上佐山(うわさやま)は、香川県高松市の西植田町・池田町・三谷町の町境に位置する標高255.7mの山です。山頂のシンボルツリーが遠くからも見えていてずっと気になっていたので登ってきました。上佐山は、約2,500〜2600万年前の火山活動でできた火山台地で、黒雲母石安山岩という火山岩がつくる美しい形のおむすび山です。その美しい姿は、村尾篁山(むらおこうざん)という幕末から明治にかけて活躍した詩人の「植田十二勝」にも選ばれています。また、仏生山(ぶっしょうざん)地域にある高松クレーターの五座(日山・実相寺山・日妻山・馬山・上佐山)の一つとしても知られています。
Mount Uwasayama is a 255.7 m high mountain located on the border of the towns of Nishiueta, Ikeda and Mitani in Takamatsu, Kagawa Prefecture. I climbed the mountain because I had always been curious about the symbolic tree at the top of the mountain, which was visible from a distance. Mount Uwasayama is a volcanic plateau formed by volcanic activity about 25-26 million years ago, and is a beautifully shaped omusubi (Rice ball) mountain made of a volcanic rock called biotite andesite. Its beautiful shape was selected as one of the ‘Ueda Twelve Wins’ by Murao Kozan, a poet active from the end of the Edo period to the Meiji period. It is also known as one of the five sites of the Takamatsu Crater (Hiyama, Jissojiyama, Hizumayama, Umayama and Uwasayama) in the Busshozan area.
上佐山(うわさやま)
住所:香川県高松市三谷町 [Google Map]
標高:255.7m
Mt. Uwasayama
Address : Mitani cho, Takamatsu city [Google Map]
Altitude : 255.7 m
2024/05/30撮影
薬師堂・薬師湯
薬師堂・薬師湯
この薬師堂は、昔は犬の馬場の糠山池の東側竜王谷にあった石像の薬師如来を祀っている。安政元年(1854年)の台自身で薬師如来が倒れ当地に冷泉が湧出したので、その倒れていた薬師如来をこの地に移して祀ったのが起源だという。
薬師湯は、薬師堂の地下化からの湧水で、温めて入浴するとお訳しさんの霊験をこうむって万病に効き、特に皮膚病や婦人病に聞くと言い伝えられ、古くから入浴に来る人が多かった。最近の科学的調査で、温泉法に適用する成分含有があることが実証されている。
1994(平成6年)12月 三谷地区地域おこし事業推進委員会
香川用水
速水四郎さん 「空」 2005
Shiro Hayami, “Sky” 2005
仏生山クレーター5座
仏生山(ぶっしょうざん) (香川県高松市仏生山町前池) Busshozan (Maeike pond, Busshozan town, Takamatsu city, Kagawa pref.)
1989年(平成元年)、金沢大学の重力異常調査チームにより、地下に眠る巨大クレーターが発見されました。仏生山公園を中心に直径約4km・深さ約2kmに広がる半球体で、その内部には香川県の年間降水量に相当する、およそ20億トンもの地下水を蓄えていると推測されるものでした。その成因は、約1,400~500万年前に起こった瀬戸内海火山活動の時にできたカルデラ説が有力とされています。
In 1989, a huge crater lying underground was discovered by the Kanazawa University gravity anomaly research team. The crater is a hemisphere with a diameter of approximately 4 km and a depth of approximately 2 km, centred on Fushozan Park, and is estimated to hold approximately 2 billion tonnes of groundwater inside, equivalent to the annual precipitation of Kagawa Prefecture. The theory that the caldera was formed during volcanic activity in the Seto Inland Sea approximately 14-5 million years ago is considered to be the most likely cause.
