屋嶋城(やしまのき)は、いまから1350年以上前、西暦667年に屋島(香川県高松市)に築かれた朝鮮式の古代山城です。白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)で唐(とう)・新羅(しらぎ)連合軍に負けた大和朝廷は、防衛のために九州北部から瀬戸内海にかけて防衛施設として城を築きました。屋嶋城はそのひとつで、日本書紀によると667年(天智天皇6年)年11月の条には「倭國に高安城、讃吉國山田郡に屋嶋城、対馬國に金田城を築く」という記述があります。
全長約7kmの城壁のうち約9割が屋島のメサ地形を最大限に活用した古代山城。日本書紀に記載があるものの長らくその実体はよく分かっておりませんでした。1998年(平成10年)、屋島の麓に住む平岡岩夫さんが山林に埋もれた石積みの一部を発見し、その後の発掘調査により屋嶋城が実在したことが証明されました。
Yashima Castle is an ancient Korean-style mountain castle built on Yashima Island (Takamatsu City, Kagawa Prefecture) in 667 AD, over 1350 years ago. After being defeated by the combined forces of Tang and Silla at the Battle of Hakusukinoe (663), the Yamato Court built castles from northern Kyushu to the Seto Inland Sea as defensive structures. Yashima Castle was one of them.
About 90% of the 7km-long wall is an ancient mountain castle that makes use of the natural terrain of Yashima. In 1998, Mr. Iwao Hiraoka, who lives at the foot of Yashima, discovered a pile of stones buried in the mountain forest, and subsequent excavations proved that Yashima Castle actually existed.
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屋嶋城跡
住所:香川県高松市屋島東町 屋島山上 [Google Map]
指定:国の史跡、天然記念物 1934年(昭和9年)11月10日
Ancient Mountain Castle “Yashima no Ki (Yashima Castle)”
Address : Yashima Higashi-machi, Takamatsu City, Kagawa Pref., Japan [Google Map]
Designation: National Historic Site, Natural Monument 10 November 1934
2022年2月撮影
歩きやすく階段や手すりが整備されています。日本書紀にその名が記されていたにも関わらず、長らくその実態が不明で、幻の城でした。1998年1月、屋嶋城を探索していた平岡岩夫さんがこの場所で正面の石積みを発見されました。この発見を契機に、高松市教育委員会による発掘調査が開始され、2002年、城門遺構の発見によってついに屋嶋城が実在したことが証明されたものです。発掘調査によって、高さ6mにも及ぶ巨大な城壁も築かれていたことがわかりました。
迫力の石積み。城門は、2.5mの段差を設けて敵の侵入を阻む構造となっています。当時は、梯子(はしご)などで出入りをして、有事の際には梯子をはずしていたと考えられます。城門の石積み真ん中ほどに空いた水口の穴からは雨が降ると水が流れます。
石積みの石材は安山岩で、淡い茶色の石が石積みに利用されていたもので、黒もしくは灰色の石が新たに加工して補ったものです。
屋嶋城の実在を確定させたのは城門の発見でした。正面に見える城門の外側には2.5mの段差、懸門(けんもん)があり、敵が容易に侵入できなくなっています。
さらに、城門の扉から城内へと入ってくると手前の岩盤に行く手を阻まれ、向かって右側へと向かうしかありません。これは城内への侵入を妨げるのに加えて、この周辺で警備する兵士が的に横の死角から攻撃するのに適した構造、甕城(おうじょう)になっています。
このような防御に優れた構造は当時の朝鮮半島にあった城づくりの技術を用いたもので、百済(くだら)の人たちが城づくりに関わったことを伝えてくれるものです。
城門の石積み真ん中ほどに空いた水口(みなくち)の穴からは雨が降ると水が流れます。崩落していたため、当時の姿を想定し、何度もやり直し最も復元が困難だった場所です。
城門の構造を示す遺構は多くが流出しており、具体的な門の扉の位置や構造を示す遺構は多くが流出しており、具体的な門の扉の位置や構造を明らかにすることはできませんでした。
そのため、発掘調査で確認できた柱穴や想定される城壁の高さ、城門の幅、床面の構造をもとに、大野城跡(福岡県太宰府市・大野城市・宇美町)、金田城跡(長崎県対馬市)や鬼ノ城(岡山県総社市)等の他の古代山城との比較から、往時の姿を想像しました。
石積みは1,350年という長い年月によって、大部分が崩落し、かろうじて残っていた箇所も非常に危険な状態でした。そのため、城門と城壁の保存のため修復に着手しました。
まず、石工さんが丁寧に石積みを一石ずつとりはずしていきました。その後、石積み方法を研究するため、実験的に城壁の一部を復元し、当時の城壁の形や施工技術の検討を重ねました。そして、古代の石積み修復にとりかかりましたが、試行錯誤の日々で、特に城門の角の石は慎重に据えていきました。
2018年5月撮影
屋嶋城の実在を証明した場所です。国内の古代山城としては最大級の城門と高い石積みの城壁が残っていました。
