造と推定される。

概要
香川県東部、長尾平野東縁の低丘陵縁部に築造された大型前方後円墳である。地元では墳丘上の埴輪に由来して「千壺山」とも称される[3]。現在は墳頂に妙見神社が、後円部東側に弥勒菩薩が祀られている。墳丘北側の一部は県道10号線の建設のため削られているほか、墳丘の一部では開墾・住宅建設による改変を受けているが、その他の部分では概ね良好に遺存する。これまでに1989年度(平成元年度)に古墳域の、1993-1996年度(平成5-8年度)に周辺域の発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘は3段築成。墳丘長は139メートルを測るが、これは四国地方で最大規模になり、第2位の規模の渋野丸山古墳(徳島県徳島市、105メートル)に比べても大きく傑出する。墳丘表面では埴輪(円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪、推計3,000本)のほか、葺石(2段目・3段目のみ)が検出されている。墳丘周囲には盾形の周濠が巡らされているほか、南側・北側には周庭帯も有し、周濠を含めた古墳の全長は163メートルにも及ぶ。主体部の埋葬施設は不明であるが、明治期に後円部墳頂で土俵を設置しようとした際に石室の天井石が掘り当てられたと伝えられ、竪穴式石室の存在が推測される。なお、前方部側では陪塚として方墳3基も認められている。

この富田茶臼山古墳は、古墳時代中期前半の5世紀前半頃(一説に5世紀初頭頃)の築造と推定される。讃岐地方の古墳の主丘(円部)の大きさは、古墳時代前期中頃までで直径30-40メートル程度(高松茶臼山古墳・猫塚古墳)であったが、前期後半の快天山古墳(丸亀市)で直径60メートル程度、中期前半の本古墳で直径90メートル程度と大きく飛躍する。同時に、本古墳に至ると前期古墳の地域色も薄れて畿内色を強めており、ヤマト王権から支援を受けた一方で王権への系列化が進んだ様相を示す。東讃地域に限ると、古墳時代前期には津田湾周辺における津田古墳群の営造が知られるが、それら古墳群の消滅と呼応して富田茶臼山古墳が出現しており、ヤマト王権と強く結び付いた富田茶臼山古墳の被葬者が東讃地域を基盤として強い勢力を有したことを示唆する。合わせて、当地は古墳の北側に古代南海道が推定される交通上の要衝になることから、沿岸部の海路(津田湾)から内陸部の陸路(南海道)への意識の移行を見る説も挙げられる。

古墳域は1993年(平成5年)に国の史跡に指定されている。

富田茶臼山古墳 文化遺産オンライン

香川県
さぬき市大川町
指定年月日:19930726
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

富田茶臼山古墳は香川県の東部、長尾平野の東端に位置する四国地方最大の前方後円墳である。南方の讃岐山脈(阿讃山脈)から派生した低丘陵の縁辺部に立地し、丘陵の稜線に直交するように前方部を西方に向けて築造されている。後円部に立つと長尾平野を一望でき、弘法大師ゆかりの五剣山や、高松平野との結節点に聳える白山を遠望することができる。
 古墳の北側には津田川が流れ、蛇行しつつ東流して播磨灘に開く津田湾に流入している。その河口の津田港は中・近世の商業港として知られているが、津田湾を望む山丘上には東讃地域を代表する前期古墳が数多く分布し、津田湾が海上交通の拠点として古くから重視されたことを物語っている。本古墳は津田湾から長尾平野に至る要点を占め、津田湾を掌握し、高松平野に連なる長尾平野を治めた被葬者の支配領域と経済的基盤が推測される。
 本古墳に関しては、江戸時代の『三代物語』が日本武尊陵と記し、『全讃史』は仁徳天皇陵、もしくはその皇子である難波皇子の墳墓と推定している。後者は当地が『和名抄』にみえる寒川難破郷に比定されることに由来し、さらに寒川皇子、讃岐国造の祖とされる神櫛皇子の墳墓とする説もある。円筒埴輪の存在が古くから知られ、地元では千壺山とも呼ばれている。後円部の頂上には妙見神社が祀られ、後円部東端には中世の石仏を祀る「弥勒庵」が存在する。古墳は、昭和10年代に県道高松長尾大内線の建設によって後円部北側を掘削され、その後の開墾や住宅建設によって前方部や墳丘裾部に改変を受けているが、総じて旧状をよくとどめている。

富田茶臼山古墳 « 一般社団法人さぬき市観光協会

富田茶臼山古墳はみろく自然公園から北方を見下ろす位置にあり、全長139メートルの四国最大の規模を誇ります。
築造年代は、埴輪の特徴から5世紀前半と考えられています。
大和朝廷との強い結びつきを物語る大型前方後円墳に共通した盾形の周濠や三段築成(後円部:約1対1対3、前方部:約1対1対2の比率)、王を守る三基の陪塚(付属の古墳であり、副葬品の埋納施設や王の部下の墓など)といった大きく3つの特徴をもっており、この富田茶臼山古墳は貴重な文化遺産として国指定文化財となっています。