古代から水不足に悩まされてきた香川県には、水にまつわる史跡や観光スポットが多く存在しています。今回は、その中から高松市内にあるスポットをいくつかまとめてみました。
Kagawa Prefecture, which has suffered from water shortages since ancient times, has many water-related historical sites and tourist attractions. In this issue, we have compiled a list of some of these spots in Takamatsu City.
・鹿の井出水:渇水時に鹿が口をつけたところから水が湧いたという伝説。桜の時期がオススメ。
香川県高松市太田下町3015 [Google Maps]
・高原水車:高松藩の御用水車。稼働する日本最古級の水車場。国登録文化財。
香川県高松市六条町672 [Google Maps]
・居石(おりいし)遺跡:古墳時代の水のまつり。古代の川跡から鏡が3枚みつかった。
香川県高松市伏石町2164-6 [Google Maps]
・旧御殿水源地:高松市水道資料館。国の登録有形文化財。
香川県高松市鶴市町1360 [Google Maps]
・大井戸水神社:日本最初の上水道跡。高松藩。樋材が残る。
香川県高松市瓦町2-10-3 [Google Maps]
・亀井戸復元跡:高松市鍛冶屋町にあった江戸時代の上水道の水源跡。
香川県高松市番町1-5 [Google Maps]
・亀井戸跡
香川県高松市鍛冶屋町5-18 [Google Maps]
・大禹謨(だいうぼ):栗林公園にある西嶋八兵衛に関する石碑。1630年頃の香東川の改修時に治水の成就を願い川中に祀った。
香川県高松市栗林町1-20 [Google Maps]
・西嶋八兵衛:屋敷跡。讃岐の水の恩人。三谷池、神内池、満濃池の再興など。
香川県高松市番町1-3-7 [Google Maps]
・三谷三郎池:古代の須恵器の窯跡。池の水を抜くと川跡が現れる。
香川県高松市三谷町4695-27 [Google Maps]
・夷神社:かつての高松の入江。埋め立ての海岸線や塩田跡など。
香川県高松市木太町3521 [Google Maps]
・高松市の給水スポット:海洋プラごみを減らす試み。目的でクラファンにより実現。
香川県高松市番町1-8-15 [Google Maps]
<祭り>
・ひょうげ祭り:新池、ため池築造に尽力した矢延平六を偲ぶ祭り。みうらじゅんさんの「とんまつり」に掲載。
香川県高松市香川町川内原 [Google Maps]
・滝宮の念仏踊:滝宮神社、滝宮天満宮。ユネスコ無形文化遺産
香川県綾歌郡綾川町滝宮1314 [Google Maps]
・仁尾 竜まつり
香川県三豊市仁尾町 [Google Maps]
2022/03/01撮影
亀井戸跡 – Kameido well site
看板
西嶋八兵衛の屋敷跡
法華宗・大本寺跡(だいほんじあと)
亀井戸跡。導水施設のい移築・復元。
香東川の付け替え。讃岐国絵図
讃岐の水の恩人、西嶋八兵衛
人と水のかかわり14 所在地マップ。
1)居石遺跡:発掘された古墳時代の水のまつり(高松市伏石町)
2)鹿が掘った出水・鹿の井(高松市太田下町)
3)弘法大師が掘った庵治・閼伽井(あかい)(高松市庵治町)
4)龍が棲む泉を祀る田村神社(高松市一宮町)
5)亀井戸とともに城下に水を送った大井戸(高松市瓦町二丁目)
6)平池(へいけ)、小田池(おだいけ)の人柱伝説(高松市仏生山町、川部町)
7)了応和尚(りょうおうおしょう)の雨乞い(高松市番町1丁目 / 法泉寺ほか)
8)矢延平六(やのべへいろく)がつくった新池と奇祭、ひょうげ祭り
9)大名庭園・栗林公園(りつりんこうえん)からおくられた農業用水(高松市栗林町1丁目 / 栗林公園)
