今朝は夜中0時に起きて、早朝2時からはじまる「オトグイ」と呼ばれる神事を撮影してきました。記録・撮影等のお手伝いさせていただいている『讃岐好景』プロジェクト 玉井さんのご案内で、宇夫階(うぶしな)神社(香川県宇多津町)へ。
香川県には、宇夫階神社(宇多津町)と船越八幡神社(三豊市詫間町)の2ヶ所にだけ存在するオトグイ神事。
嚴島神社(広島県廿日市市)では、「御烏喰式(おとぐいしき)」として今も伝わる神事です。御烏喰式(おとぐいしき)は、神烏にお供えをする儀式で、心身の穢れを清め、清浄な状態を保つための重要な行事として行われてきました。宮島では、厳島大神が鎮座地を求めて島を巡った際、神鴉が先導したとされる伝説にちなんだ神事として、毎年3月初旬と9月初旬の七浦神社祭の際、5月15日(厳島講社員向け)に執り行われます。御烏喰式は、養父崎神社の沖合で行われる重要な儀式で、各神社を海上から、または上陸して詣で、祝詞を奏上したり、お供え物をしたりします。穢れを嫌うという神鴉が現れないと「鳥喰が上がらない」として、よくない兆しともされていました。
The Otogui ritual exists in only two places in Kagawa Prefecture: Ubugai Shrine (Utatsu-cho) and Funakoshi Hachiman Shrine (Takuma-cho, Mitoyo City).
At Itsukushima Shrine (Hatsukaichi City, Hiroshima Prefecture), the ritual is still practised today as Otogui Shiki. The Otoguishiki is a ceremony in which offerings are made to the divine crow, and has been an important event for purifying the body and soul and maintaining a state of purity.
2024/10/10撮影
午前1時30分、香川県宇多津(うたづ)町、宇夫階(うぶしな)神社
宇夫階神社縁起
本殿裏にある古代の祭祀跡と伝わる巨石・磐境(いわさか)。
Iwasaka, a megalithic rock behind the main shrine that is believed to be the site of an ancient ritual.
右下に猫
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オトグイ棚。香川県三豊市詫間町香田。神霊を依り憑かせ、神祭をする棚。香川県三豊市詫間町大浜にある船越八幡神社の秋祭り。トウヤ組ではオトグイ棚がつくられ、神が降り立つ目印になる高い神木が立てられ、神迎えが行われます。オトグイ棚にはオトグイと呼ばれる神饌(握り飯)がお供えられ、それを白い鳥が食べると良い年になると言われています。
詫間町大浜にある船越八幡神社の祭礼にあたり、当神社が香田地区にあったことに由来して、香田地区の明神社にオハケとオトグイ棚が設けられ、オトグイ神事が行われる。また香田地区の人たちが船越八幡神社の神饌を用意し供えます。三豊市無形民俗文化財。
『香川県の祭り・行事 〜香川県祭り・行事調査報告書〜』(2008年3月 香川県教育委員会)より
10月10日、初白祭(はつもうしさい)を行います。午前2時、本殿裏にある巨石前でオトグイ神事を行います。午後4時、行列の役割を籤(クジ)で決めます。午後7時、同じく籤で太鼓台のお下がりの順番を決めます。
古くからの伝によると、宇夫階神社は古くは津之郷に御鎮座になり、宇夫志奈大神と稱え奉って居たとされます。末包家記によると806年(大同元)10月申酉の日に津之郷の長者末包和直に託宣があり「汝わが祭祀(さいし)を司りて国の守護神と仰ぐべし」と、即ち和直は神主となり祭祀を行いました。翌807年8月、現地に社殿を造営したとあります。(宮本編1959)
宇夫階神社の秋祭りを申酉祭というのも以上の由緒によります。かつては旧暦10月申酉の日に行い、県下で一番遅い祭り(12月になることもあった)でした。その後、明治に入って、祭日を10月21〜22日としました。現在は10月第4金〜日曜日に鹽竈神社と合わせて三日間の祭りを行っています。金・土曜日が鹽竈神社、土・日曜日が宇夫階神社の祭りです。なお、1975年までは、宇夫階神社、塩竈神社の順で祭りを行っていました。
香川県内の大社で、オトグイ神事が行われるのは、船越八幡神社(三豊市詫間町)と宇夫階神社(宇多津町)だけです。宇夫階神社のオトグイ神事は、トウヤによるものではなく、宮司家によって行われています。
香田(三豊市詫間町)でのオトグイ神事は、今もトウニンの潮垢離など厳しい潔斎を伴い、決まりごとに従いオトグイ棚をつくるなど、オトグイの旧習をよく伝えています。On 10 October, the Hatsumoshisai (First White Festival) is held. At 2am, the otogui ritual is held in front of the giant stone behind the main shrine. At 4pm, the roles of the procession are decided by lot. At 7pm, the order of the drummers is also decided by lot.
