戦後復興時に「コーキブ(工機部)」と呼ばれた国鉄多度津工場(現在のJR四国工場)の労働者に振る舞うために作られた「鍋ホルモン」がはじまり。当時、一般庶民が肉なんて食べられなかった時代に評判となり多度津の名物になったものです。
In order to behave in workers of the post-war reconstruction JR Tadotsu factory was called “Kokibu”, hot pot of cow’s organ had been made. Common people could not able to eat meat, this dish became famous and reputation of Tadotsu town, Kagawa pref., Japan.
いこい
場所:香川県多度津町仲ノ町4-5 [Google Maps]
時間:17:00~23:00
定休:月曜日
電話:0877-33-2007
Ikoi
Place : 4-5 Nakano-cho, Tadotsu town, Kagawa pref., Japan [Google Maps]
Time : 17:00-23:00
Close : Monday
Tel : 0877-33-2007
多度津は四国の鉄道発祥の地である。多度津港と金刀比羅を結んだ鉄道が興りである。そのため今でも多度津港の近くに、旧国鉄時代の面影がのこる多度津工場(現在JR四国工場)がある。地元の人達にコーキブ(工機部)と呼ばれて親しまれてきた。同じ敷地内にあったブッシブ(物資部)は、今で言うところのスーパーマーケットであった。戦後の復興期には、千数百人の職員が働いていた。(現在は百人強)
夕方の5時になると一斉にコーキブの門から労働者が列をなして出てくるのである。これを見ていたある肉屋のおやじは考えた。これで儲けるには?当時、一般庶民は肉なんて、めったに口にできなかった。また、モツ(内臓)を食べる習慣もなかった。ところが、屠場では従業員が日常的にこれを食していたのである。おやじさんもこれを食べ、美味なることをしったのである。「ようし、この放るもん(ホルモン)と酒でひと儲けを」。さっそく工場と駅のあいだに店を出し、コーキブの労働者相手に商売をはじめたのである。
ブッシブで調味料を仕入れて、ホルモンの調理法と味に工夫を重ね、他では食べられない「鍋ホルモン」が評判になり、店を繁盛に導いたのである。
「鍋ホルうどん」は、仕上げにうどんを入れたもので、いわば裏メニューであった。ほとんどの客が〆に食べて、満足して帰っていったそうである。しかし栄枯盛衰とはよく言ったもので、国鉄の合理化、民営化などで徐々に職員も減り、このメニューも地元の人から忘れられてきていた。
それを復活させたのが、肉屋の二代目である。今では三代目に引き継がれ、ひそかな多度津の名物になっている。
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