毎年7月の第3土・日曜に、高知県香南市赤岡町の本町・横町商店街で、「土佐赤岡絵金祭り」というユニークなお祭りが開催されます。「絵金」というのは、江戸時代の文化・文政期の高知に生まれ、狩野派を学んだ異端画家の名前です。絵金が残した多くの芝居絵屏風を、ろうそく灯りのもと赤岡の商店街の軒下に並べるというお祭りです。
The mysterious and often gruesome paintings of Ekin are on display at this small museum. Ekin was born in 1812 in Kochi City, and grew up to be one of our most famous and distinctive artists. His many paintings were commissioned as backdrops to kabuki plays – the content of which was sometimes bloody. Battles, demons and gods are the subject of his mysteriously beautiful works. It is said his paintings are best viewed in low light, which explains the dank atmosphere of this museum.
Once a year, on the 3rd weekend of July, a festival is held in Akaoka Town, Konan City to commemorate Ekin’s works. His folding screens are displayed along the evening streets of Akaoka. Each is lit by a single candle, whose flickering light only intensifies the drama of his works.
土佐赤岡絵金祭り
日程:毎年7月第3土・日曜日
時間:18:00~21:00
屏風展示:19:00~21:00 / 屏風点数:23 点
場所:高知県香南市赤岡町本町・横町商店街 [Google Maps]
Tosa Akaoka Ekane Festival
Date : 3rd Saturday and Sunday of every July
Time : 18:00-21:00
Folding screen exhibition : 19:00-21:00 / Number of screens : 23
Venue : Honmachi and Yokomachi shopping streets, Akaoka-cho, Konan City, Kochi Prefecture [Google Maps]
2023/07/15撮影
義経千本桜。道行初音(みちゆきはつね)の旅
播州皿屋敷。鉄山下屋敷。競(はでくらべ)伊勢物語。歌舞伎狂言、時代物、7幕。通称『伊勢物語』。奈河(ながわ)亀輔作。1775年(安永4)4月大坂嵐松治郎座(中の芝居)初演。
義経千本桜。鮓屋(すしや)
時計店
小学生が屏風の解説をしていて大人気でした。
伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)。歌舞伎脚本。時代物。初世桜田治助、笠縫専助合作。1778年(安永7年)江戸中村座初演。
各屏風の前に地域の子どもやガイドの方がたっていて屏風絵のストーリーなどを丁寧に解説してくれます。
みなさん真剣に耳を傾けていました。
蝶花形名歌島台(ちょうはながためいかのしまだい)。山内氏入国前の土佐の太守であった長宗我部氏の家督相続と、豊臣、徳川両家に関わる内紛事件を脚色した作品。作者は若竹笛躬・中村魚眼、寛政5年(1793)7月、大阪・豊竹座にて人形浄瑠璃として初演されました。 長宗我部元親がモデルとなった小坂部音近には二人の娘がおり、姉葉末は真柴久吉の家臣、加藤正清に、妹は大内義広の家臣、出雲宗貞に嫁いでいます。父の長寿の祝いの席にやってきた二人は、音近を互いに敵対する自分の夫の味方につけようと言い争い、喧嘩をはじめます。争いが収まらないのを見て取った音近は姉の子、笹市と妹の子松太郎の二人の孫に真剣勝負をさせ勝った方の味方につくと言います。勝負の結果、笹市が勝ち、松太郎は斬り殺されることに…。苦しい胸の内を隠し、鼓を打ち謡をうたいながら二人を見守っていた音近は、この後短刀を腹に突き立て、実は姉葉末は兄元胤の忘れ形見、恩義ある兄の子笹市に勝たせるため、笹市には名刀を、実の孫松太郎には細工をした鈍刀を与え、戦わせたのだと告白したのでした。 赤岡町内にはこの小坂部館の場面を描いた作品が2つ伝えられており、隣町香我美町の吉川家にも小坂部音近とその娘を描いた白描画が残されています。この他、高知県下には香南市香我美町、高知市の朝倉神社などにも同じ場面を描いた作品があり、土佐と関わりの深いこの作品が各地で大いに人気を博していたことをうかがわせます。 「邪魔仕やんなと振りほどく、風に屏風の柳腰、帯取って引き戻す、腕もかよわき糸薄、乱す黒髪両方が、掴み合うたる姉妹喧嘩」「心覚えの此の二腰、是を以て立合へと、渡せば取ってめいめいが…股立りりしく身拵へ、戸の透間より差覗く、母と母とは在られぬ思ひ」(『浄瑠璃名作集』有明文庫)といった原作の描写を見事にビジュアル化した臨場感あふれる芝居絵の数々をご紹介いたします。(絵金蔵PDFより)
芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)。葛の葉子別れ。江戸時代中期初演の浄瑠璃作品。作者は初代竹田出雲。安倍晴明伝説を題材に、親子の情愛をテーマとした作品。安倍晴明の出生譚である安倍保名と葛の葉の物語と、忠孝の士である芦屋道満が父殺しの悲劇を経て法師陰陽師となる経緯が並行して語られる。テーマに即して言えば、葛の葉の物語が母子、道満の物語が父子の情愛を描く、対称的な構造となっている。
浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)。4世鶴屋南北作の9幕の時代世話物歌舞伎。
伊野忠敬。緯度観測記念碑。北緯33度33分。1808年(文化5年)幕府天文方一行の測量により、北緯33度33分の位置に杭が打たれたが、後年帝国陸軍の測量で再確認され、御影石に改められた。戦後の道路舗装工事の際、小松邸角にあった石は、放棄された。ちなみに高知市江の口川下流域に、33度33分33秒の標識が川面に浮かんでいる。
初代村長、小松与右衛門邸。小松与右衛門は、1844年(弘化元年)に生まれ、少年期に寺尾酒造へ丁稚(でっち)に入り、琴月堂へ通い学問を身につけ、長じて寺尾から暖簾分けされて独立。酒造りに専念した。1890年(明治23年)初代村長となり、私財を投じて香宗川(こうそがわ)の治水工事で新田を開発、また赤岡小学校を正福寺跡へ建設した。1911年(明治44年)67歳没。
鎌倉三代記、三浦別れ。戦国の世は、結婚を誓った相手が敵になることも珍しくなかった。夫に従えば、実の父を裏切ることになる。父にそむき、恋しい人の母を看病する時姫のもとに、瀕死の恋人三浦之助が戦場から戻ってきた。恋人は父を殺せという。虚々実々、地獄の戦場に生きる男と女のすさまじい駆け引きと切ない恋を描く。
源平布引瀧(げんぺい ぬのびきのたき)松波検校琵琶(まつなみけんぎょうびわ)。舞台は鳥羽の離宮。
院に仕える官女若葉の局たちが清盛の指図で幽閉状態におかれている院の噂をしているところへ、離宮の脇門を警護している役人が松波検校の到着を告げにくる。まもなく松波検校になりすました行綱が盲人を装って広縁から入ってくる。取り次ぎを待つ間に、官女の紅葉は立ち寄って「寒いので火鉢にあたったら」と言いながら、火鉢を脇へそらす。検校は「さっきまでここにあった火鉢を脇へずらすとは意地悪な」と言えば、紅葉は驚き、今度は近くにあった紅葉の一枝を検校の鼻先に近づける。すると今度は「見る人も なくて散りぬる奥山の もみじは夜の 錦なりけり」と古歌を口ずさんで、もみじの枝を言い当てる。紅葉は驚いて、この奇妙な検校のことを院へお聞かせしようと立ち上がり、検校は自分も一緒にと頼むが、そのまま奥へ行ってしまう。
カトリック教会。浦上キリシタン殉教を記念して昭和7年に完成。聖ヨゼフ教会と呼ばれる。現在の建物は、昭和末期の改築によるもの。
花上野誉石碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)。浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。十段。司馬芝叟(しそう)・筒井半二ら合作。1788年(天明8年)8月、江戸・肥前座初演。1641年(寛永18年)にあった丸亀の田宮坊太郎(小太郎)の敵討(かたきうち)を金毘羅権現(こんぴらごんげん)の霊験に絡ませて脚色した作で、四段目「志度寺(しどうじ)」の段が有名。
絵金蔵
弁天座
金魚すくい
祭りの屋台
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「土佐赤岡絵金祭り」を見に行こうと、高松から車で2時間。高知県の赤岡町という町にきてみました。海岸沿いにある無料駐車場に車を止め、歩くこと10分。何やら賑やかなお祭りの空気が漂ってきます。
ここは高知県の赤岡の商店街。皆さん、お店の前に置かれた何かに夢中です。
皆さんが見入っているのはこれ。絵金(えきん)と呼ばれた江戸時代の絵師が残した芝居絵。血しぶきが飛び、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈する、おどろおどろしい世界。なんともグロテスクです。
商店街のお店の前にロウソク灯りに照らされて芝居絵が並べられています。
「絵金」という名前で親しまれる弘瀬金蔵 (ひろせ きんぞう)は、江戸時代末期から明治にかけての浮世絵師。今年は、絵金生誕200年の記念すべき年です。
こちらは、歌舞伎狂言の「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」。絵金は、画才を認められて土佐藩から江戸に行き、狩野派を学び、藩のお抱え絵師になったものの、贋作者の疑いをかけられ汚名を着せられた後、再び土佐の町絵師として転落の人生を辿ったのだとか。
これは「花上野誉石碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」という人形浄瑠璃のお話。1788年初演。土佐の町絵師として戻ってきた絵金は、狩野派仕込みの確かな技術と才能を使って描かれたこの異彩を放つおどろおどろしい芝居絵を描き、土佐の人々に熱狂的に受け入れられました。その後、絵金は勢力的に活動し、屏風絵・襖絵・絵馬提灯など、数多くの作品を残しています。
お店にいた地元の女の子が、屏風絵のもとになっているお芝居のストーリーを丁寧に説明してくれました。とてもわかりやすい解説。
このお祭りの面白いところは、おどろおどろしく、闇のなかで異彩を放つこの芝居絵が、普通の商店街の風景に溶け込んでいる様子です。
現代の作家さんの作品も一緒に展示されていて来場者の投票を行なっています。
この町に伝わる絵金の芝居絵屏風を「守り・伝え・繋げる」ためにつくられた絵金蔵。
普段は、この絵金蔵で芝居絵屏風をみることができます。入館料は大人500円。
絵金蔵の向かいにある「弁天座」。1900年(明治33年)頃にあった芝居小屋を復活させたものだそうです。
