2021年の丑年(うしどし)にぜひ訪問してほしい神社が小豆島にあります。小豆島の滝宮地域にある八坂神社は、今から1,300年以上も前、西暦700年頃の文武天皇(もんむてんのう)時代、勅使(ちょくし)によって国営の牛の放牧が行われていた場所です。その後、80年ほど備前国(びぜんのくに/岡山県)の長島に移されるまで放牧が行われていました。

神話の世界では、素戔嗚命(スサノオノミコト)が出雲に向かう途中、皇踏山(おうとざん)に登り、滝宮の人々に農耕や牛の病の治療を教えました。そのことを讃え、皇踏山の山頂に祀り、797年に滝宮にご神体を遷したのがこの神社と伝えられ、疫病をふせぐ牛の神様『牛頭天王(ごずてんのう)』を天王さんとして親しまれてきました。奇遇にもこのあたりは、オリーブ牛発祥の地でもあります。オリーブオイルを絞った後の実を食べて育ったオリーブ牛を生み出した石井正樹さんの牧場がこの地域にあります。

The history of Sanuki Wagyu began in 1882, when Shodoshima Island in Kagawa Prefecture became the first place in Japan to raise Kuroge Washu cattle (Japanese Black) for beef. Shodoshima is home to Yasakajinja Shrine, where a cow has been worshipped as a divine messenger since long ago. It is said that cows which feed on the bamboo grass growing within the shrine grounds will not become sick. Praying for the health of their cattle, people living in the area would graze their cows at the shrine, or bring the grass home with them if they lived far away. Additionally, this area has a long history of raising cattle for farm work. Within the shrine grounds you can find a stone monument which describes Kangyuhoboku no Ato (Site of Official Cattle Farming). On the monument it is written that in ancient times, a god named Susano-o no Mikoto raised cows on Shodoshima and encouraged cattle farming. It also describes how official cattle farming on Shodoshima, which was ordered by Emperor Monmu approximately 1,300 years ago, was recorded in the Shoku Nihongi, an imperially commissioned historical text. (History of Olive Beef)

八坂神社
住所:香川県小豆郡土庄町滝宮甲547-1 [Google Map]

Yasaka shrine
Address : 547-1 Takinomiya, Tonosho town, Shodoshima island, Kagawa pref., Japan [Google Map]


小豆島の斜面に広がるオリーブ農園をぬけると


八坂神社


石の鳥居


官牛放牧の跡


牛の像

この鐘楼は文久3年(1863年)に再建されたもので神仏習合の遺物である神社に現存しているのは珍しい。ぼんは明治4年(1871年)神仏分離により71番瀧宮堂に移され、巡礼の遍路さんにより打ち鳴らされている。鐘の音色の余韻は素晴らしい。明治4年(1767年)に鋳造され、お宮の参拝者が鐘を突いていた。また正月元旦には打ち鳴らす鐘を合図に各家庭では、1年の無事安穏を祈ってから雑煮を祝ったという。

1979年5月28日土庄町有形文化財に指定されている。

この間四区に邪鬼をふまえた四天王像を持国天(じこくてん)の頂上に師の種子を鋳出している。持国天の間「それ諸仏が出世する時、万象いよいよその時を得れば即ち成るなり。ここ備讃の中洲の小豆島北浦瀧宮者は牛頭(ごず)天王の祭司にして大渇仰の由来久し然るにこの区に未だぼん鐘をかけずく時有りて邑民楽しく備えて之を鳴らす。且つ予は銘をて不朽に伝えん事を乞い願う。永世海潮を和み昏暁に逐を警す。是即ち時至るか。

沙界。道に徹って鐘が鳴る。山海尽きる無し。暮朝にを利す。別当巨海大聖寺住権大僧都法印龍敬って銘す。吉村年寄 治平。組頭 小平治、新八。世話人 九兵衛左衛門 又左衛門。干時明和4丁亥天中春日年(1767年)。


牛の絵


寄付した方々の名札

土庄町指定 有形民俗文化財
八坂神社奉献 金比羅丸模型
1979年(昭和54年)5月28日指定

この絵馬堂に飾られている和船(神戸猪牙)の模型は、大正11年に大工木馬大市によって造られたもので、全長267cm、航(かわら)159cm、幅73cm、深さ26cm、実船の十分の一の縮尺です。

瀬戸内海各港に石炭や肥料などを回漕して大いに利を得た目島の高橋定平が謝意を込めて奉納したもので、機帆船になる直前の和船最後の姿を今に残す貴重な文化財です。(土庄町教育委員会)


社殿。神社近くに牛舎があるオリーブ牛農家の石井正樹さんにご案内いただきました。


牛の絵馬だから「絵牛」というべきか


牛好きにはたまらないほど、牛に関する様々なものが奉納されています。各地から養牛など牛関連のお仕事をされている方が訪れるそう。


八坂神社


お祭り用にシュロ縄でつくった牛


紅葉


石の灯篭


ベーハ小屋かな


官牛放牧の跡

八坂神社
住所:香川県小豆郡土庄町滝宮甲547-1 [Google Map]

