そして、桜田家にきてみました。地下鉄の駅から出たとき、
当然、写真や映像では何度もみていたものの、
あまりの異様な外観に思わず笑ってしまった。
「がんばったなサグラダさん」。なんだこのディテールの集合は。
これまでみてきたガウディの作品群の個人的な印象は、
装飾主義や形態主義がもつ感情とモダニズムのもつ合理的な理性、
その両方がバランスよく実現されているといった印象。

初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受け、
1882年に着工したが意見の対立から翌年に辞任。
その後を引き継いで2代目建築家に任命されたのが、
当時は未だ無名だったアントニ・ガウディである。
以降、ガウディは設計を一から練り直し、
1926年に亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。
ガウディは仔細な設計図を残しておらず、大型模型や、
紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされる。
それらを含め、弟子たちがガウディの構想に基づき作成した資料などは大部分が
スペイン内乱などで消失してしまっている(模型も破片になってしまった)。
この為、ガウディの死後、もはや忠実にガウディの構想通りとはならない
この建築物の建造を続けるべきかという議論があったが、
職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど残されたわずかな資料を元に、
時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で
現在も建設が行われている。北ファサード、イエスの誕生を表す東ファサード、
イエスの受難を表す西ファサードはほぼ完成しているが
本来は屋根がかかる予定であり、またイエスの栄光を表す
メインファサードのある南側は未完成である。

  

参考:
サグラダ・ファミリア – Wikipedia
ガウディの遺産 サグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪聖堂)
バルセロナ ガウディを訪ねて(1) 神の棲家、サグラダ・ファミリア