The physicist Mr. Shukurō Manabe (born in Shiritsu Village of Ehime pref.) was one of three researchers to share the 2021 Nobel Prize in Physics. Manabe’s work helped the international community to turn its attention to global warming and led to the establishment of the Intergovernmental Panel on Climate Change, which provides policymakers with regular scientific assessments of climate change.

愛媛県旧新立村(現・四国中央市新宮町)出身!ノーベル物理学賞を受賞した、米国プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎(まなべしゅくろう)さん。島の灯台の気温・湿度のデータを集め、そろばんで計算。海が空気を温める現象を東京大学大学院博士論文に。

「日本は、好奇心を原動力にした研究が以前より少なくなっている」
「本当の研究の醍醐味は、好奇心」

Syukuro Manabe – Wikipedia

Syukuro “Suki” Manabe (born 21 September 1931) is a Japanese-born American meteorologist and climatologist who pioneered the use of computers to simulate global climate change and natural climate variations. He was awarded half the 2021 Nobel Prize in Physics, jointly with Klaus Hasselmann and Giorgio Parisi, for groundbreaking contributions to the “physical modeling of earth’s climate, quantifying variability and reliably predicting global warming.”

Early life
Born in 1931 in Shinritsu Village, Uma District, Ehime Prefecture, Japan. Both his grandfather and his father were physicians, who operated the only clinic in the village. A classmate recalled that, even in elementary school, he was already “interested in the weather, making comments such as ‘If Japan didn’t have typhoons, we wouldn’t have so much rain.'” Manabe attended Ehime Prefectural Mishima High School. When he was accepted into Tokyo University, his family expected him to study medicine, but “whenever there’s an emergency, the blood rushes to my head, so I would not have made a good doctor.” Furthermore, “I had a horrible memory and I was clumsy with my hands. I thought that my only good trait was to gaze at the sky and get lost in my thoughts.” He joined the research team of Shigekata Shono (1911-1969), and majored in meteorology.

眞鍋淑郎(まなべ しゅくろう) – Wikipedia

眞鍋 淑郎(まなべ しゅくろう、英語: Syukuro Manabe、1931年9月21日 – )は、アメリカ合衆国の地球科学者(気象学・気候学)。学位は理学博士(東京大学・1958年)。プリンストン大学上席研究員、国立研究開発法人海洋研究開発機構フェロー、米国科学アカデミー会員。真鍋 淑郎とも表記される。アメリカ合衆国における愛称はSuki(スーキー)。

生い立ちと青年期
1931年(昭和6年)、日本の愛媛県宇摩郡新立村(現:四国中央市新宮町)に生まれる。祖父と父は医師で、村で唯一の医院を営んでいた。

新宮尋常高等小学校に通った。同級生の中でも特に成績優秀で勉強好きであり、同級生が遊びに行っても眞鍋はいつも勉強していたという。気象に対する興味が当時から強く、「日本は台風が来ないと雨が少ない」などと同級生に語っていた。
旧制中学校の愛媛県立三島中学校(現:愛媛県立三島高等学校)を卒業した。

眞鍋の親類には医師が多く、眞鍋も医師になろうと考えていた。しかし、「緊急時に頭に血が上る性格だから向かない」と考えて医師の道を諦め、他の分野で研究者になることを決めた。それが地球物理学であった。

1953年(昭和28年)に東京大学理学部の地球物理学科を卒業した。学生時代にはフォン・ノイマンらの論文を読んで影響され(詳細は後述)、東京大学大学院では「数値予報」を専攻して研究した。正野重方に師事し、1955年(昭和30年)に同大学院の修士課程を修了、1958年(昭和33年)に博士課程を修了した。「凝結現象の綜観的研究」で理学博士号を取得した。

“世界一スパコン使った”真鍋氏・・・30年前温暖化予測【羽鳥慎一 モーニングショー】(2021年10月6日) – YouTube

ノーベル物理学賞に、二酸化炭素濃度の上昇が、地球温暖化に影響するという予測モデルを世界に先駆けて発表した、真鍋淑郎さん(90)が選ばれました。

■真鍋氏「研究の醍醐味は好奇心」

 米プリンストン大学上級研究員・真鍋淑郎氏:「年と共に、日本語も英語も着実に下手になっていきます。つたいない英語ですが、ご容赦ください。(ノーベル賞に)選出されたことは、大変な驚きであると共に、光栄です」

 会見に先立ち、自宅でも喜びと驚きを口にしていた真鍋さん。

 真鍋淑郎氏:「こういう賞を頂くというのは、夢にも思わなかったというのは、ノーベル賞というのは、これまで物理学自身だったのが、気候変動というテーマでものをもらうというのは、全く驚きでした」

