2019年7月に、 香川県高松市塩江(しおのえ)町の『大滝山県民いこいの森キャンプ場』にて、 解剖学者で昆虫の収集家としても知られる養老孟司先生をお迎えして 『身近な虫を通してみる塩江』という企画が催されましました。

In July 2019, a project entitled ‘Shionoe through familiar insects’ was held at the Otakiyama Kenmin Ikoinomori Campsite in Shionoe-cho, Takamatsu City, Kagawa Prefecture, with anatomist and insect collector Dr Takeshi Yoro as the guest speaker.

2019/07/20撮影

「まず自然の中に身をおいて、五感を使うことが大事」養老孟司さんはそう言って、虫採り道具の使い方やどんな生き物がいるかなどの前置きをあえてせずに、 まずは森の中を歩いてることを促しました。

Mr. Takeshi Yoro said, “First of all, it is important to be in nature and use all five senses”, and urged the children to walk in the forest first, without daring to explain how to use insect-collecting tools or what kind of creatures were there.

香川県高松市というと瀬戸内国際芸術祭が開催されていることもあり全国的には島のある地域というイメージが強いかもしれません。そんな海や島のイメージが強い高松市にも、豊かな森があり里山と里海が繋がっていることをご存知でしょうか。

高松市の南の端、雄大な自然に囲まれた里山の風景が広がる塩江(しおのえ)という地域があります。『全国水源の森百選』『ホタルの里』でもある塩江には、全長30kmの香東川(こうとうがわ)が流れていて、豊かな森でつくられた栄養塩が讃岐平野を通って瀬戸内海に注いでいます。瀬戸内では牡蠣や海苔の養殖場を目にする機会も多いのだが、こうした山から流れる栄養塩が海の生物にとても重要な働きをしています。香川県高松市はとてもコンパクトな街だからこそ、里山と里海が繋がっているということを実感することができます。

ここ塩江には、香川県最古の温泉郷で環境省の国民保養温泉地に指定されている『塩江温泉郷』があります。およそ1300年前、奈良時代のはじめに行基(ぎょうき)という僧によって発見され、弘法大師・空海が湯治の地として伝えたという。高松の町中から車で40分または路線バスで1時間、高松空港からは車で15分とアクセスが良く、宿泊でも日帰りでも楽しむことができる。今回のイベントは、塩江町の『大滝山県民いこいの森キャンプ場』で催されましました。

このキャンプ場のある『大滝大川県立自然公園』は、竜王山(りゅうおうざん)、大川山(だいせんざん)とともに、香川県内で初めて指定された県立自然公園です。香川県内で3番目に高い標高946mの大滝山(おおたきさん)は、山頂付近に香川県内唯一の貴重なブナ林が広がり、希少な生き物が生息しています。

森に行く前に子どもたちに白い布が配布されましました。これは、ビーティングネットと呼ばれ、ビーティング法(たたき網採集法)という昆虫採取の方法で使われる道具です。葉っぱや枝のしたにネットを置き、棒で叩くと落ちてくる昆虫を採取する。興味深かったのは、養老先生が、必要以上に採集の方法などの細かな説明せず、まずは自由に森の中に子どもたちを解き放ったことです。わからないことがあれば答えをすぐに検索してしまいがちな現代において、あえて「わからない」「なんだろう」「どこに昆虫がいるだろう」「どうやって採ろうか」などと自然に考えさせることの大事さを感じました。「すぐに答えを求めるのは、頭だけで考えている証拠です。」あえて、わからない世界、ままならない世界に身を浸してみると意外と心地の良いものです。

森の中にはいり、木々の枝葉、石の裏側など様々な場所を思うままに家族一緒になって観察していました。普段、森を歩いていてもこんなに細かく観察することはないので、「虫の目」になって森を歩いてみると改めて多くの生き物が潜んでいることに気が付かされる。

葉っぱの裏や、石の下など子どもたちが次々に虫をみつけては目を輝かせて養老先生のもとへ見せに持ってくる。虫の名前さえわかれば、家にかえって調べてそれが自分の知恵になるだろう。養老先生がもっている道具は『吸虫管』といって息を吸うことで虫を採取するための道具です。市販のものはガラスで割れると危ないので自分でつくったという。必要な道具を創意工夫しながら自らの手で作るというのも、印象的でした。

大滝山では、豊かな森林や水の環境が守られてきたため、多くの森林性昆虫と清流を好む水生昆虫が生息する。世界でも大滝山にしかいないオオタキサンオオコバネナガハネカクシや、香川県固有種のオオタキメクラチビゴイムシなど、山頂付近のブナ林をはじめ落葉広葉樹林が貴重な生き物たちの生息環境となっています。

森でのフィールドワークを終え、地元のお母さんたちの手作りの竹筒にはいったお弁当が振る舞われ、家族一緒にみな美味しそうに頂いていました。昼休みの後、後半は講義の時間。講義の中では、昆虫や自然のことはもちろん、子育てや教育、都市化についてなど話題は多岐にわたりました。

養老先生は、まず黒板に人の絵を描いました。二足歩行は四足歩行に比べてとても効率がいいと言います。地面からの抵抗も少なくてすむうえにバランスを前傾姿勢にとれば、自然と前にあるくようにできています。だからどこまででも歩いていける。そのうえで、椅子というものが日本人の生活に入ってきたのは明治時代、いまから100年くらい前です。だからとりわけ日本人の身体に椅子というものがあわないと言います。健康のためには歩くことが大切。

