昭和の名建築に泊まる。
東京・六本木にある国際文化会館(International House of Japan)。前川國男・坂倉準三・吉村順三の共同設計、1955年(昭和30年)完成。
ここは江戸時代、多度津(現在の香川県多度津町)藩主、京極壱岐守(きょうごくいきのかみ)の屋敷跡です。庭園は、三菱財閥4代目総帥、岩崎小弥太(いわさきこやた)邸(1929年竣工)時代の小川治兵衛(植治)の作庭。
日本建築学会の再生報告書がきっかけで保存再生がきまり、三菱地所設計が保存再生の設計を担当。アルミ枠と複層ガラスを使った木製建具の再生や、階段から地下への自然光を取り入れてかつてあった光庭の機能を復活するなど。建物の文化財としての価値を受け継ぎながら、宿泊施設やホール設備など現代建築として必要な機能に更新していく継承設計を実現しています。
International House of Japan, Roppongi, Tokyo. Designed jointly by Maekawa Kunio, Sakakura Junzo and Yoshimura Junzo and completed in 1955. This is the former residence of Kyogoku Iki no Kami, lord of the Tadotsu domain in the Edo period. The garden was created by Jihei Ogawa (Ueji) during the reign of the residence of Koyata Iwasaki (completed in 1929), the fourth general of the Mitsubishi zaibatsu. A report on the restoration of the building by the Architectural Institute of Japan led to the decision to conserve and restore the building, and Mitsubishi Jisho Sekkei was in charge of the conservation and restoration design. The project included the restoration of wooden fittings with aluminium frames and double-glazing, and the revival of the former light garden function by introducing natural light from the staircase to the basement. While inheriting the building’s value as a cultural asset, the design for succession has been achieved by updating it with the functions required for a modern building, such as accommodation and hall facilities.
国際文化会館
住所:東京都港区六本木5-11-16 [Google Map]
設計:前川國男、坂倉準三、吉村順三
完成:1955年(昭和30年)
受賞:2007年日本建築学会賞、日本建築学会作品選集2008、第17回BELCA賞、日本建築家協会優秀建築選2007、2007年度グッドデザイン賞、国の登録有形文化財(建造物)
International House of Japan
Address: 5-11-16 Roppongi, Minato-ku, Tokyo [Google Map]
Designed by : Maekawa Kunio, Sakakura Junzo, Yoshimura Junzo
Completed : 1955
Awards : Architectural Institute of Japan Award 2007, Architectural Institute of Japan Selected Works 2008, 17th BELCA Award, Japan Institute of Architects Excellent Architecture Award 2007, Good Design Award 2007, Registered Tangible Cultural Property (Building) of Japan
2022年12月撮影
国際文化会館
ベランダの柵
模型
登録有形文化財
シングルルーム
名勝、旧岩崎邸庭園。港区指定文化財。近代日本庭園作庭の先駆者、京都の造園家・植治(うえじ)の小川治兵衛による作庭。
現在の国際文化会館の庭園の前身は、昭和4年(1929)に三菱の四代目当主岩崎小彌太(1879-1945)が建設した岩崎家鳥居坂本邸の庭園で、京都の造園家「植治〈うえじ〉」の小川治兵衛の作庭によるものでした。「植治」の歴代当主小川治兵衛は数多くの庭園を作庭しており、中でも七代目は平安神宮や円山公園、旧古河庭園などを作庭したことで知られ、近代日本庭園作庭の先駆者として著名です。
本庭園は、崖に面した南側と鳥居坂に面した東側に植栽が施され、その内側に池を設けた池泉回遊式の日本庭園であり、入り口部の岩組なども優れています。また、昭和5年(1930)の「東京市麻布区鳥居坂町 岩崎邸実測平面図」と比較しても、作庭当初の姿を大筋において残していることがわかります。
岩崎邸は昭和20年5月の空襲で焼失し、その後、昭和30年には国際文化会館が建設されました。この建物は前川國男・吉村順三・坂倉準三の共同設計による戦後日本の優れた建築の一つですが、旧岩崎邸の庭園との調和を最大限に考慮する姿勢は特筆に値します。また、旧岩崎邸の庭内にあった庭石や燈籠、水鉢なども現存するものが少なくありません。これらは、国際文化会館の庭園が旧岩崎邸庭園を継承していることを具体的に示すものといえるでしょう。