 真鍋淑郎氏:「(Q.気候変動で受賞。理由について)選ばれた理由は分かりませんけども。このモデルを使って気候の研究をするというのを始めたのが、私ですので。それに対して、賞が出たんだと思っています」

 真鍋淑郎氏:「(Q.若い研究者に向けてのメッセージを)研究費をとるには、実用的な問題を選ぶということになってますけど、本当の研究の醍醐(だいご)味は、好奇心。なぜ、こういうことが起こるのか。やっぱり、そういう研究をしていくのが、いいんじゃないかと。うちの奥様がサポートしてくれなければ、こういう研究は絶対にできなかったと」

 真鍋さんの研究を陰で支えてきた妻・信子さん(80)は・・・。

 信子夫人:「私は、主人をいつもリスペクトしてます」

■1989年に「地球温暖化予測」発表

 選考委員:「スウェーデン王立科学アカデミーは、本日2021年ノーベル物理学賞を決定しました。真鍋淑郎氏、クラウス・ハッセルマン氏に共同授与します。地球の気候をモデル化し、変動を数値化したことによって、地球温暖化の確かな予測を可能にしました」

 日本として2年ぶり、28人目となるノーベル賞に選出された、真鍋さん。物理学賞では12人目です。

 真鍋さんは、1989年に世界で初めて「大気の流れ」と「海洋の循環」を組み合わせた、「地球温暖化予測」を発表。二酸化炭素濃度の上昇が、気候に与える影響を予測モデルで示し、世界に衝撃を与えました。

■医者の家系で育つも・・・研究者の道へ

 真鍋さんは、1931年に山あいの小さな村、愛媛県の旧新宮村、現在の四国中央市で生まれました。

 小学生時代の同級生は、子どもの頃の真鍋さんについて・・・。

 真鍋さんの小学校時代の同級生・大岡重武さん(89):「とにかく勉強は熱心な方です。それと、負けず嫌いという感じ。成績は優秀。クラスでいつも1位だった。『しゅくやん』『しゅくやん』言うてね。とにかく、優しい感じの人だった」

 代々、医者の家系に育った真鍋さん。自身も、医師を志しましたが断念しました。

 その理由ついて、読売新聞によりますと、「カエルの解剖では、神経をちょん切るわ、化学の実験では、硫化水素を入れて爆発させるわで。医者になるのは、あきらめた」ということです。

 東京大学に進んだ真鍋さんは、研究の道を歩み始めました。東京新聞によりますと、大学院に進むと、真鍋さんは、島の灯台の気温や湿度などのデータを集め、そろばんで計算。海が空気を温める現象を博士論文にまとめたといいます。

 卒業後、真鍋さんはアメリカ政府気象局からの招待を受け、日本を飛び出します。

 当時、アメリカで普及し始めたコンピューターを使って、気象を予測する研究に没頭。“世界で一番スーパーコンピューターを使った男”と異名が付くほどでした。

 渡米後も、故郷を大切にしてきた真鍋さん。39年前に、新宮村で記念講演をした様子を伝える広報誌です。「村出身の世界的学者」と、紹介されています。

 真鍋さんは講演のなかで、子どもたちに「苦闘こそ人生を切り開く道だ」と語り掛けました。

 なぜ、アメリカに渡ったのかという質問には・・・。

 真鍋淑郎氏:「戦後、私の研究成果を活かす就職先が、日本にはなかった。しかし、アメリカ合衆国では思う存分の研究ができて、もう1年、もう1年という間に現在に至りました」

 真鍋さんは「表現力を養うことが大事だ」と、強く訴えていました。

 真鍋さんと会える日を心待ちにしている小学校時代の同級生は・・・。

 真鍋さんの小学校時代の同級生・大岡重武さん(89):「帰ってきて『しゅくやん、おめでとう』とか言ってみたいですよ」

■30年以上前に・・・猛暑に警鐘鳴らす

 真鍋淑郎氏(当時57):「オゾンをご覧になりますと、ちょうどこのまん真ん中ですが、この不透明ですから。非常に温室効果がもっているということに」

 1988年、地球温暖化シンポジュウムで語る50代の頃の真鍋さん。30年以上も前に、現在、世界中が直面している猛暑について、警鐘を鳴らしていました。

 真鍋淑郎氏(当時57):「大体、現在の気温の上昇が、大体3度から4度温暖化が起こると。それが大体、次の世紀の後半ぐらいになると。それに向かってだんだん上がっていくわけなんですけど。そのくらいの温暖化っていうのが起こりますと、日本の夏なんか、今でも暑くて大変なのに、その上に3度か4度くらい温まると。これは、我々の生活ということから考えて、非常に重大な問題だと思うわけです。我々の仕事としましては、気候の数値モデルを使って、できるだけ正確に、将来の気候変動を予報すると。それが、ものによってはプラスになるような変動もあるし、マイナスになる変動もあると。
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