徳島県神山町にある神社、「上一宮大粟神社(かみいちのみや おおあわじんじゃ)」
雨の中、苔むす神社を撮影してきました。
I went to the Kami Ichinomiya Ooawa Shrine at Kamiyama town, Tokushima pref., Japan.
I took the photographs of the moss-covered shrine.
日本最古の歴史書「古事記」において穀物の起源として書かれている
大宜都比売命 (おおげつひめのみこと)を祀っております。
おおげつひめは、阿波国のことで、穀物の神様。
その名前は、古事記の伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)による
国生みと神生みに登場します。
国生みでは、最初に「大八島(おおやしま)」という8つの島が生まれるのですが、
最初の島が、瀬戸内海の淡路島(淡道之穂之狭別島/あはぢのほのさわけのしま)で、
その次、2番目に生まれたのが「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」四国のことです。
(画:小林永濯 明治 右がイザナギ、左がイザナミ)
この順序を見ただけでも、四国や瀬戸内はかなり早い段階で
古代文明が栄えた土地であったということが推測できます。
伊予之二名島は、胴体が1つで、顔が4つ。
この4つが四国4県それぞれのことを指しています。
・愛比売(えひめ):伊予国 女性
・飯依比古(いひよりひこ):讃岐国 男性
・大宜都比売(おほげつひめ):阿波国 女性(後に食物神としても登場する)
・建依別(たけよりわけ):土佐国 男性
この阿波国が、後に食物の神様としても登場し、
徳島県神山町の上一宮大粟神社で祀られている
大宜都比売命 (おおげつひめのみこと)です。
「四国」という名前が最初に登場するのは、
平安時代末期(1120年代以降)に成立したといわれる説話集「今昔物語」。
日本最初の歴史書である古事記が成立するのが712年。
「四国」という言葉が登場するよりはるか昔にすでに、
四国である伊予之二名島が、4つの顔として描かれているのが興味深いです。
近代の廃藩置県後にも、境界線がほとんど変わらなかったことも踏まえると、
自然地形による四国の境界線が明確であり、
それぞれの地域の文化や風土がまったく異なることを表しています。
知れば知るほど面白い四国の歴史。
その一端を感じさせてくれる神社です。
松江の語部
島根県の安来は古事記では根之堅洲国というところでスサノオの活躍地ですね。正確には十神島根之堅洲国となりますが長いので古事記では省略されています。この省略された、十神島というのは出雲国風土記では砥神島という陸繋島であったであろう現在の安来市の十神山です。この島は安来市のシンボルと見いわれ、きれいな円錐形をした小山ですが、古代の人たちにの崇敬した島だったらしいです。この十神というのはイザナギ・イザナミ以前の神々を指し、両神を含めその後の神代の時代と分けて神世と表現されます。この神世七代の十柱の神々が宿る神聖な島だったのだと言われています。ここは、中海という湾岸にあり、例えば淡島と古事記に見える島と認識しうる粟島が対岸の鳥取県米子市にもあり、ここがオノゴロ(淤能碁呂)島と考えると、近くに国生みの神、イザナミの神陵地、比婆山もあることから合理的なのではと思われます。