屋嶋城跡の調査研究は、1919年(大正8年)の東京帝国大学(現東京大学)の関野貞氏による、「浦生の石塁 」をとりあげた論文発 表に始まります。その後、1985年(昭和60年)に村田修三氏(当時奈良女子大学)によって、南嶺北側の山上斜面部にある幅2mほどの平坦面が屋嶋城の土塁ではないかと指摘されました。いずれも年代を具体的に特定することができず、屋嶋城が本当に実在したのかということすら疑問がもたれるようになり、やがて『幻の城』とさえ呼ばれるようになってしまいます。そのような中、屋嶋城の存在をなんとか解明しようと屋島を探索されていた平岡岩夫氏が、現在城門地区と呼んでいる場所で1998年(平成10年)に山林に埋もれた石積みの一部を発見しました。この発見を契機に高松市教育委員会が発掘調査を開始し、2002年(平成14年)に城門を発見し、ついに屋嶋城が実在したことが証明されたのです。(古代山城屋嶋城パンフレット 高松市 – PDF)
城門地区は南嶺南西斜面に位置し、城門とその周辺に大規模な石積みによる城壁が築かれていた場所です。城門は国内の古代山城の中でも最大級の規模で、朝鮮半島の城づくりの技術を裏付ける「懸門(けんもん)」や「甕城(おうじょう)」などの戦闘時に有効な防御に優れた構造が遺構として残っており、屋嶋城の築城に百済の人たちが関っていたことを伝えてくれる重要な場所です。
黒猫
青い目の白猫
屋島ロープウェイ跡
廃車ヘルメット
2019年6月撮影
海から見た屋島
小豆島池田港行きフェリー
2019年5月
屋島北嶺から男木島を望む
由良山から屋島を望む。卓状(テーブル)台地。
屋嶋城跡
住所:香川県高松市屋島東町 屋島山上 [Google Map]
指定:国の史跡、天然記念物 1934年(昭和9年)11月10日
Ancient Mountain Castle “Yashima no Ki (Yashima Castle)”
Address : Yashima Higashi-machi, Takamatsu City, Kagawa Pref., Japan [Google Map]
Designation: National Historic Site, Natural Monument 10 November 1934
Yashima Castle – Ancient Mountain Castle Yashima no Ki
Yashima Castle was once one of the Korean-style mountain castles built by the Yamato dynasty in 667 in the area stretching from Tsushima and Kyushu to the coast of the Seto Inland Sea, to prepare for an invasion by the Chinese Tang and Korean Silla Kingdoms. It was an ancient mountain castle built on a mesa to take full advantage of the natural terrain. The castle walls span approx. 7-kilometers, with about 10% of the wall believed to have been built artificially. Since 2007, the city government of Takamatsu has been working to preserve and maintain the ruins of Yashima Castle’s gate. With major preservation work now completed, the Yashima Castle gate ruins were opened to the public on March 19, 2016.
城門地区の城壁は、すべての面を石積みで築いています。城壁は高さ約6mで、推定高さが7mに及ぶ箇所もあります。地形に沿って城壁が築かれているため、城壁はくねくねと蛇行しているような点も特徴です。城壁の石積みには、山上で確保できる安山岩が用いられました。数百kgの石材を運び、高さ6mにも及ぶ石積みを築き上げたのです。
1350年のときを経て、その正体の一端が見え始めた屋嶋城。実在したことは明らかとなりましたが、その正体はまだまだ謎のベールに包まれています。城門は一つなのか?建物はあったのか?兵士はどこにいたのか?いつ廃城になったのか…。多くの疑問が投げかけられています。この謎に満ちた屋嶋城の調査はまだ始まったばかりなのです。この屋島という広大な島に眠る古代山城からまだまだ目が離せません。
城門は、地形を見ると水が集まりやすい場所に築かれており、その多くが約1350年という年月によって流失していました。そのため扉を設置した場所など門に関わる遺構は柱穴4つしか確認できず、詳細はよく分かりません。柱穴の調査から、柱は角材で一辺が30~40cmほどだったと考えられます。また、門の床面は石敷きで階段状につくられ、床下には排水溝も設けられていたことがわかりました。
唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされた百済を再興するため日本は救援軍を朝鮮半島へ派遣しましたが、西暦663年8月、白村江の戦いで両国連合軍に大敗しました。これを契機として、唐・新羅の侵攻に備えて対馬から太宰府周辺・瀬戸内海沿岸に作られた朝鮮式山城の一つが屋嶋城です。日本書紀の天智天皇6(西暦667)年11月の条に
「倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築(つ)く」 (※倭國→現在の奈良県、對馬國→現在の長崎県対馬市)
との記載がありますが、長らくその実体はよく分かりませんでした。平成10年2月に南嶺山上部近くの西南斜面において石積みが発見されたことを契機にして、南嶺北斜面・南斜面で確認されていた土塁と関連することが分かり、東斜面でも同様の地形が確認されたことから、山上部付近の斜面に断続的ながら古代山城屋嶋城の外郭線(防御ライン)が巡っていることが判明しました。約14年におよぶ発掘調査によってその全体像が少しずつ分かりかけています。これまでの成果や現在進めている城門遺構保存整備事業の進捗状況について紹介いたします。
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