倉敷市立美術館は、世界的建築家・丹下健三(たんげけんぞう)が設計した旧倉敷市庁舎を活用した美術館です。1960年に完成し、市役所として約20年間使われたのち、1983年に建築家・浦辺鎮太郎(うらべしずたろう)の設計によって美術館へと生まれ変わりました。

The Kurashiki Municipal Museum of Art is housed in the former Kurashiki City Hall designed by world-renowned architect Kenzo Tange, which was completed in 1960 and used as the City Hall for about 20 years before being transformed into an art museum in 1983 by architect Shizutaro Urabe.

外観は、校倉造りを思わせる外壁や木組をイメージしたデザインが特徴で、倉敷の町並みと調和しながらも現代的な力強さを感じさせます。館内に入ると、大きな吹き抜けのホールや、かつて議場として使われた空間に出会えます。特にホールの壁面の窓や、議場の弧を描く天井と湾曲した内壁には、丹下が影響を受けたル・コルビュジエの「ロンシャン礼拝堂」を思わせる表現が見られ、建築ファンにとっても必見です。

The exterior is characterised by exterior walls reminiscent of the azekura -zukuri style and a design reminiscent of timber framing, giving the building a modern, powerful feel while blending in with the Kurashiki townscape.Once inside the museum, visitors will find a large atrium hall and a space that was once used as a council chamber.The windows on the walls of the hall and the arched ceiling and curved interior walls of the council chambers in particular remind architecture fans of Le Corbusier’s Chapelle de Ronchamp, which was an influence on Tange.

市庁舎から美術館へと姿を変え、市民に長く親しまれてきたこの建物は、丹下建築を身近に体感できる貴重な場所。美術作品を楽しむのはもちろん、建物そのものを巡ることもおすすめです。倉敷観光の際には、美観地区とあわせてぜひ訪れてみてください。

This building, which was transformed from a city hall to an art museum and has long been familiar to the public, is a valuable place where Tange’s architecture can be experienced close at hand.In addition to enjoying the works of art, it is also recommended to visit the building itself.When sightseeing in Kurashiki, be sure to visit it together with the Bikan Historical Quarter.

倉敷市立美術館
時間:9:00〜17:15
住所:岡山県倉敷市中央2-6-1 [Google Maps]
TEL:086-425-6034 FAX:086-425-6036
休館:月曜日(休日の場合は翌日)
登録:国の登録有形文化財

Kurashiki City Museum of Art
Hours: 9:00 a.m. to 5:15 p.m.
Address: 2-6-1 Chuo, Kurashiki City, Okayama Prefecture
Tel: 086-425-6034 Fax: 086-425-6036
Closed: Mondays (or the following day if Monday is a public holiday)
Registration: Registered Tangible Cultural Property of Japan

2025/08/16撮影


倉敷市美術館は、1960年(昭和35年)、建築家・丹下健三の設計により倉敷市庁舎本館として建設されました。その後改装され、1983年(昭和58年)に美術館として開館しました。これらの写真は、竣工当時の建物を撮影したものです。


ピロティ


内部


赤、黄、青




登録有形文化財


施設の概要


テーブル


トイレ


天窓


扉の取っ手


倉敷市美術館。


ロビー・講堂内での飲食はご遠慮ください


イス


講堂


天井のカーブ


講堂の扉


壁面


階段


イス


カフェ。庭に見えるのは、彫刻家・速水史朗さんの彫刻


速水 史朗 「ENCOUNTER’87」 1987(昭和62)年


流政之さんの彫刻


国際ホテル。浦辺鎮太郎


倉敷市倉敷公民館。浦辺鎮太郎


流政之さんの彫刻。KURASHIKIMON 1969年

美術館の建築|倉敷市公式ホームページ(生涯学習部 倉敷市立美術館)

倉敷市庁舎(現 倉敷市立美術館)建設構想
1958(昭和33)年、旧倉敷市庁舎(現 倉敷市立美術館)は、水島臨海工業地帯を含んで発展しようとする倉敷市の都市構想の一環として計画され、街の中心、倉敷西小学校が移転した跡地に建てることになりました。白壁となまこ壁が続く家並みと倉敷川沿いの柳並木、大原美術館という一般に定着した倉敷のイメージに加え、倉敷のニュー・シンボルとしての建物が望まれていました。設計を依頼された丹下健三は次のコメントを残しています。「倉敷市の伝統と近代的発展にふさわしい、しかも市民のよりどころになるにふさわしい建物をと思って設計した」

建築家・丹下健三(1913~2005)
倉敷市立美術館の設計を手がけた丹下健三は、1913(大正2)年、大阪府堺市生まれ。1946(昭和21)年、東京大学大学院を修了、1961(昭和36)年より丹下健三・都市・建築設計研究所を主宰、1963(昭和38)年には東京大学工学部都市工学科教授に就任する。
戦後、広島平和会館(55年竣工)の設計コンペで1等当選。その後、旧東京都庁舎(57年)、香川県庁舎(58年)が竣工、戦後の庁舎建築の土台を築いた。「東京計画・1960年」では、東京湾上に築地から木更津にのびる都市軸を設ける構想を発表し話題を呼んだ。東京オリンピックでは代々木公園内の国立屋内総合競技場(64年)を設計。ほかにも、国内外の建築物を数多く手がけ、1980(昭和55)年、文化勲章を受章。1991(平成3)年に新宿に新しく建てられた東京都庁舎を手がけるなど、建築界の第一人者として活躍した。
2005(平成17)年に死去。

