数十年前は、石の産地の様子はどんなだったのかなと思ったので、
1947年、1974年、現在の小豆島の採石場あたりの航空写真を見てみました。
1947年10月13日、米軍による小豆島 殿山上空より撮影。海岸線が滑らかです。
地図の東側、川の河口は吉田という地区でこの頃には既に集落が存在していたようです。
現在は、オートビレッジYOSHIDAという天然温泉のあるキャンプ場や、
アクアという滞在型リゾートマンションがあります。
1974年(昭和49年度)の小豆島 殿山。
高度経済成長期(1955~1973年)後の姿ということになります。
海岸線の形がずいぶんと変わっていますが、
大規模な採石跡やダムはまだみられません。
GoogleMapsより現在の小豆島 殿山。大きな地図で見る
地図の中央部に、小豆島最大のダム 吉田ダム(1996年完成)があります。
北側の採石場もはっきりと山の形を変えているのがわかります。
一時は、島の産業として賑わった石材業ですが、
石の需要が減っていることに加え、
中国の石材との価格競争に勝てず廃業する石材業者が増えています。
現在の灘山の採石場はほとんど活動しておらず、
がけ崩れ防止と環境保全の改善指示が県からでているようです。
小豆島石 – 石のこころ香川の銘石
瀬戸内海に浮かぶ小豆島の地質は、主に花崗岩から成り立っています。この小豆島の北東部で採石されているのが小豆島石。 1583年に豊臣秀吉が初めて大阪城築城にかかった時、小豆島は豊臣方の領地だったため、加藤清正らによって採石されていました。 その後、1620年に徳川家が大阪城を大改築した際、全島の各方面から七人の大名が大石を切り出し大阪の送っていました。 小豆島石は大阪城以外に、江戸城や江戸山王神社鳥居(笠井家文書)、皇居石橋(西丸大手橋)などに使用されています。小豆島の花崗岩は荒目石で光沢がああり、加工しやすく、変色しないなどの特徴があります。 小豆島石の中には、白石や赤みの石もあり、黒色の有色鉱物が茶褐色に変色するものもあります。 また、ごく薄い紅色の石もあります。
参考:
ゆらやまのぼる。戦国・江戸・戦後復興の産業遺産
残念石(大坂城築城残石) – 小豆島観光協会
[日本の民話・妖怪 語りおろし]小豆島・石灯籠縁起(香川県小豆島)
小豆島の石
今秋に「石のシンポジウム」開催/小豆島
石のこころ香川の銘石
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