まるで、絵金の生きた時代に間違って迷い込んでしまったかのよう。
普通の町の金物屋さんが、ギャラリーになっているこの雰囲気が素敵です。
土佐赤岡絵金祭り
日程:毎年7月第3土・日曜日
時間:18:00~21:00
屏風展示:19:00~21:00 / 屏風点数:23 点
場所:高知県香南市赤岡町本町・横町商店街 [Google Maps]
Tosa Akaoka Ekane Festival
Date : 3rd Saturday and Sunday of every July
Time : 18:00-21:00
Folding screen exhibition : 19:00-21:00 / Number of screens : 23
Venue : Honmachi and Yokomachi shopping streets, Akaoka-cho, Konan City, Kochi Prefecture [Google Maps]
Ekin Museum and Festival – Kochi pref.
The mysterious and often gruesome paintings of Ekin are on display at this small museum. Ekin was born in 1812 in Kochi City, and grew up to be one of our most famous and distinctive artists. His many paintings were commissioned as backdrops to kabuki plays – the content of which was sometimes bloody. Battles, demons and gods are the subject of his mysteriously beautiful works. It is said his paintings are best viewed in low light, which explains the dank atmosphere of this museum.
Once a year, on the 3rd weekend of July, a festival is held in Akaoka Town, Konan City to commemorate Ekin’s works. His folding screens are displayed along the evening streets of Akaoka. Each is lit by a single candle, whose flickering light only intensifies the drama of his works.
Ekin festival | attractive Akaoka and Ekingura event
In 1977, Akaoka – Yoshikawa district society of commerce decided to develop the town. This was how the Ekin festival was started. The Ekin festival is an imitation of Akaoka town’s SURUDA HACHIMANGU’s festival.
On the day, there are a lot of street stalls and Ekin’s pictures are displayed along the street front of the shopping district. Also many events are held creating a lively atmosphere. Now, an Ekin festival steering committee runs this festival. The committee members are part of the chamber of commerce, street shops and the individual owners of each folding screen picture. The Ekin festival are supported by local street shops, companies and groups.
In 2009, each folding screen picture which is displayed on the day of the festival, was assigned a tangible cultural asset of Kochi prefecture.
赤岡町には、土佐芝居絵屏風が二十三点残されています。
屏風絵は現在、赤岡町須留田八幡宮の宵宮と絵金祭りの宵にだけ蔵の中から目覚め、商店街の軒先にその姿を表します。
この屏風絵は元々、まちの旦那衆が須留田八幡宮の大祭に奉納するために絵金らに描かせたもので、宵宮にあたる七月十四日に商家の軒先に広げられるようになったのは江戸時代末期からのことです。また、七月第三週の土曜と日曜に開催される絵金祭りは、商店街の発展を願って昭和五十二年から始まりました。
弘瀬 金蔵(ひろせ きんぞう、文化9年10月1日(1812年11月4日) – 明治9年(1876年)3月8日)は、江戸時代末期から明治にかけての浮世絵師。
本名は生前10回以上にわたり改名しているが一般には弘瀬金蔵の名で知られており、高知県下を中心に絵金(えきん)の愛称で親しまれている。
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