According to an old tradition, Ubushikai Shrine was located in Tsunogo in ancient times and was called Ubushina Daijin (Great God). According to the Suehane Family Records, on the day of the rooster in October 806 (Daidōgen), the chief priest of Tsunogo, Suehane Kazunao, received a decree: ‘You shall preside over my rites and be revered as the guardian deity of the country’. In August 807, the following year, he built a shrine at the site. (Miyamoto ed. 1959)
The reason why the autumn festival of the Ubushikai Shrine is called the Shinyu Festival is due to the above history. It used to be held on the day of the rooster in the tenth month of the lunar calendar, and was the lateest festival in the prefecture (sometimes it was held in December). Later, in the Meiji era (1868-1912), the festival was held on 21-22 October. Today, the festival is held on the fourth Friday to Sunday of October for three days in conjunction with the Shiogama Shrine. Friday and Saturday are festivals at the Shiogama Shrine, while Saturday and Sunday are festivals at the Ubukai Shrine. Until 1975, the festivals were held at Ubukai Shrine and Shiogama Shrine in that order.
Funakoshi Hachiman Shrine (Takuma-cho, Mitoyo City) and Ubukai Shrine (Utatsu-cho) are the only major shrines in Kagawa Prefecture where the Otogui ritual is performed. The otogui ritual at Ubukai Shrine is not performed by a toya, but by a family of priests.
The Otogui ritual at Koda (Takuma-machi, Mitoyo City) still follows the old custom of Otogui, with the strict purification of the body, such as the tio-roku-roku-roku-roku-roku, and the building of an Otogui shelf in accordance with the rules.
宇夫階神社(うぶしなじんじゃ) 小鳥さん(こがらすさん)
【祭神】大己貴命(大国主神)(おおなむちのみこと / おおくにぬしのみこ )
【創建】平安時代
【由来】
出雲大社に祀られている「いなばの白兎」で名高い大国主神をその本名である大己貴命としてお祀りしています。 神社の創建は古く、紀元前より鵜多郡津之郷に鎮座し、宇夫志奈大神と称 やまとたけるのみこと え祀られていました。日本武尊の御子武穀王が阿野郡(現 綾歌郡)の国造 となり、内海を舟で巡視のおり暴風雨に遭い、驚いた王が夫志奈大神に御 祈念なさると、忽ち小鳥が飛び来て風波をしのぎつつ泊島(本島)に導き、難を逃れられた、との故事により小大神とも称えられています。 本殿 平城天皇の大同元年(807年)朝廷の勅命により社殿を造営し、今の場所に遷座しました。平成19年は、現在地に移って1200年目にあたります。 また平安時代の正史「三代実録」に記載された古社で、古くは宇多津はもとより土器・川津・飯野・坂元と相当広範囲に亘る産土神であったと伝えられ、明治27年には県社に昇格した県内有数の神社です。
【見どころ】
社殿は、1973年(昭和48年)火災により焼失し再建されましたが、特に本殿は、伊勢 神宮の外宮第一別宮である多賀宮御正殿を1976年(昭和51年)に拝戴し、復元造営したもので、国の登録有形文化財に登録されています。
社殿後ろの巨石磐境(いわさか)は、神社創建以前の古代祭祀の遺構といわれ町指定の天然記念物になっています。 末社の金刀比羅神社に懸かる絵馬額の「網の浦眺望青野山真景図」は、1855年(安政2年)に描かれた町並みですが、江戸時代から今も変わらぬ宇多津の街の姿に歴史的重みを知る貴重な資料です。
香川県内においても歴史ある宇多津町の夫階神社は、年の始めの歳目祭・年の終わりの除夜祭に至るまで、一年を通して、様々な祭が行われています。特に、10月に行われる秋の例大祭には町内外より多くの人が訪れ賑わいます。
伝承では、当神社は紀元前から鵜多郡津之郷に鎮座し、宇夫志奈大神として祀られています。景行天皇の皇子日本武尊の子、武殻王(たけかいこおう)が阿野郡に封じられた際に、瀬戸内海海岸を船で御巡視しましたが、暴風雨に遭遇し、王は驚いて宇夫志奈神に祈念すると、小烏が跳び風波を凌ぐ道しるべとなり王を導きました。王は大変喜び、水夫に命じて烏に従い、泊島(丸亀市塩飽本島泊)に漂着し難を逃れました。これより宇夫志奈大神を一層篤く崇められ、小烏大神と称されるようになったとされます。現在でも「小烏(こがらす)さん」との別称が地域で受け継がれています。
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