【香川 9/8】水の恵みと豊作に感謝するひょうきんな祭り『ひょうげ祭り』 – [Kagawa 8 Sep.] “Hyoge Matsuri”, the local humorous festival

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令和6年度 ひょうげ祭り|高松市
日時:2024年9月8日(日)14:00から(雨天決行)
場所:香川町浅野地区集落研修センターから、新池までを練り歩きます。[Google Map]

Hyoge Festival
Date : 8 September (Sun), 2024 from 14:00 (rain or shine)
Venue : Parade from Asano Community Training Centre in Kagawa Town to Shinike. [Google Map]

高松港から南に約12km、仏生山温泉から1kmほど南にある新池という溜池の近くで「ひょうげ祭り」という地元のユニークなお祭りが毎年9月の第2日曜日に開かれます。

“Hyouge festival” takes place every second sunday on September at Shinike pond. Shinike pond is located about 12km South of Takamatsu port, Kagawa pref., Japan.
Many people say the origin of this festival was to praise the achievement of Heiroku Yanobe who constructed a new pond to resolve the water shortage during the Edo period; to appreciate water and its good fortune; and to pray for a good harvest.
Participants put on swords which are made of sliced pumpkins with an aroid stem. They parade in the town coloring their faces with bright red and blue paints.

ひょうげ祭り
日程:毎年9月の第2日曜日
時間:14:00~
場所:香川町浅野地区の集落研修センターから新池
連絡:香川県文化財課 (087-839-2660)

Hyoge (humorous) festival
Date : every 2nd Sunday on September
Time : 14:00-
Place : From village learning center to Shin pond (Asano area Kagawa town, Takamatsu city, Kagawa pref., Japan)
Contact : Cultural property of Kagawa pref. (087-839-2660)

高台にあるため水不足に悩まされていた浅野地区に水を引くため新池を作った矢延平六(やのべへいろく)さんの功績を称え、水の恵みと豊作に感謝するお祭りです。彼が築造にかかわった溜池は有名なものだけでも100以上。とても偉大な技術者だったことが伺えます。

In edo piriod, people had been bothering someone about being short of water for a while. Mr. Heiroku Yanobe made holding pond for people. This festival is for praise achievement of him and fertility rite. He made more than 100 holding honds. The local people know his great deed.

江戸時代・寛文年間(1661~73年)に築造された新池ですが、もともと水が少ない地域なので、その築造にはとても苦労があったそうです。高台にあるため集水が困難であったため、この地域の西を流れる香東川から4kmもの距離を水路をつくって水をひいたのだそう。

Shin holding pond was developed in 1661~73. This are was low-rainfall area, and located on a hill. Thus, it was difficult to collect water, and he designed waterway from Kotou river which was located 4km west.

香東川(こうとうがわ)の上流を起点とし起伏の激しい土地の高低を、夜に農民たちに松明や提灯をもたせて測ったことが伝えられています。矢延平六さんは、現場で農民達と汗を流した技術者で、こうした地域のお祭に名前が伝わっていることからも、地域の皆にとても慕われていたことが想像できます。

He started to made the waterway from upper stream of Koutou river. At night, he made farm people holded up torches or lantern to know the level of land form. Mr. Heiroku Yanobe worked and sweated together with peasants. Now we can understand from these lore that he had a good relationship with local people.

2019年9月6日撮影 祭りの準備風景


地元のみなさんがが集まって祭りの準備。


縄を綯う。通常のお祭りは右綯いなのに、左綯いなのは、弔いだからでしょうか。


神馬


馬の口は大工さんがつくったもの


縄の綯い方を教えていただた


様々な祭りの道具


香川町ひょうげ祭り保存会 植松一夫会長


里芋の葉っぱ


刀の鍔(つば)はカボチャのヘタ。刀の刃は里芋の茎。


神輿。桧葉


棕櫚(しゅろ)


手縫いの跡


様々なスイッチ

2019年9月8日 撮影

ひょうげる


野菜で作られた刀


子どものお神輿



一本下駄


巫女さん


道具


遠くにおむすび山


写真コンテストが開催されるということで、カメラマンの数も多かったです


御祝詞


投げる


新池に続く細い路地をにぎやかな行列が抜けていきます。


神馬


神輿も駆け抜ける


新池


一時間ほど前からカメラマンが撮影場所に来られていました。


行列が新池に到着しました。

2013年撮影


神と和解せよ

ひょうげ祭り高松市

 指定区分:市指定無形民俗文化財
 指定年月日:昭和61年3月21日
 所在地:香川町浅野

 本来は、高松市香川町浅野の高塚山に鎮座する新池神社(池宮さん)の祭礼のことだが、一般的には、そのうちの神輿渡御行列のこととして定着している。
 この祭りは、土地の高低がはなはだしく水不足に悩まされていた浅野地区に水を引くため新池を作った矢延平六の徳を偲ぶとともに水の恵みに感謝し、豊作を祝う行事として始められた。
祭りは、浅野地区集落研修センターから新池までの約2kmをひょうげながらねり歩く神幸が見ものである。ひょうげるとは、おどけるとか滑稽という意味で、ひょうげ祭りという呼び名もここからつけられた。
 神輿の渡御に使われる神具はすべて農作物や家庭用品などを中心に整えられている。供侍となる人々は飼料袋の裃にしゅろ皮で作ったまげやくだものかごでに紙を貼って墨汁を塗ったものを着け、足には白足袋、わら草履を履く。そして腰には里芋の茎にかぼちゃの鍔をつけた太刀を格好よく差し、色鮮やかな顔作りをしている。
 ひょうげ祭り保存会の手によって、毎年9月の第2日曜日に実施されており、県内外から大勢の見物人が訪れている。