10)命をかけた清水神社の雨乞い(高松市由良町)
11)近代水道のはじまり(高松市鶴市町 / 高松市水道資料館)
12)線香水(水利の慣行)(高松市香南町ほか)
13)霊泉 お前泉(まいいずみ)(高松市国分寺町 / 楠井の泉)
高松砂漠(昭和48年)
大名庭園・栗林公園からおくられた農業用水
亀井戸(かめいど)とともに城下に水を送った大井戸。高松市指定史跡
鹿が掘った出水、鹿の井
発掘された古墳時代の水のまつり。居石遺跡(おりいしいせき)高松市伏石町
2022/11/02
居石遺跡(おりいしいせき)高松市伏石町
2023/12/23撮影
大井戸
大井戸記念碑
2022/03/10撮影
大禹謨(だいうぼ)。栗林公園
2019/06/06撮影
江戸時代の水道設備。井戸側(井戸の周囲に設けた囲い)。高松城下では、1644年に、高松藩主・松平頼重の命で、湧水を水源とする水道が整備されたと考えられています。当時の水道は、地中に埋めた木樋(もくひ)と呼ばれる木製の管や土管などを使って、水源から個人用の井戸や共同の井戸へ水を引き、釣瓶(つるべ / 井戸の水を汲み上げるために縄や竿を取り付けた桶)などで汲み上げるものでした。
2022/02/28撮影
亀井戸跡
大井戸
2022/12/23撮影
血屋敷井戸跡。高松城遺跡
2022/02/28撮影
日本最大水城、海水を堀に引き込んでいる高松城
月見櫓。参勤交代から返ってくる殿様が「着くのを見る」から月見(つきみ)櫓。
2023/12/16撮影
雨乞いを祈っていたと伝わる「百々渕(どうどうぶち)」(香川県高松市塩江)。
《伝説》昔、安原郡百々渕(どどがふち:現在の塩江町)に大蛇が住み、近隣の住民を悩ませていた所、弓矢の名人別次八郎が、当山、千手観音に「一矢当たれば千矢の霊験あれ」と祈願し、大蛇を見事退治した所、大蛇がこの鐘を冠っていたということです。竜神の夢告により、この鐘は当山に奉納されることとなったと伝わります。
赤い橋は、高松空港の着陸する飛行機のための誘導灯
2024/01/11撮影
三谷三郎池
三谷三郎池の「じゃ」
三谷三郎池のハイキングコース。田園風景が広がるこのあたりのサイクリングツアー、オススメです。
三谷三郎池窯跡。香川県高松市三谷三郎池(みたにさぶろういけ)西岸窯跡(せいがんかまあと)で行われた最古段階の須恵器生産。須恵器(すえき)は、古墳時代中期(5世紀)に誕生した新たな焼物です。それまで日本になかった朝鮮半島から伝わった技術で作られました。令和5年度第2回香川県埋蔵文化財センター考古学講座を開催します|香川県
2020/11/27撮影
三郎池の水が抜かれて昔の川跡が現れています。もとは三谷池。築造時代は不明。1628年、讃岐国・生駒高俊の家臣、西嶋八兵衛が各地にため池を築造・修築したそのひとつと伝わる。数度の改築が行なわれ、昭和4〜16 年に堤防の嵩上げ・樋管の改修 等で貯水量176万t、ほぼ現在の三郎池に。
大本家漆原屋敷跡 [Google Maps]
瀬戸内海歴史民俗資料館
2018/08/31撮影
雨乞いの龍。香川県三豊市仁尾町。1980年(昭和55年)制作。(仁尾町雨乞龍民俗資料保存会)
滝の宮の念仏踊り。雨乞い奉納の団扇(うちわ)。香川県綾川町の滝宮神社と滝宮天満宮に毎年8月25日に奉納される滝宮の念仏踊(国重要無形民俗文化財)。渇水時に臨時に踊られる雨乞い奉納の際、下知(げんじ)が持つ大団扇。常例の時は「太陽と月」が表裏にあしらわれますが、雨乞いのときには「雨と水」の文字となります。踊り手の笠の縁の垂(しで)も、常例時には金銀や赤青の色紙が貼られますが、雨乞いのときには水色になります。
【香川】『滝宮の念仏踊』ユネスコ無形文化遺産 – [Kagawa] “Takinomiya no Nenbutsu Odori” UNESCO Intangible Cultural Heritage.
