瀬戸大橋架橋の島、与島のPAから徒歩10分。瀬戸内国際芸術祭で鍋島灯台が公開されています。瀬戸内海で最も古い近代灯台。与島、鍋島灯台。香川県に2基存在する明治時代に建設された西洋式灯台。今から150年前、1872年(明治5年)点灯。灯台の父、リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)設計。当時は、夜間の停止信号として使用。与島の鍋島灯台は、岡山と香川をつなぐマリンライナーからも見えるので気になっていた方も多いはず。この機会にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。経済産業省の近代化産業遺産、海上保安庁の保存灯台Aランクに指定されています。
10-minute walk from the PA on Yosima island, the island of the Seto Big Bridge. I came here when I heard that Nabeshima Lighthouse was open to the public during the Setouchi International Art Festival. The oldest modern lighthouse in the Seto Inland Sea. Yoshima Island, Nabeshima Lighthouse. The two Western-style lighthouses in Kagawa Prefecture, built in the Meiji era (1872). Designed by Richard Henry Brunton, the father of lighthouses. Ministry of Economy, Trade and Industry, Industrial Heritage of Modernisation. Used as a nighttime stoplight at the time. Many people have been curious about the Nabeshima Lighthouse on Yoshima Island, as it is visible from the Marine Liner connecting Okayama and Kagawa. Why not take this opportunity to visit?
鍋島燈台
住所:香川県坂出市与島町1016 [Google Map]
点灯:1872年(明治5年)11月15日
設計:リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)
石材:御影石
高さ:地上から9.8m、平均海水面から29m
指定:近代化産業遺産(経済産業省)
アクセス:
・車:瀬戸大橋、与島PAから徒歩15分程度
・バス:JR坂出駅/坂出駅/からバスで30分 [時刻表]
Nabeshima Lighthouse
Address: 1016 Yosima-cho, Sakaide, Kagawa [Google Map]
Lighting: 15 November 1872 (Meiji 5).
Designed by Richard Henry Brunton.
Stone: granite
Height: 9.8 m above ground level, 29 m above mean sea level.
Designation: Industrial Heritage Sites of Modernisation (Ministry of Economy, Trade and Industry)
Access :
– Car : 15 min walk from Seto Big Bridge and Yosima island PA.
– Bus : 30 mins by bus from JR Sakaide Station [timetable].
2024/05/19
2022年7月24日
瀬戸大橋からみえる鍋島灯台
2022年4月撮影
香川県坂出市から瀬戸大橋を渡って与島PAへ向かいます。
グルグルと高速道路から降りて与島PAに到着。
与島PAの駐車場の南側からPAから外に出ます。
笹がきのトンネル
コンクリートのトンネル
細い路地を抜け
お地蔵さん
瀬戸芸の案内板がでています。
NPO法人訪問理美容ネットワークゆうゆう
瀬戸大橋、架橋の島
バラ科の植物
家の裏側に小さな祠
路地を抜けると瀬戸内海。瀬戸大橋が四国に向かって伸びています。
お地蔵さん
鍋島灯台が見えてきました。
瀬戸内国際芸術祭の訪問者の多くは、坂出駅などからバスに乗って来場しています。
ワカメ、アワビ、サザエ、ウニ、ナマコの不法採取禁止
作品案内
階段をのぼると現れる白い灯台
宇宙の立方体 あるいは100万の星とひとつの星
銘板
初点灯日は明治5年11月15日です。しかし銘板には「ILLUMINATED 15TH DEC 1872」と記載されています。11月なのに12月と記載されている理由は、明治5年は特別な年だからです。1872年(明治5年)、日本では明治5年12月2日(1872年12月31日)まで天保暦(旧暦)を採用していたので、西暦とズレがありました。
瀬戸芸作品。
レオニート・チシコフ『月への道』
物語の終着点となるさいはての灯台。旧沙弥小・中学校に始まる「月への道」は、与島の南端で、明治初期以来150年にわたって航海の難所を照らしてきた鍋島灯台に導かれる。灯台へと至る最後のバス停には、月へと旅立つ宇宙飛行士のオブジェ、旅の終点となる灯台の内部には、100万個の星をもつ宇宙の立方体のインスタレーションが設置される。
灯台の部品でしょうか。
島内を歩いていて気になった風景をメモ。
井戸のふた
小与島
番の州。コスモ石油のタンク
2020年7月撮影
2018年1月撮影
2015年11月撮影
2014年5月31日撮影
与島とあわせて香川県高松市屋島の麓にある古民家博物館、四国村ミウゼアムへどうぞ。瀬戸内国際芸術祭で公開されている与島の鍋島灯台。昔は灯台には退息所という宿舎があり灯台守が滞在して瀬戸内の航路を照らす明かりを守っていました。
鍋島灯台と同じく、石造の退息所も日本灯台の父と呼ばれるリチャード・ブラントンによって1873年(明治6年)竣工しました。
1998年(平成10年)香川県高松市の古民家博物館・四国村ミウゼアムに移築されました。
2000年(平成12年)『四国村鍋島燈台退息所』として国の登録有形文化財に登録されています。
古民家博物館、四国村ミウゼアム(四国民家博物館 / 香川県高松市)。灯台と同じくブラントンの設計による1873年(明治6年)竣工、石造の退息所(灯台職員の宿舎)、倉庫、水槽(3基)、日時計が、1998年(平成10年)に移築保存されています。2000年(平成12年)、『四国村鍋島燈台退息所』として国の登録有形文化財に登録されています。1873年(明治6年)、石造平屋建、瓦葺、建築面積156㎡。鍋島(香川県坂出市与島町)にあった灯台の退息所(宿舎)。神戸・長崎間航路にあたる瀬戸内海の小島に築造された四等灯台の外国人灯台守用の宿舎。ブラントンの指導によるものとされ、石造平屋建、寄棟造、桟瓦葺で、正面全面に素朴なトスカナ式列柱によるベランダがついています。
鍋島燈台
住所:香川県坂出市与島町1016 [Google Map]
点灯:1872年(明治5年)11月15日
設計:リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)
石材:御影石
高さ:地上から9.8m、平均海水面から29m
指定:近代化産業遺産(経済産業省)
アクセス:
・車:瀬戸大橋、与島PAから徒歩15分程度
・バス:JR坂出駅/坂出駅/からバスで30分 [時刻表]
Nabeshima Lighthouse
Address: 1016 Yosima-cho, Sakaide, Kagawa [Google Map]
Lighting: 15 November 1872 (Meiji 5).