2024/01/11撮影
山の上の1本木が遠くからもみえる香川県高松市三谷町の上佐山 (うわさやま)。山頂はどんな様子なのか見に行ってみようと思います。
三郎池からの眺め。
三谷町は、近年宅地開発が進んで入るものの、まだ、のどかな田園風景が広がっています。
山の北側。墓地の近くに登山道入口があります。このあたり(Google Map)
上佐山(うわさやま)。墓地公園口
最初の坂を登るとすぐに展望台とテーブルがあります。
登山している御一行とすれ違いました。山ではすれ違うときに挨拶を忘れずに。
二合目
根っこが作る自然の階段
広葉樹の森。落ち葉を見るとどんな木で森が構成されているかわかります。
四合目
ヤブコウジ(藪柑子)。十両(ジュウリョウ)。ちなみに似ている植物で「千両」と「万両」があります。上向きの実が千両、下向きの実が万両。
赤い実
ジャノヒゲ(蛇の髭)
イタチシダの仲間
ロープをつたって登る急峻な箇所があります。雨の後にぬかるんでいる時は避けたほうがよさそうです。
三郎池の北西には日山。日山に登ったときの記録はこちら。
六合目
曲輪(くるわ)跡。石落とし
山頂から北西と北東に延びる屋根に急峻で堅固な防壁が施されていた痕跡が残っています。
三郎池。右が日山(191m)、左が雨山(116m)。
七合目
植生が少し変わって笹がでてきました。
キヅタ(木蔦)の仲間。常緑性で冬でも葉が見られるのでフユヅタ(冬蔦)とも言います。ウコギ科キヅタ属の常緑つる性木本。ブドウ科のツタ(蔦)は、落葉性。
九合目
山頂。由良山と屋島がみえます。右は五剣山。左は女木島・男木島・豊島など瀬戸内の島々がみえています。
下山道がいくつかにわかれています。
山頂は平らになっていて、地元の方々が整備し、とても気持ちの良い空間になっています。桜も植わっているので春にまた来たい。
上佐山日記。みなさんの登山記録
下鯰越池。右は、日妻山(標高235m)。右下に漆原屋敷跡がみえます。
左は実相寺山(標高250m)、右は日妻山(標高235m)
これが山の下から見えていたシンボルツリー。コナラの木でした!上佐山(うわさやま)標高 255.7m
シンボルツリーのコナラの木
上佐山山の東側。坂瀬池。手前に流ているのが春日川。右の池が、公渕(きんぶち)森林公園の公渕池(きんぶちいけ)。その北側に『麦縄の里』があります。さらにその奥には、三木町の『嶽山(だけやま)』がみえています。
上佐山の東側、麓付近にあるのは池田合子神社。池田合子(ごうし)神社古墳という前方後円墳(バチ型/墳長35m/後円径25m)があったが、改修にともない消滅。副葬品として、波文縁方格規矩四獣鏡、碧玉製管玉、鉄槍、鉇、斧が出土。
Google Mapのコメントによると「永享二年後花園天皇の御代、紫宸殿に怪鳥現れ宸襟を悩ましました。池田山城主・上佐山城主、三谷弥七郎景明は天命により怪鳥射て兵庫の頭を賜った武人で上佐山山頂の城内に勧請し城の守神とし祀った。そのご三谷氏没落し天正の頃、神殿が破壊したので池田城主池田遠江守景光、宮司漆原佐内政所植田弥左衛門と高野原氏子合力にて修造した。その後四度改築が行われている。元々の池田八幡宮神殿は南向きに鎮座していたが神託により文化二年に池田合子八幡宮を現在の境内地に遷宮し東向きに神殿を建替え明治三十三年改築し現在に至る。社合の合子と云うのは康和年間、神櫛王の末裔、池田郷戸主凡直利満の一族多く池田郷に居住していたので、その祖神を祀り凡神社と唱えた。そのオフシがガフシと訛り合子の字をあてたものである。」
山頂の社
上佐山城跡。とても気持ちの良い広場になっています。1375年(永和元年)、三谷氏がここを拠点にしたと伝えられています。北に由良山城、南に神内城、南東に戸田城、北西の三谷城、東麓の池田城を見下ろし、この付近の要衛の地です。1480年(文明12年)三谷兵庫頭景久のとき寒川左馬允に攻められたが、三谷城から上佐山城に立て籠もり寒川氏を撃退しました。1508年(永正5年)に香西豊前守元定を上佐山城で撃退しました。1582年(天正10年)に土佐の長宗我部氏に敗れ、廃城となりました。
高松空港に着陸する飛行機がみえます。
下山道。登りの登山道とは違う、山の南側の登山道を降りてみましたが、結論から書くとあまりオススメできません。花崗岩質のマサ土か、サラサラしており非常に滑る上に途中からロープなど頼れるものがあまりなく危険でした。記録のために写真を貼っておきます。
山頂近くのみ鎖やロープがありました。先人の残してくれた痕跡が非常にありがたい。
山の上部は安山岩
急峻な崖を降りていきます。
途中からロープなどがありませんでした。
ネズミサシ(鼠刺)。裸子植物マツ綱のヒノキ科ビャクシン属の常緑針葉樹。尾根筋など痩せた土地に生育します。temple juniper。瀬戸内地方に多い。日当たりがよく花崗岩質など痩せた尾根やアカマツ林内、砂地などに見られます。松枯れによってマツが消えた跡地に増えることもあります。古くは、種子から得られた油を灯火に使っていました。球果は杜松子(トショウシ)という漢方の生薬。
仲間のセイヨウネズ(西洋杜松)であれば、英語で「ジュニパーベリー(Juniper berry)」のことで、お酒のジンの香りの元となるスパイスとして知られています。