平六さんとひょうげまつり民話 〜日本に伝わるエコロジーのはなし

新池(しんいけ)を見おろす高塚山(たかつかやま)には新池神社(しんいけじんじゃ)があり、矢延平六(やのべへいろく)という人がまつられています。

 むかしむかし、このあたりの土地はあれ地が多く、水の便が悪くこまり果てていました。これを見かねて立ち上がったのが矢延平六でした。平六は、香東川(こうとうがわ)の流れを引いてくることを考え、夜、人々にちょうちんを持たせ、遠くはなれた所からながめて、土地の高さをそくていし、自然に水が流れる水路を考えました。そして多くの人が力を合わせ、ついに新池という大きなため池をきずきました。村の人たちの喜びは大きく、平六は村人たちに心からしたわれていました。

 ところがここに一大じけんが起こったのです。だれかが平六をねたんだのでしょうか、「平六が池をきずいたのは、高松城を水ぜめにするためである」などとはん主に告げ口をする者がありました。
 八月三日、平六ははだか馬に乗せられ、阿波(あわ)の国に追放されてしまいました。農民たちはなげき悲しみゆくえをさがしましたがわかりません。そこでそのごおんにむくいるため、平六を神様としてまつりました。
 きゅうれきの八月三日には、無事に実った農作物でおどけたすがたをつくり、ため池までの道をねり歩き、最後はみんなため池の中にざぶーんと飛びこむという「ひょうげまつり」をはじめました。

 「ひょうげまつり」というのは、ひょうきんなまつりという意味で、げんざいも続くこのおまつりは、香川県の無形文化ざいとなっています。

矢延平六|香川県

矢延平六(やのべへいろく) 1610年(慶長15年)~1685年(貞享2年)

松平頼重は、赴任早々400箇所を越えるため池の築造を命じ、これに矢延平六が深く関わったといわれている。平六は、一説では、初代藩主、頼重に従って常陸の国から来訪したといわれているが「松平家登士禄」に矢延平六郎という人物が記録されているほか、矢野部平六、兵六とも伝えられてて不明な部分が多い。しかし、文書や伝承などを総合すれば、高松藩に仕えていた下級武士であったことは確かなようである。平六は「新池」築造の恩人として池の宮に祭られ「ひょうげ祭」の主人公となっているほか、県中部の丸亀市飯山町でも貯水量が100万トンを超える「仁池」築造の恩人として、池のほとりに建立された飛渡神社に祭神として祭られている。平六は武士といいながら、現場の第一線で農民達と汗を流すタイプの技術者で、農民達に広く慕われていたことが伺える。

矢延平六が寛文年間(1661~73年)に築造したとされる「新池」は、高松市の海岸線から南方約12キロメートルの高松市香川町川内原にあり、貯水量120万トンと県下でも有数の規模を誇るため池である。新池の受益地である浅野地域は高台部にあることから水利の便が悪く、たびたび干ばつに見舞われていた。

平六は地域の庄屋衆や農民達と新池築造を協議したが、集水面積が少なく容易に満水できない問題を解決するため、受益地の西側を流れる香東川に水源を求め延々4kmの水路を開作して導水することとした。当時の技術からすると画期的な計画だったと思うが、香東川の上流を起点とし起伏の激しい土地を毎夜多くの農民達に松明を持たせてこれを遠望し、土地の方位や高低を測るなど大変な苦労を重ねたことが伝えられている。

新池が完成して豊かな稔りを迎えたとき、地元農民は、歓喜し平六を尊敬すること領主のごとくと伝えられえているが一方で、この巨大なため池はその位置から下流の高松城を水攻めにせんがためとの戯言が広まり、平六は裸馬に乗せられ隣の阿波国へ追放された。しかし、一説には新池の規模があまりに大きく、藩の経費を浪費した責任を取らされたともいわれている。平六を慕う農民は阿波国まで探しに行ったが結局見つからず、せめて彼の功績に報いようと新池を見下ろす高塚山に小詞を建て、「池の宮神社」とし、毎年旧暦8月3日に祭典を行っている。

彼が築造に関係したと考えられる池は、高松市香川町の新池、丸亀市飯山町の仁池、楠見池、牟礼町の王墓池をはじめとして名のある池だけでも100余に上ったというが、頼重公の時代に406の池が築かれ、そのうちの多くは平六が関係したとも言われることからその業績は偉大である。

晩年は、冨熊村(綾歌町)に住み、池普請に生涯をささげたようである。55歳にして独身の平六は、弟 平次を養子とし、そののち初めて結婚、太郎右衛門が生まれた。74歳の時、病に倒れ、2年後の貞享2年(1685年)死去した。

とんまつりJAPAN 日本全国とんまな祭りガイド (集英社文庫)


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3 Comments

  1. すばらしい!来年は行く、絶対行く!RT @yousakana 無形民俗文化財 ひょうげ祭り に行ってきました http://bit.ly/dvE1UR

  2. おつかれさま。いろいろ教えてください。RT @yousakana 無形民俗文化財 ひょうげ祭り に行ってきました http://bit.ly/dvE1UR @shoheioka @shimutan

  3. 物語を届けるしごと | yousakana blog – 無形民俗文化財 ひょうげ祭り に行ってきました http://t.co/ZSk3WQ1 興味深い祭りだな〜

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