「毒を苺に変える力」
それは「楽しむ力」のこと
これからもこの力を大切にしていきたいと思います。
例えば、
誰もがつまらないと嘆くような映画を、
誰もが悪口を言う嫌な人のことを、
誰もがつらく苦しいと逃げたくなる状況を、
楽しむことができるそんな力を育てて生きたいと思います。
映画を見に行ってその映画が面白くなかった時、
普通、人は 「この映画、面白くなかった」といいます。
映画をつくったことない人が映画を評価し、
役を演じたことのない人間が芝居を評価し、
建築を建てたことがない人が建築を評価し、
そうやって世の中にあふれる「ふつうの人」が
本当にいいものをみつけていきます。
だから、僕のつくったものがそういう ふつうの人に
批判されたり評価されることはありがたいこと。
でも、僕の場合はちょっと違っていて、
映画監督だろうが、建築家だろうが、パン屋さんだろうが、
僕にとっては同業者なんです。
だから、そういうものから何でもいいからヒントをもらって、
自分のツクルコトに活かしていきたい。
だから、面白くない映画に出会った時、
特にその作品を褒める人が一人でもいる場合、
それを面白く思えないのは、それをつくった映画監督のせいじゃなくて、
それを面白いと思えるチャンネルを自分がもっていないからだと、
とても悔しいのと同時に、それを楽しめている人が羨ましいんです。
だから、誰かが、「いい!」っていったものは
自分も「いい!」って言えるようになりたいし、
それはアンテナ、それはチャンネル、それはセンサー、それは視点。
いろんな言い方をされますが、僕はできるだけたくさんの
自分以外の視点を吸収していけたらいいなと考えています。
だから、建築でもプロダクトでもグラフィックでも習字でもパンでも
なんであっても、何かを創ろうとしている皆さん。どうか、
自分がプロダクトデザイナーだから「プロダクト」と名のつく展示会しかみないとか、
自分が演劇人だから「演劇」と名のつく芸術しかみないとか、
自分がロックミュージシャンだから「クラシック」は聴かないとか
なんて言わずに、自分がいま立っている場所とは違う世界をできるだけ覗いてほしいんです。
特に誰かが「いい!」って言っているものを簡単に否定はしてほしくないんです。
むしろ自分以外の場所にこそ創作のヒントは眠っていたりするもの。
それでもってよろしければ、その「いい!」をこっそりと僕に教えてください。
僕は誰もが「つまらない」、といって道端に捨てたようなものを拾って、
その面白さを皆さんに伝えられるよう、楽しむ力を身につけたいです。
これをもって新年の挨拶と、自分に対する戒めとさせて頂きます。
楽しんだもの勝ち。