なお、江戸時代のこの地には多度津藩京極家(1万石)の屋敷がありましたが、明治時代に入ると、井上馨の屋敷となりました。明治9年(1876)から14年にかけて作製された参謀本部陸軍部測量局『五千分ノ一東京図・測量原図』に見える「井上邸」には、南側と東側に植栽、その内側に池があるところから、旧岩崎邸の庭園は明治初期の井上馨邸の庭園の面影をある程度とどめている可能性も考えられます。(港区立郷土歴史館)
紅葉
石灯籠
ヴォールト屋根。向こうに六本木ヒルズ
大谷石
外塀
椅子
朝食
コースター
石。
国際文化会館
住所:東京都港区六本木5-11-16 [Google Map]
設計:前川國男、坂倉準三、吉村順三
完成:1955年(昭和30年)
受賞:2007年日本建築学会賞、日本建築学会作品選集2008、第17回BELCA賞、日本建築家協会優秀建築選2007、2007年度グッドデザイン賞、国の登録有形文化財(建造物)
International House of Japan
Address: 5-11-16 Roppongi, Minato-ku, Tokyo [Google Map]
Designed by : Maekawa Kunio, Sakakura Junzo, Yoshimura Junzo
Completed : 1955
Awards : Architectural Institute of Japan Award 2007, Architectural Institute of Japan Selected Works 2008, 17th BELCA Award, Japan Institute of Architects Excellent Architecture Award 2007, Good Design Award 2007, Registered Tangible Cultural Property (Building) of Japan
国際文化会館(こくさいぶんかかいかん、英語: International House of Japan)は、東京都港区六本木5丁目(麻布鳥居坂)にある、国際相互理解のための文化交流及び知的協力の促進を目的とする公益財団法人(公益財団法人国際文化会館)、及び、同法人が運営する施設である。
1952年(昭和27年)に樺山愛輔、高木八尺や松本重治といった知識人を中心に、ロックフェラー財団をはじめとする内外の諸団体や個人からの支援により設立された。世界の研究者、文化人、芸術家、企業人等が集い、語り合う人物交流プログラムを中心に取り組んでいる。2009年6月から2018年12月までの理事長は、元国連事務次長の明石康。2019年1月からの理事長(第7代目)は近藤正晃ジェームス。
設立資金は「文化センター準備委員会」が中心となり募った。海外からの人物招聘も積極的に行っており、過去にグロピウス、トインビー、ルーズベルト、オッペンハイマー、リースマン、ケナンなどを招聘。
施設は1955年(昭和30年)に完成。宿泊施設、会議施設、レストラン、図書室などで構成され、講演会、シンポジウム、セミナーなどの会場として使用されるほか、結婚式場としても利用できる。建物は前川國男、坂倉準三、吉村順三の3人が設計した。会館は麻布・鳥居坂の岩崎小弥太邸跡(現在の住所は港区六本木5丁目)にあり、英文表記の「International House of Japan」を縮めて「I-House(アイ・ハウス)」と呼ばれる。
沿革
1951年(昭和26年)に、ハリー・S・トルーマン大統領が対日講和条約締結の準備交渉のために派遣したジョン・フォスター・ダレス特使一行に加わって来日したジョン・D・ロックフェラー3世(英語版)は、帰国後に日米両国に文化センターを設立することや、東京と京都にインターナショナル・ハウスを建設することを含む日米文化関係についての提言書をダレスに提出。樺山愛輔を委員長に、松本重治とリーダーズ・ダイジェスト東京支社長のアメリカ人、スターリング・W・フィッシャー、が常任幹事になり、文化センター準備委員会が組織される。ロックフェラー財団からの資金提供に加えて、国内でも、吉田茂首相をはじめとする政財界や、川端康成らの文化文壇人による支援を得て、大規模な募金活動が始まる。敷地は、江戸時代から幕末にかけて多度津藩(現・香川県丸亀市)藩主京極壱岐守の江戸屋敷であったもので、明治初期に井上馨の所有となった。その後、久邇宮邸、赤星鉄馬邸、岩崎小弥太邸と変遷し、戦後は国有地となっていた。松本と叔父の松方三郎がこの土地を安く払い下げるよう政府に要請し、敷地を取得、1955年(昭和30年)に開館した。なお、松方家と土地の旧所有者の岩崎家は姻戚関係にあった。
建物・庭園
1955年(昭和30年)に、設計者の前川、坂倉、吉村の3名がこの作品によって「昭和30年度日本建築学会賞(作品)」を受賞。1976年(昭和51年)には前川の設計により、旧館の改修と新館の増築が竣工した。2003年(平成15年)にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定され、2006年(平成18年)3月には国の登録有形文化財に登録された。現在の庭園は、1930年(昭和5年)に岩崎小弥太が京都の造園家「植治(うえじ)」こと7代目小川治兵衛に作庭を依頼し、桃山時代あるいは江戸時代初期の名残りを留める近代庭園の傑作として知られている。庭園は2005年(平成17年)10月に港区の名勝に指定された。
建物の保存再生
2005年(平成17年)に耐震構造を含む大規模な改修を実施。日本のモダニズム建築を代表する名建築の外観や、庭と建物の伝統的なたたずまいは変えることなく保存された。この保存再生は戦後の名建築を保存する取り組みとしては画期的なものと評価され、保存再生活動に対して、日本建築学会より「2007年日本建築学会賞(業績)」を、財団法人日本産業デザイン振興会より「2007年度グッドデザイン賞(建築・環境デザイン部門)」を受賞。
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