雨乞いの祠。香川県まんのう町
Prayer for Rain Shrine
亀井戸跡 -高松丸亀町商店街G街区第一種市街地再開発事業に伴う発掘調査- 現地説明会資料 – PDF
文献・絵図に見る亀井戸跡
亀井戸跡は現在の高松市鍛冶屋町に造られた上水道の水源となった井戸(貯水池)跡で、江戸時代の文献では新井戸とも呼ばれています。1640年代中頃に描かれたと考えられる『高松城下図屏風』には亀井戸の場所に水源の表現があり、さらに『高松藩記』には高松藩主松平頼重が正保元(1644年)年に暗渠工事を行ったという記述が見られます。このことから、亀井戸は17世紀中頃に造られた可能性が最も高いと考えられます。いずれにしても、亀井戸跡は江戸時代の高松において湧水を利用した本格的な上水施設の水源と言えます。なお、高松の城下町に造られた上水道には亀井戸の系統のほか、大井戸(瓦町)や今井戸(麿屋町)など他の系統もあります。天保年間(1830~44年)頃に描かれた『高松新井戸水本並水掛惣絵図』には、亀井戸からどのような順序で水を引いていたのかが詳しく記されており、それによれば亀井戸は主に城下町の東側に水を供給していたことが分かります。その範囲は、古馬場町・今新町・丸亀町など19町にもおよびます。これらの地域には多くの町長屋があり、そこに住んでいた人々にとって亀井戸は欠くことのできない存在だったものと考えられます。同絵図によると、井戸の大きさは、南北が約61.7m、東西が約16.0m、平面の形は北西隅を斜めに欠いた長方形だったことが分かります。なお、19世紀中頃の亀井戸とその周辺の様子は、嘉永7(1854)年に描かれた『讃岐国名勝図会』からも知ることができます。
調査の成果
発掘調査は、絵図で示された亀井戸跡において平成22年7月26日より開始し、同年9月末までに合計約890㎡を調査する予定です。現在は、調査対象地の北側をL字状に約200㎡調査しています。今回の調査で、亀井戸に関わる石垣・導水路・取水施設などの遺構が見つかりました。
井戸の形
調査区の北側と東側の端で、東西・南北方向の石垣を検出しました。さらに、調査区北側の東西方向の石垣(外側の石垣)から南へ約5.2mの位置でも、東西方向の石垣(内側の石垣)を確認しました。内側の石垣は、東側では調査区東端の南北方向の石垣と接続し、西側では斜めに曲がって南西方向に造られています。内側と外側の石垣の関係ですが、外側の石垣を埋めたのちに内側の石垣が造られており、少なくとも内側の石垣が新しいことが分かります。内側の石垣は、残りの良い所で高さが1.3m程度あり、このことから井戸の水を貯める部分の深さは1.3m以上あったことが分かります。石垣は、30~60㎝程度の大きさの石を「野面積み」という積み方で積み上げています。石垣の石には、花崗岩や凝灰岩などが使われています。
取水部分の構造
井戸の水を城下町へ引くために、井戸内部の北東側に出島状に築いた水を集める施設(取水施設)を造っています。取水施設は、井戸底部よりも1段高く石を積み上げ、その内側は溝状となっています。取水施設の内側には、幅33㎝、高さ18㎝の木樋と呼ばれる水を流す木の管を据えていました。木樋は底板が良好に残っていました。木樋を検出した長さは約4mで、木樋の南端の方が北端よりもわずか3㎝ほど低くなっています。取水施設の北側には、凝灰岩を長方形に削った石を積み上げて導水路を造っています。導水路は検出した長さが約6m、内側の幅が70㎝で、導水路の上には板石の長い方を東西に置いて蓋としていました。導水路は調査区の北側にも続いており、取水施設に設けられた木樋から導水路を通って北側の城下町へ水を流していたと考えられます。井戸の埋め戻し