Yasaka shrine
Address : 547-1 Takinomiya, Tonosho town, Shodoshima island, Kagawa pref., Japan [Google Map]

History of Olive Beef

The history of Sanuki Wagyu began in 1882, when Shodoshima Island in Kagawa Prefecture became the first place in Japan to raise Kuroge Washu cattle (Japanese Black) for beef. Shodoshima is home to Yasakajinja Shrine, where a cow has been worshipped as a divine messenger since long ago. It is said that cows which feed on the bamboo grass growing within the shrine grounds will not become sick. Praying for the health of their cattle, people living in the area would graze their cows at the shrine, or bring the grass home with them if they lived far away. Additionally, this area has a long history of raising cattle for farm work. Within the shrine grounds you can find a stone monument which describes Kangyuhoboku no Ato (Site of Official Cattle Farming). On the monument it is written that in ancient times, a god named Susano-o no Mikoto raised cows on Shodoshima and encouraged cattle farming. It also describes how official cattle farming on Shodoshima, which was ordered by Emperor Monmu approximately 1,300 years ago, was recorded in the Shoku Nihongi, an imperially commissioned historical text.

At the beginning of the Taisho period (1912-1926), these cattle began to be referred to as “Sanuki Wagyu ” in Kyoto, Osaka and Kobe. Later, raising cattle for beef spread to the Mitoyo, Nakatado and Ayagawa districts of Kagawa, becoming popular throughout the prefecture. These traditional methods of cattle farming, cultivated by the tireless efforts of farmers and fostered by the mild climate of the Sanuki region, have become the cornerstone of the Sanuki Wagyu industry, which continues to this day.

讃岐牛の歴史|オリーブ牛 公式サイト

讃岐牛は、明治15年頃、全国にさきがけて香川県の小豆島に黒毛和種の肥育が始まったのが最初です。小豆島には古くから、牛の神様として崇拝されている八坂神社があります。ここの境内の笹を牛に食べさすと病気をしないとの言い伝えがあり、近くの人々は牛を連れてきて笹を食べさせ、遠くの人々は笹を持ち帰るなどして、牛の健康を祈願しておりました。また、ここは古くから養牛の盛んな地域で、境内には、官牛放牧之跡の石碑があります。碑文には、遠く神代においてスサノオノミコトが小豆島で牧畜を起こし、奨励したと伝えられていること。約1,300年前の文武天皇の勅旨で官牛の放牧がなされたと、続日本紀にあることなどが紹介されています。

京阪神で讃岐牛の愛称で呼ばれるようになったのは大正の初めです。その後、香川県三豊郡、仲多度郡、綾歌郡と肥育が広まり全県に讃岐牛の肥育が普及しました。そして、讃岐の人々のたゆまない努力と恵まれた気候風土のなかで培われた伝統的肥育技術は、今にいたる讃岐牛生産の礎となっています。

八坂神社 – Wikipedia

八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町北側にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社であると主張している。通称として祇園さんとも呼ばれる。祇園祭(祇園会)の胴元としても知られる。

社名について
元の祭神であった牛頭天王が祇園精舎の守護神であるとされていたことから、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたものが、慶応4年=明治元年(1868年)の神仏分離令により「八坂神社」と改名された。

祭神

明治時代の神仏判然令以前は、主祭神は以下の3柱であった。

中の座:牛頭天王 (ごずてんのう)
東の座:八王子 (はちおうじ)
西の座:頗梨采女 (はりさいにょ・ばりうねめ)

牛頭天王は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護するとされ、日本では素戔嗚尊と同神とされていた。頗梨采女は牛頭天王の后神であることから素戔嗚の后である櫛稲田姫命と同一視された。櫛稲田姫命は方角の吉方(恵方)を司る歳徳神(としとくしん)と同一と見なされていた事もあり暦神としても信仰された。八王子は牛頭天王の8人の王子であり、暦神の八将神に比定された。
また、東御座には社伝に明確な記述が無い蛇毒気神(だどくけのかみ)が祭られている。この神は沙渇羅(さから)龍王の娘で今御前(第二婦人のこと)と呼ばれる[3]。または、ヤマタノヲロチが変化したものとも考えられている。

牛頭天王 – Wikipedia

牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神と同一視された。道教的色彩の強い神だが、中国の文献には見られない。

牛頭天王の神格
牛頭天王の神格についてはさまざまな説があり、江戸時代から明治時代にかけて復古神道の影響下で主張されたスサノオ・朝鮮半島起源説が知られるが、神仏分離と国家神道の政治的な影響が大きいともいわれ、定説は確立していない。

牛頭天王は、平安京の祇園社の祭神であるところから祇園天神とも称され、平安時代から行疫神として崇め信じられてきたが、御霊信仰の影響から当初は御霊を鎮めるために祭り、やがて平安末期には疫病神を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出して市中を練り歩いて鎮祭するようになった。これが京都の祇園祭の起源である。

これについて、当時は疫病は異国からの伝染と考えて、異国由来の疫病神として牛頭天王を祀る由来となったと考える立場もある。いずれにせよ、牛頭天王は、子の八王子権現や眷属とともに疫病を司る神とされたのである。