平安時代、888年(仁和4年)に讃岐国で干ばつが襲いました。いまでいう県知事にあたる讃岐国の国司、菅原道真が、城山にて7日間命がけの断食を行い雨乞いをしました。その結果、雨が振り、その時喜んだ農民の踊りが、この『滝宮の念仏踊(たきのみやのねんぶつおどり)』です。香川県には念仏踊がいくつか残されており、国の重要無形民俗文化財に指定され、2022年に「風流踊」の一つとして、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
In the Heian period, a drought struck Sanuki province in 888 (Ninna 4). Sugawara Michizane, the governor of Sanuki Province, who is now the governor of the prefecture, prayed for rain by fasting for seven days at Shiroyama. As a result, it rained, and it is said that the origin of the Takinomiya no Nenbutsu Odori (Dance of the Nembutsu of Takinomiya) is the dance of the farmers who were so happy at that time. There are several Nenbutsu Odori dances remaining in Kagawa Prefecture, and they have been designated as Important Intangible Folk Cultural Assets of Japan, and in 2022 they were registered as a UNESCO Intangible Cultural Heritage as one of the ‘Furyu Odori’.
滝宮の念仏踊
日程:毎年8月第4日曜日 奉納
指定:国の重要無形民俗文化財、ユネスコの無形文化遺産
場所:
滝宮神社 [Google Map]
滝宮天満宮 [Google Map]
(香川県綾歌郡綾川町滝宮1314)
Nenbutsu Odori (Dance of the Nembutsu) of Takinomiya
Date : 4th Sunday of every August Dedication
Designation : National Important Intangible Folk Cultural Property, UNESCO Intangible Cultural Heritage
Place :
- Takinomiya Shrine
- Takinomiya Tenmangu Shrine
(1314, Takinomiya, Ayagawa-cho, Ayaka-gun, Kagawa Prefecture)
2021/08/26撮影
瀬戸内海歴史民俗資料館。
下知(げんじ)が雨乞い踊りに用いいた大団扇。渇水時に臨時に踊られる雨乞い奉納の際、下知(げんじ)が持つ大団扇。普段は、「太陽」と「月」のマークが表裏にあしらわれますが、雨乞いの際には「雨」と「水」の文字になります。踊り手の笠の縁の垂(しで)も、普段は金銀赤青の色紙が貼られていますが、雨乞いの際には水色になります。
雨乞いの祠。香川県まんのう町(瀬戸内海歴史民俗資料館)
Prayer for Rain Shrine
2023/08/27撮影
銅像。滝宮の念仏踊りは、滝宮天満宮の祭神、菅原道真に由来します。菅原道真公が讃岐守として在任された888年(仁和4年)に干ばつが起こりました。菅原道真公は、城山神社にて7日間断食し、雨乞いをしました。その後、雨が振ふり農民は喜び、牛頭(ごず)天皇社(滝宮神社)前で踊ったのがこの祭りのはじまり。
綾上・綾南地区内で北村組外11組あって、毎年旧暦7月25日に滝宮神社と滝宮天満宮で奉納されてきました。1963年(昭和38年)からは新暦8月25日に奉納することに変更、2023年から8月25日に近い日曜日にあたる8月27日(日)に開催されることになりました。江戸時代には、阿野(あの)郡・鵜足(うた)郡・那珂(なか)郡の踊り組が編成され、行列で入庭し、奉納していました。高松初代藩主・松平頼重は、踊場に建てる御札を渡し、毎年米70石を寄進されていました。
滝宮神社
棒突(ぼうつき)。長い竿竹のようなものを持っています。菩薩を象徴する子躍りを中心に、威儀正しく警固(けいご)に守られ、行列入場。「入庭(いりは)」
毛槍(けやり)。毛のふさふさがついた棒を持っています。長柄の槍の穂に、毛鞘をつけたもので、ヤクの毛の色によって白熊、赤熊、水鳥の羽の場合は白鳥毛、黒鳥毛などと呼びます。
八
派手な華傘
ほら貝・鉦の音につれて行列入場。
「南無阿弥陀佛」と書かれた団扇
梅の家紋。天満宮の梅と言えば有名ですが、天神さまには菅原道真公が祭られており、その道真が好んだ花が「梅」だったことから天満宮の神紋として用いられたとも言われています。
鉦の音が美しい。錦の袴をつけ、花笠をかぶった2人の中鉦は、鉦を鳴らしながら、下知・太鼓打ちとともに踊ります。
月のマークが描かれた団扇
月
薙刀(なぎなた)の悪魔払い
神社
奴振り(やっこふり)は、武家の供揃えに由来する民俗芸能の一種で、挟箱(はさみばこ)、立傘(たてがさ)、台笠(だいがさ)、毛槍(けやり)などを所持する奴(やっこ)がおこなう独特の所作をさします。
挟箱(はさみばこ)。家紋のついた黒い箱。衣類をいれるための箱で、一本の棹がついて片方の肩に乗せて運びます。武家が公用で外出する際、供の者にかつがせる物品箱。
踊り。日月をかいたうちわをひらめかし、まわりに並ぶ警固の「ナミアミドーヤ」と節をつけて唱える歌詞に合わせて踊ります。
太鼓。太鼓打ちは、6歳~12歳の子どもが袴をはき、たすきをかけ、花笠をかぶって太鼓を打ちます。
梅の花。
花笠をかぶり、錦の袴・梅鉢の定紋入りの陣羽織を着た下知(げじ)
太陽の絵が描かれた団扇。日月をかいたうちわをひらめかし、まわりに並ぶ警固の「ナミアミドーヤ」と節をつけて唱える歌詞に合わせて踊ります。
滝宮神社
踊り組。今年は5年に一度11組が出揃う総踊りの年。綾上・綾南地区内で北村組外11組。
川
滝宮の道の駅でお昼ごはん。昆布といりこのつくだに
ヤドンのお揚げ
冷やしかけそば。汗をかいた身体に冷たいお出汁が染みます。最高に美味しい!