市庁舎完成
この建物の主構造は、梁を縦横に組み合わせ、その接点部分に柱を配する現場打ちのコンクリートによるラーメン構造です。副構造として、工場生産によりあらかじめ作られた部材を積木のように組み立てていくプレキャスト・コンクリート構法を用いています。なかでも注目すべきは、外観でわかるように、横に架け渡された大きな梁が約20mのスパンを持っているという点です。それを支える柱は太く、壁は厚く。それらが打放しのコンクリートによってむき出しでつくられているため、大きな迫力を与えています。また、南北いずれからでも入ることができるエントランスホールに、高さ10mを越える吹抜空間がつくられ、今でもこの建物の見どころのひとつとなっています。
内部に関しては、市長室の机や椅子、違い棚などのデザインまで丹下自身が手がけました。とくに、教会の内部を思わせる議場(現講堂)のデザインは、丹下が、独立柱のない広いカウンタースペースとともに、この建物の内部空間においてもっとも力を入れた部分のひとつです。ただ当初、この建物の北側には市民広場が設けられ、さらには公会堂が向かい合う形で建設される予定でしたが、それは実現しませんでした。現在、この計画の模型はニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。

市庁舎移転
1967(昭和42)年、旧倉敷、児島、玉島の3市合併により倉敷市の人口は、17万人から30万人へとふくれあがりました。この建物の約1km南に新市庁舎が移転することになったのは1980(昭和55)年。行政需要の拡大や業務の多様化を考えれば、市庁舎拡大は止むを得ませんでした。結果として本館の市庁舎としての生命は、丹下の庁舎建築の中で最も短命となりました。

美術館としての再生
郷土出身の日本画家・池田遙邨による倉敷市への作品寄贈がきっかけとなり、1983(昭和58)年、この建物は美術館として再生されました。天井も高く、ほとんど障がいなく拡がる床スペースは、美術館への転用に向いていました。改築の設計を担当した浦辺鎮太郎は1909(明治42)年生まれで倉敷市出身の建築家。1963(昭和38)年には代表作のひとつ倉敷国際ホテルが竣工、1972(昭和47)年の倉敷市民会館では毎日芸術賞を受賞しました。浦辺は、可能な限り丹下建築の特長を残しながら美術館としての機能をもたせることに努めました。こうして旧市庁舎は「現代の校倉造り」と呼ばれた外観をほとんど損なうことなく、美術館として再出発したのです。

倉敷市立美術館(旧倉敷市庁舎)は国の登録有形文化財です。
国の文化審議会は、2020(令和2)年3月19日に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、倉敷市立美術館(旧倉敷市庁舎)を新たに国の有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申しました。同年8月17日、美術館が国の有形文化財に登録されました。この建物は、1960(昭和35)年に世界的な建築家であり、文化勲章を受章した丹下健三によって設計・建設された鉄筋コンクリート造、地上3階建ての元市庁舎、直接的な構成が丹下によるモダニズム建築の理念をよく示す好例といわれています。コンクリート打ち放しの柱や梁を平滑に見せる外観で、2階を太い柱と約20mの長大なプレキャストコンクリートの横架材で支える構造は、迫力のある力強い造形となっています。

倉敷市立美術館 – 近代の文化遺産の保存と活用 – 近代の文化遺産の保存と活用

倉敷市立美術館(旧倉敷市庁舎)は水島臨海工業地帯発展に伴う倉敷市の都市構想の一環として倉敷駅から南に伸びる主要幹線道路沿いの美観地区に近い地に丹下健三研究室により、市民広場、公会堂とともに計画され、南端の市庁舎のみが昭和35年(1960年)に完成した。丹下は倉敷の美しい家並みに愛着を覚えるが、大原總一郎の「新しい市庁舎は,古い倉敷の民家群に従わないで, これらを新しい方向に導いていくようなものでありたい」※との思いに同調し、伝統を「痕跡をとどめない、触媒のようなもの」※と捉えてデザインを進めたとしている。そして、都市における公共建築のスケールと長期的サイクルを考えた場合、鉄とコンクリートによる構造体が規定されるとする※。随所にル・コルビジェの影響を感じさせながらも外装材は全面プレキャストの中空ブロックを横長の深い開口を穿って積層することで校倉造りの様相を呈し、さらに繊細な日本的木組モチーフを組み込む外観デザインに丹下のこの時期の特徴が見られる。内部は2つのコアに挟まれた中央部の吹抜けを市民ホールと名づけられ、3階に議場が乗り、その上部屋上は階段状のイベント空間に設えられている。ホール壁面の開口部と議場内部の勾配のついた円弧天井と緩やかに湾曲した内壁にル・コルビジェのロンシャン礼拝堂の直接的影響が見られる。
1980年まで20年間市庁舎として利用され、1983年から浦辺鎮太郎の設計により倉敷市立美術館として転用された。EVコア棟を西側に増築し、北西部分を新築された図書館と連結したことを除き、可能な限り丹下建築の特徴を残しながら美術館の機能が付与されている。玄関を南から北へ移し、1、2階の市民窓口、行政窓口を展示室、3階の議場は講堂とした。屋上から2階までのライトシャフトは3階までとなった。公共建築を用途変更してサスティナブルに利用する点で優れた取り組みであり、今も市民や観光客に利用されている。

※:「新建築,1960.9」