Designed by Richard Henry Brunton.
Stone: granite
Height: 9.8 m above ground level, 29 m above mean sea level.
Designation: Industrial Heritage Sites of Modernisation (Ministry of Economy, Trade and Industry)
Access :
– Car : 15 min walk from Seto Big Bridge and Yosima island PA.
– Bus : 30 mins by bus from JR Sakaide Station [timetable].
瀬戸内海で最も古い近代灯台
岡山から四国へのJR瀬戸大橋線(マリンライナー)が与島を通過して、北備讃瀬戸大橋にかかる時、左(東)側の窓の眼下に、真ん丸な島に、白い鍋島灯台(なべしまとうだい)が見えます。
明治時代には、全国各地に灯台が約120基築造され、現在残っている64基の一つであり、瀬戸内海(海上保安庁第六管区管内)で最も古く、国内でも7番目に古い灯台です。鍋島灯台は、明治5年「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によって設置されました。石造りの丸くて白い灯台は、地上からの高さは9.8mの可愛らしい灯台ですが、平均海水面から灯火までは29mありは11海里(約20km)先まで灯は届き、備讃瀬戸航路の安全の要となっています。灯台守の島
平成3年3月29日に定期見回りによる保守に変更(無人化)されるまでは、職員(いわゆる灯台守)が滞在し鍋島灯台を直接管理しており、隣接する与島の人々からも灯台守の島として親しまれていました。明治6年2月に建設された職員のための鍋島退息所も石造りであり、歴史的な価値があったことから、現在は高松市屋島にある四国村に移築再建されています。また、映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ撮影もされました。
鍋島灯台の灯りは、停止信号だった。
鍋島灯台が建設された明治初期、東西に470kmほどある瀬戸内海にはわずか5基(江埼灯台、部埼灯台、和田岬灯台、釣島灯台、鍋島灯台)の灯台しかありませんでした。それだけの灯台で潮流が速く、地形も複雑な瀬戸内海を夜間航行することは 非常に困難に近いものでした。そこで鍋島灯台は、夜間航行する船舶の停泊地までの目標に使用し、夜明けを待って航行するための停止信号として使われていました。同じような灯台として釣島灯台(愛媛)も停止信号として使用されていたことが、明治初めの灯台当直日誌に残っています。(海上保安庁WEBより)
高松海上保安部/鍋島灯台「ホームページによるバーチャル見学会」
停止信号
鍋島灯台が建設された当時、東西に470kmほどある瀬戸内海にはわずか 5基(江埼灯台、部埼灯台、和田岬灯台、釣島灯台、鍋島灯台)の灯台しかありませんでした。それだけの灯台で潮流が速く、地形も複雑な瀬戸内海を夜間航行することは 非常に困難に近いものでした。そこで鍋島灯台は、夜間航行する船舶の停泊地までの目標に使用し、夜明けを待って航行するための停止信号として使われていました。同じような灯台として釣島灯台(愛媛)も停止信号として使用されていたことが、明治初めの灯台当直日誌に残っています。
「瀬戸内海は長さ250マイル、幅50マイルの内海で数千の島が散在し、船舶はその 間の特定海峡を航行する。したがって、暗夜の航海を容易にするため至る所に灯台を設置することは大事業であり、またその効用にも疑問があると判断される。 よって、船舶は夜間は停泊地まで灯台を目標に航行し、 航路の難所は夜明けを待って通航することにすれば数基の灯台でもこれが可能である。 私の提案した灯台は次の主旨に基づくものである。
1 岬の地形がまぎれなく、かつ暗礁などの危険のないところには、 灯台を設置しない。
2 夜間、航行困難または危険な海峡では、夜明けを待って安全な停泊地まで航行に必要な灯台を設ける。
3 灯台を設置すれば通航の容易にできる海峡や多数の島の間で船位確認の困難な場所に灯台を設ける。以上に基づいて、私は神戸、大阪付近及び内海の灯台建設位置を予定し、 他方面の海事権威者に図ったところ、大多数の賛成を得た。」
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