滝宮八幡宮
ひと踊り終われば下知の号令で一同拝礼して次の組と交替します。全部の組が踊り(常例9庭・雨乞33庭)終われば、総員貝・笛・鉦を打ち鳴らし、社殿を3回廻り社拝して終わります。これを「宮めぐり」とも「揚庭(あげは)」とも言います。(滝宮の念仏踊り | 郷土芸能・民俗芸能 | 日本伝統文化振興機構(JTCO))
Takinomiyanonembutsuodori Cultural Heritage Online
This art form is a type of Nenbutsu Odori (prayer dance) and is usually performed in front of the Takinomiya Shrine and Takinomiya Tenmangu Shrine, but in years of drought, it is sometimes performed temporarily as a prayer for rain.
According to tradition, when Sugawara no Michizane was governor of the area, his wish for rain was fulfilled and a heavy rain fell, and the dance began as a joyous dance performed by the happy residents.
The performance is performed by the roles of the caretaker, the gemochi role, the child dancer, the outer gong, the flute, the drums, the tabora, the conch shell and the ganjo-yaku (the role of the fulfilment of a wish), who line up in order to show their performance on the way to the shrine, and then, on the signal of the gemochi role, wave a large fan and dance to the music while chanting ‘Nabbai dooya’ to the accompaniment of the ganjo-yaku (the role of the fulfilment of a wish).
この芸能は、念仏踊の一種であり、滝宮神社、滝宮天満宮の社前で踊られるのを恒例とするが、旱魃の年には、雨乞いを祈願して臨時に踊られることもある。伝承では、菅原道真が当地の国司であった時、雨乞いの願が成就して大雨が降り、喜んだ住民の歓喜踊躍したのがこの踊のはじまりともいい、また道真の亡魂を慰めるため念仏を唱えるようになったともいう。芸態は、世話役、下知役、子踊、外鉦、笛、太鼓、鼓、法螺貝、願成就役などの各役が列を正して道中芸を示し、神社に練り込んだ後、下知【げち】役の合図で大団扇【うちわ】を振りかざし、願成就役の発声で「ナッバイドォヤ」と唱えながら囃子に合わせて踊る。
滝宮念仏踊(たきのみやねんぶつおどり)の由来
菅原道真公が讃岐の国司を務められていた仁和4年、雨が全く降らず大飢饉になっておりました。麦も枯れ、田植も出来ぬ有様で国民の困窮は記語に絶するものがあったと伝えられています。菅公はこの人民の苦しみを救うため、自ら身命を賭して城山に登り断食七日七夜、一身を神の捧げて祈雨の願文を奏して人民の困苦を救済することを祈り給いました。すると菅公の祈りが通じて待望の雨が三日三晩降り続きました。慈雨に喜ぶ国民は老若男女を問わず、国司の邸に郡集し歓喜の余り踊り舞いつつ、菅公に感謝を表し、これが滝宮念仏踊りの起源とされています。その後、法然上人により振付を新しくして現在の形となりました。
岡山県
・白石踊(岡山県笠岡市)
・大宮踊(岡山県真庭市)
徳島県
・西祖谷の神代踊(徳島県三好市)
香川県
・綾子踊(香川県仲多度郡まんのう町)
・滝宮の念仏踊(香川県綾歌郡綾川町)華やかな、人目を惹く、という「風流」の精神を体現し、衣裳や持ちものに趣向をこらして、歌や、笛・太鼓・鉦(かね)などの囃子に合わせて踊る民俗芸能。除災や死者供養、豊作祈願、雨乞いなど、安寧な暮らしを願う人々の祈りが込められている。祭礼や年中行事などの機会に地域の人々が世代を超えて参加する。それぞれの地域の歴史と風土を反映し、多彩な姿で今日まで続く風流踊は、地域の活力の源として大きな役割を果たしている。
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