ボクトウガ(木蠹蛾)の幼虫の糞。樹液と木くずと一緒にこの幼虫が発散成分「2-Phenylethanol(フェネチルアルコール)」をスズメバチが嫌がることを金哲史教授(高知大学)と市川俊英名誉教授(香川大学)が発見。香川県高松市の公渕(きんぶち)森林公園での実証実験を経て、世界初のスズメバチの忌避スプレー『スズメバチサラバ』が商品化しました。
参考:画期的な忌避剤スズメバチサラバ | 株式会社KINP / 虫にも人にもやさしい高知大学のスズメバチ忌避スプレー:農林水産省
花崗岩質の土壌、真砂土(まさつち / Decomposed granite soil)がサラサラしていて滑ります。特殊土壌地帯災害防除及び振興臨時措置法(特土法)で指定されている特殊土壌。
山の南側なので日当たりはよく登山中の景色は悪くないのですが。
ウメモドキかな。葉の形が違うような。
大きな木。
手水鉢
上佐山神社。祠と石灯籠
竹林
棕櫚縄(しゅろなわ)などに使われる棕櫚(シュロ)の木
道路にでました。
登り口はこんなかんじです。
JA香川県のカントリーエレベーター。カントリーエレベーターは、穀物の貯蔵施設の一種です。巨大なサイロと穀物搬入用エレベーター、穀物の乾燥施設などからなります。
下から見上げた上佐山(うわさやま)。いろんな樹種の木が植わっていていい山です。
上佐山の東側にある薬師堂・薬師湯があります。1854年(安政元年)の大地震で、この場所に冷泉が湧いたそうです。温めて入浴すると薬師如来の効果か、万病に効き、特に皮膚病や婦人病に効くと言い伝えられているそうです。最近の科学的調査で温泉に適した成分が含まれていることがわかったとのこと。
三谷地区地域おこし事業推進委員会 / 1994年(平成6年)12月
こんな場所に香川用水?
お墓の彫刻の輪っかの向こう側に山。
三郎池から上佐山
山頂のシンボルツリー
三谷八幡宮。御祭神:誉田別尊(ほんたわけのみこと / 応神天皇)、息長足毘女命(おきながたらしひめのみこと / 神功皇后)。
1905年(明治38年)三豊郡豊濱町字姫濱。
日下栄太郎さん。三谷村議会議長。元県中小企業団体中央会長 元高松市商店連盟会長。合併議案の採決を行った関係1市15町村の議会議長のお一人。1956年(昭和31年)7月28日に前田村、川添村、林村、三谷村と、8月31日までには15町村全ての合併調印。
三谷三郎池窯跡。多くの遺跡がでてきています。
日本最古の須恵器窯のひとつ~三谷三郎池西岸窯跡~
三谷三郎池西岸窯跡は、高松市三谷町の三郎池内にある古墳時代中期初頭(約1,600年前)の窯です。 窯は尾根の先端部を利用してつくられており、中央には天井を構築するために立てた柱の跡があるため、地上で窯をつくる、地上式の窖窯だと考えられます。 ただし、床面の傾斜は15°と緩やかなため、高い火力を出すには、長い煙道が必要です。しかし、地上式の窯では長い煙道を築くのは難しいため、窯の背後の尾根をくり抜いて煙道をつくったと想定されます。つまり、三谷三郎池西岸窯跡は、焚口から焼成部の大部分が地上式で、窯の奥部から煙道にかけてが地下式だった可能性があります。 また、出土した須恵器の大部分が甕です。とくに、甕の底部内面にしぼり痕があるため、伽倻地域からの渡来人が関わる形で須恵器生産が始まったと考えられます。
高松市三谷町周辺は、三谷石舟古墳をはじめとする古墳群や最古の須恵器を焼いた三谷三郎池西岸窯跡などの遺跡が数多くあり、さらには古代の官道である南海道の駅が設けられた地域として知られています。主要な遺跡から、この地域の歴史環境を見てみたいと思います。
この地域で最古の遺跡は雨山南遺跡で、旧石器時代の石器製作を行っていたことが推定される遺跡です。縄文時代の遺跡については、はっきりとした所在が不明ですが、三郎池などでこの時代の石鏃が見つかっています。弥生時代では、県道43号中徳三谷線建設に伴って発掘調査を実施した北野遺跡で、弥生時代前期の土坑や溝跡が発見されています。また弥生時代後期~古墳時代前期の生活痕も北野遺跡、および同道路建設に伴い実施した鎌野西遺跡、三谷中原遺跡で確認されています。また通谷遺跡では、弥生時代後期の土器棺墓が7基見つかっています。
古墳時代では、集落跡はまだ見つかっていませんが、数多くの古墳が知られています。前期古墳には、全長31mの前方後円墳で竪穴式石室をもつ小日山1号墳があります。中期古墳である三谷石舟古墳は、全長88mを測る大型の前方後円墳で、高松平野南部の盟主墳と考えられています。この後の盟主墳として高野丸山古墳が知られ、直径42mの円墳で、幅10m以上の周濠をもっていました。後期古墳では、全長9m以上の横穴式石室をもつ矢野面古墳が最大規模の石室をもつ古墳になります。
古代では、当時の法令などを記した延喜式にみえる「三谿」の地名から、この地域で官道である南海道の駅が設置されていたと推定されています。これに関しては、やや時期が下がるものの三谷中原遺跡で、平安時代の南海道や条里地割に関係する溝跡が見つかっています。この他、転用された礎石や奈良~平安時代の軒瓦の存在から古代寺院に推定されている高野廃寺が知られています。中世では、この地域においても、戦国期のものと推定される城館跡が知られ、三谷氏の上佐山城跡・三谷城跡、三谷氏の家臣とされる鎌野や由良氏の鎌野城、由良山城跡などがあります。
この池を周遊する自転車コース、オススメです。
竜王丸
三谷三郎の「じゃ」