内側の石垣で囲まれた範囲は、主に砂で埋められていました。その砂には近代の遺物が含まれていることから、井戸は近代以降に埋められたことが分かります。水神社境内に建てられていた初代市長赤松渡撰文の『亀井霊泉碑』によれば、明治24(1891)年に約7.3m四方に縮小したと記載されています。まとめ
調査途中のため変更する場合もありますが、現在のところ以下の3点の成果を得ることができました。1)江戸時代の絵図に示された場所で井戸を検出し、19世紀に描かれた『高松新井戸水本並水掛惣絵図』や『讃岐国名勝図会』で表現されている北西隅が斜めに欠ける井戸の形と一致することが明らかとなりました。
2)井戸の水は、木樋から導水路を経て北側へ流れていたことが分かり、どのような仕組みで水を供給していたのかということを具体的に知ることができました。
亀井戸を調査したことで、高松市の上水道の歴史の一端が明らかとなり、なおかつ近世の土木技術の水準がどれほど優れていたのかということを考えるうえで重要な情報が得られました。
750BC:県下の縄文社会に水稲耕作が伝わる。(林坊城(はやしぼうじろ)遺跡・丸亀市平池南(ひらいけみなみ)遺跡)
500BC:このころ塩飽諸島を通じて新文化が伝わる。水田(高松市佐古長池(さこながいけ)遺跡)、井堰(いぜき)(坂出市川津下樋(かわつしもどい)遺跡)環豪集落が建設される(中の池・鴨部川田(かべかわた)遺跡など)。
538:仏教が伝わり、大陸文化が入る。
550頃:須恵器(すえき)の製造が盛んになる。須恵器の窯は池や川の近くに多く、木材や製品を、川などを利用して運んだ。
701:大宝年間、初めて満濃池を築く。
818:満濃池の堤防が決壊する。
821:満濃池の復旧は困難を極め、朝廷に築池別当として空海が派遣され満濃池を復旧する。
888:大干ばつがおこり、讃岐国守の菅原道真が城山で降雨を祈願する。
1627:西嶋八兵衛、藩命により龍満池(高松市)小田池(高松市)福江大池(坂出市)を築造する。
1628:西嶋八兵衛、満濃池の改修に着手する。また三谷池(三郎池・高松市)を改築し、瀬丸池(三豊市)を築造する。
1635:西島八兵衛、神内池(高松市)を築造する。
1637:西島八兵衛、松島より新川に至る堤防を築き、福岡、木太、春日の新田を拓く。また郷東川の水路を付け替える。
1644:高松城下に上水道を敷設。
1645:高松領内で大日照りが続く。この頃、矢延平六がため池を改修。高松領内で新池406が築かれ、あわせて1366になったと伝えられる。
1668:夏大干ばつ、百々渕(どうどうぶち)(高松市)で雨を祈る。
1669:矢延平六が新池(高松市香川町川内原)を築くと伝えられる。
1706:5月6月が大干ばつ、雨を百々渕(どうどうぶち)(高松市)に祈る。
1710:6月、7月大干ばつ。降雨を百々渕に祈る。8月23日、大風雨で堤防ことごとく決壊する。でき死者100余人。穀物も実らず。
1739:夏、大干ばつ。百々渕(どどがふち / 香川県高松市塩江町)に雨を祈る。8月5日~6日、大洪水。濁流が丘に登り、稲田は水をかぶる。1909:高松市「大井戸水源地」の拡張工事が完成する。
1916:高松市御殿浄水場が完成。
1926:豊稔池(観音寺市)の築造に着手する。
1930:豊稔池が完成する。
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