『ああすれば、こうなる』

養老孟司先生はこう黒板に描き、これが現代の都市に暮らす人たちの考えかたで大きな間違いを孕んでいると言います。自然を排除した都市生活の中では、原因と結果を簡単に結びつけて思考してしまいがちだが、実際には物事はそんなには単純ではない。この思考は人々が自然の中に身を置かなくなったことに起因しています。「こうした『ああすれば、こうなる』という思考がはびこるようになったのは、人間が自然とつきあわなくなったからです。」五感を使って自然の中に身を置くと、人間にはわからない世界がいくらでも広がっていることに驚かされる。

『正規分布(normal distribution)』もしくは『ガウス分布(Gaussian distribution)』

次に養老先生は黒板にグラフを描いました。このグラフは『正規分布(normal distribution)』もしくは『ガウス分布(Gaussian distribution)』といい、自然界の様々な性質がこの形状を示す。平均のところで最も多く、左右対称に値が減っていく形です。「人間の血圧もこの形状、偏差値教育もこの形状を目指す。つまり東大に行くような高偏差値は右の端の人間で、血圧で言えば高血圧の状態。それを教育によって正常の場所にもっていく。」都市の中で暮らしていくうちに自然との付き合い方を遠ざけてきてしまった私達にとってこうして、難しいことを考えずまずは自然の中に身を置き、五感を開放することの大切さを学びました。

出典:国土地理院 デジタル標高地形図「四国」
出典:国土地理院 デジタル標高地形図「四国」


【公式】養老孟司 『ものがわかるということ』(祥伝社)出版記念特別対談 養老孟司×成田悠輔「わかる」について語る 【番外編 虫と地質の関係】 – Youtube

最後に、個人的に1番面白かったのは、四国は南北ではなく、東西で昆虫の種類が異なるという話。このお話、10年ほど前に養老先生から伺ったことがありずっと気になっていた話です。愛媛県の石鎚山と徳島県の剣山では昆虫の種類が明らかに異なっているのは、四国が遥か昔に南北ではなく東西で分かれていたことの証なのだと言います。養老先生は子どもの頃、四国の地図をみていて四国を横断し南北に分断している吉野川の形状について、ずっと疑問に思っていたという。吉野川は高知県の早明浦ダムのある大川村などの山中を通り、四国の真ん中あたり、徳島県の大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)で南北を通るのです。普通に考えてもこの形状はありえない。長いこと不思議に思っていたことが、四国の昆虫を調べていたらわかっました。今生きている昆虫を調べることで何万年にも及ぶ、地形のダイナミズムまでわかってくるとは、なんと昆虫の世界は奥深いのでしょうか。

養老孟司先生を通じて改めて、四国の自然の奥深さを知り、そのなかに身を置き五感を開放することの大切さを考えさせられました。自然の対義語として人間があるように思ってしまうが、実はそうではなく人間も自然の一部でその中に身を置くことの大切さを教えていただいました。そして、高松市内に暮らしていると街なかであっても、黄金色に染まる小麦畑の田園風景や渡り鳥が飛ぶ瀬戸内の風景に自然を感じることができる。そして、コンパクトシティと呼ばれる高松市には、都市部や空港からほど近い塩江の山々の中に、こんなにも豊かな自然があることを高松市民として誇りに感じました。ご参加くださった皆様、養老孟司先生、ありがとうございましました。


大滝大川(おおたきだいせん)県立自然公園


滝。さぬきの名水。大滝の水。讃岐山脈の高峰のひとつである大滝山一帯は、降水量も多く、本県では珍しい樹齢100年を越えるブナやケヤキの天然林など、豊かな自然が残されています。この山間から湧きだす清水や、これらを源とする小出川の清河な渓流と淵がおりなす渓谷美は、新緑から紅葉の秋まで、多くの人々にうるおいとやすらぎを与えています。また、その澄み切った流れには、カワヨシノボリやカジカガエルなど渓流特有の動物が生息し、渓流沿いには、ムカシトンボ、サワガニをはじめとして多くの底生動物をみることができます。(香川県 平成4年6月)


キャンプ場利用について。1人1泊250円(個人一般)


森林浴コース(キャンプ場散策)。全行程1km、時間30分、約2,000歩


川。雨の影響でこの日は水量が多かったです。


カニ


イチゴ


カタツムリ


胞子


蜘蛛の巣


きのこ


アリ


どくだみの香り


よく観察するとありとあらゆるところに生き物が棲んでいます。

養老孟司先生と「身近な虫を通してみる塩江」
日時:2019年7月20日(土) 10:00~14:30
場所:大滝山県民いこいの森キャンプ場 (香川県塩江町上西甲2326-14) [Google Map]
対象:小学4~6年生及びその保護者
連絡:高松市 観光交流課 観光エリア振興室 (087-839-2417)

養老孟司(ようろうたけし)さん
1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒業。東京大学名誉教授。心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得ました。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』は大ヒットし2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞しました。大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けています。『唯脳論』『身体の文学史』『手入れという思想』『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』など著書多数。