スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」のモデルになった街に行ってきました。
もともとは何もない台湾北部にある小さな村に
19世紀末に金鉱が発見されて日本統治時代に発展した街です。
その後1970年代に金鉱が閉山されて衰退したのだけど、
1980年代末に侯孝賢監督の映画「悲情城市」の
ロケ地として使われ、再び脚光を浴びるようになったのだそう。
九份の街並みは日本統治時代の面影があり、レトロな雰囲気の街並みが広がっています。
「強力推薦 純手工製作」なんとなく書いてあることが理解できます。漢字ってすごい。
屋台にでているお店はどこもかなり美味しかったです。そして安い。
千尋の両親みたいについ夢中で食べてしまうのはよくわかります。
九份の有名なデザートのお店、阿柑姨芋圓茶(アーカンイーユィユェン)にいた猫
これがその九份の名物デザート、芋圓(イーユェン)
小豆たっぷりのお汁粉に、タロイモとサツマイモと緑豆の三色のお餅がはいってます。
九份 – Wikipedia
その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめており、当時の酒家(料理店)などの建物が多数残されている。しかし第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。
1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画「悲情城市(A City of Sadness)」(侯孝賢監督)のロケ地となったことで九份は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多数の人々が九份を訪れ、また他のメディアにも取り上げられるなど、台湾では90年代初頭に一時九份ブームが起こった。
ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。
日本では、九份が2001年に公開された映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった町として紹介されたため一般の観光客への知名度が一躍高まった。日本で出版されている台湾旅行ガイドブックの多くにはこの逸話が紹介されている。映画を観て九份に興味を持ち訪れる者も多い。
九份にはホテル(中国語で飯店、旅社)がなく、宿泊施設は主に民宿である。
現在、九份は世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今や台湾を代表する観光地のひとつとして定着した感がある。
2008年11月末、経済部の中小企業処は「(民國)97年度革新科学技術の応用群聚計画」を実施し、九份地区に群聚のウェブサイト、無料の無線Wi-Fi(利用範囲:基山街と豎崎路の人気があるスポット、約90%含む)、ネット商店、リアルタイム映像システム(九份風景と人潮及び天気が見られる)、QRCodeシステム(商店と商品の紹介)などの関連技術を導入し、古い町の九份でも現代的なデジタル技術を活用出来るようになっている。
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参考:
九份 – Wikitravel
幸福的台湾旅記録 – Denali’s Room 一語一絵
【旅々台北】台北遊透隊「暮らすように旅したい 1泊2日ゆるゆる九分
九份小町 【トリップアドバイザー】
千と千尋の神隠しのモデルとなった九份に行ってきた
坂と階段とレトロな町並みの九份を訪れる 台湾に行こう
YouTube – 【旅行】台湾 九份(九分) の夜景 (千と千尋の神隠し)
Kenichiro Tsuji
千と千尋の神隠しの街に行ってきました。台湾 九份 商店街篇 http://j.mp/pfeemC
UG takana
え!?え?!つーじーさんそれいつ??俺昨日九分行って来たんすけど!!RT @hawaiiantime: 千と千尋の神隠しの街に行ってきました。台湾 九份 商店街篇 http://j.mp/pfeemC
on-osato
台湾九イ分のピンクの提灯、だいぶ前からなんだって。でも、衝撃のピンク→ 物語を届けるしごとhttp://t.co/kglZTlF (重いからパソコンで見て) …キレイだけど、赤のほうがいいな~。