昨日は考古学者の乗松さんによる勉強会でした。
内容は、「瀬戸内海の風景」について。
場所は、せとうち暮らしの出版社 ROOTSBOOKS。

We engaged in a vigorous debate about Landscape of Seto Inland Sea at ROOTSBOOKS which is a publishing company of “Setouchi kurashi” yesterday.

ここ数日、国立公園指定80周年の話題が香川県では盛り上がっていて、
特設サイトにも

・シルクロードの命名者であるドイツの地理学者リヒトホーフェンや、
・近代ツーリズムをつくりあげたイギリス人のトーマス・クック、
・ドイツの医師・博物学者シーボルト、
・そして、瀬戸内海の国立公園指定に尽力した小西和(かなう)さん

のことが紹介されています。
これを見て、好奇心旺盛なせとうち暮らしメンバーは疑問に思います。

そもそも、80年目ってどんな風に瀬戸内海の景色が見えていたのか?
80年前に具体的に瀬戸内海のどの景色が評価されたのか?
それより前の時代には瀬戸内海はみられていたのか?
どんな人たちが、自らの足で歩いて美しい瀬戸内を発見したのか?
景観のイメージはどのようにしてつくられていくのか?
これからの時代、私たちはどんな景色を「瀬戸内海」として評価していくのか?

と、そんなことを、
西田 正憲さんの「瀬戸内海の発見」を教科書に
勉強し、議論した夜でした。

この話のつづき。もう少しディープな瀬戸内海・景観論は、
次号のせとうち暮らしで読めるかも。お楽しみに。

Art Setouchi コラム | 世界第一ノ景 瀬戸内海の再発見 (西田 正憲 奈良県立大学地域創造学部教授)

瀬戸内海は、難波(なにわ)、和歌浦(わかのうら)、須磨、明石、淡路島、屋島(やしま)、鞆(とも)、厳島(いつくしま)、下関(しものせき)のような特定の名所が点在する場所から、内海、多島海(たとうかい)、海岸、瀬戸などの無名の自然景や、段々畑、集落、港、帆船などの無名の人文景が評価される場所へと移行しはじめたのである。この延長線上に、1934(昭和9)年、瀬戸内海国立公園がわが国最初の国立公園のひとつとして誕生する。

瀬戸内海の発見―意味の風景から視覚の風景へ (中公新書)