むかしむかし、三谷三郎池にはいつごろから住みついたのか母と子の”蛇”がいました。母親の”じゃ”は身体が大きいので、三つの谷にまたがる三郎池でもきゅうくつでした。ある日つつみで昼寝をしていた子供の”じゃ”は、西の方に満濃池という大きな池ができたという、村人の話を聞きました。さっそく「お母さん、西の方に満濃池というところがあって、たくさん水があるそうですよ、これからすぐに行ってくるといいですよ」とすすめました。それではと母親の”じゃ”は、あるあらしのよる、たつまきになって西へ飛んでいきました。
それからしばらくたったある春の日、子供の「じゃ」がつつみで遊んでいました。村の子供たちがやってきて、「三谷三郎池に「じゃ」がおるおると、大きな「じゃ」げな、うそじゃげな、わぁーい。」と、子供の「じゃ」をとりかこんではやしたてました。子供の「じゃ」は母親が恋しくなり泣き出しました。くやしくなった子供の「じゃ」が子供の中へとびこもうとしました。子供たちは「うわぁー」と大声を上げて逃げだしました。その時です。うしろのたかーい、たかーいところから「坊や、坊や」というなつかしい声が聞こえてきました。そこにはりっぱな竜になった母親のすがたがあったのです。それからは、母と子は三谷三郎池でいつまでもしあわせにくらしたそうです。「三谷地区地域おこし事業推進委員会」
上佐山(うわさやま)
住所:香川県高松市三谷町 [Google Map]
標高:255.7m
Mt. Uwasayama
Address : Mitani cho, Takamatsu city [Google Map]
Altitude : 255.7 m
上佐山
上佐山は、西植田町、池田町、三谷町の町境に位置し、本峰の 雄上佐と南峰の雌上佐からなり、 およそ2,500-2,600万年前の火山活動でできた火山台地で、黒雲母石安山岩と呼ぶ火山岩の、 標高255.7mの孤立したドーム状の秀麗な山である。その美しい姿は、村尾望山選の「植田十二隣」にも揚げられている。 また、高松クレーター五座(日山、実相寺山、日妻山、馬山、上佐山)の一つといわれている。 山頂は平坦で、かつての王佐山城の本丸跡といわれている。
1375(永和元年)、三谷氏がここを拠点にしたと伝えられている。頂上から北西と北東に延びる屋根は急峻で堅固な防壁が施されていたらしい。北に由良山城、南に神内城、南東に戸田城、北西の三谷城、東離の池田城を見下ろし、この付近の要働の地である。
1480年(文明12年)、寒川氏を迎え討ったのが、讃岐での武士同士の合戦(讃岐の戦国時代)の始まりといわれている。1582年(天正10年)に土佐の長宗我部氏に敗れ、廃城となった。
2012(平成24年)1月 植田校区コミュニティ協議会
Mt. Uwasayama is located on the border of Nishi-Ueda, Ikeda and Mitani towns and consists of the main peak, Male Mt. Uwasayama, and the southern peak, Female Mt. Uwasayama. It is a volcanic plateau formed by volcanic activity approximately 25-26 million years ago and is an isolated, dome-shaped, 255.7 m high, superb mountain of a volcanic rock called biotite andesite. Its beautiful appearance has been included in the ‘Ueda Twelve Wins’ of the Murao Takamura Mountain Selection. It is also said to be one of the five sites of the Takamatsu Crater (Hiyama, Jissojiyama, Hizumayama, Umayaman and Uwasayama).
The summit is flat and is said to be the site of the former main citadel of the Ouza Castle, where the Mitani clan is said to have established their stronghold in 1375. The roofs extending northwest and northeast from the summit are said to have been steep and fortified. It is said to have been a key defence position in the area, overlooking Yurayama Castle to the north, Jinnai Castle to the south, Toda Castle to the southeast, Mitani Castle to the northwest and Ikeda Castle at the eastern foot. and the castle was abandoned.
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