咸臨丸難航図 鈴藤勇次郎原画 【所蔵】木村家蔵・横浜開港資料館保管
日程:2012年10月6日~8日
山下家や古川家の墓参のほか、高見島にある山下の実家や本島の塩飽勤番所などを見学。
多度津町立資料館主催で、榎本会長らの講演会。
咸臨丸寄港150年/「子孫の会」塩飽訪問へ | 香川のニュース | 四国新聞社
幕末の1862年、幕府初の留学生としてオランダに渡った塩飽出身の山下岩吉と古川庄八の功績を顕彰しようと、派遣から150年を迎える今秋、塩飽水夫や留学生の子孫らでつくる「咸臨丸子孫の会」と「開陽丸子孫の会」が、高見島や瀬居島などゆかりの地の訪問を計画している。
山下岩吉は香川県多度津町高見島、古川庄八は香川県坂出市瀬居島の出身。幕府がオランダに発注した軍艦「開陽丸」の建造に合わせ、士官の榎本武揚らと共に幕府初の留学生15人の中に選ばれ、オランダで操船技術などを学んだ。67年、完成した「開陽丸」で帰国した。
留学前、江戸にいた2人は、他の留学生と共に瀬戸内海経由で出港地となる長崎へ向かった。
この時、長崎まで留学生たちを運んだ船が、塩飽水夫が乗り込み60年に日本の軍艦として初めて太平洋横断に成功した咸臨丸。一行を乗せた咸臨丸は62年9月6日に丸亀市の本島に寄港しており、これが14年間の咸臨丸の歴史において唯一の香川への寄港となった。
祥伝社 (2012-03-14)
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参考:
塩飽勤番所 – Wikipedia
島びと20世紀 第1部 塩飽の海人たち(9)-四国新聞社
塩飽訪問2010
kanrin-maru.org
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